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 紅の言葉に、帰蝶と明智光秀がいまだに通じていると確信する。


 明智光秀よ。合戦で負傷したわしが、死ぬと思うたか。


 帰蝶と不義密通をし、この戦いの最中、わしの目を欺き情を交わしておったとは。


「……ご無事で、安堵致しました」


 わしの怒りを鎮めたのは、紅の涙と愛しい眼差し。


「かすり傷だ。案ずるでない」


 紅をこの胸に抱き止める。

 紅はわしの胸に耳を当て、トクトクと音を鳴らす鼓動に目を閉じる。


「……力強い心音でございます」


 愛しき女よ……。

 紅の唇にそっと口づける。


「……上様」


 男の形をしているが、濡れた唇も透き通る肌も甘い香りがする。涙に濡れた蝶の美しい羽は、男を惑わす。


「今すぐ、そなたを抱きたい」


「……俺も……上様に抱かれとうございます」


 半着の襟に両手をかけ脱がせると、右腕には古い傷痕が残っていた。


 その傷に触れ、そっと口づける。


「美しき肌に、このような傷をつけてしもうた。女として生きていたなら、このような目に合わせずにすんだものを。許してくれ」


「……上様。俺が望んだこと。そのような悲しい目をしないで下さい……」


 紅は小さな両手でわしの頬を包み込み、口づけをした。ゆっくりと、そして大胆に舌を絡める。


 銃撃され一時は熱に魘され、死をも覚悟した。弱った体に命の灯が点る。


 もう一度、紅に逢えるとは思わなかった。


 もう一度、抱き合えるとは思わなかった。


 畳の上に崩れ落ち、互いの体と心を求め合う。


「……もう離れない。俺を上様のお側において下さい」


「紅……」


「遠い地で、上様の無事を案ずるだけの日々は生き地獄でございます。同じ地獄ならば、共に戦い地獄の底までおとも致します」


「地獄の底に、極楽浄土はないぞ」


「はい。死ぬ時は一緒でございます」


 唇が触れ合うたびに、紅の愛しい吐息が鼓膜に響く。


 わしの命を捨てても、紅を守り抜く。


 ――『天下布武』

 “七徳の武、全てを兼ね備えたものが天下を治めるに相応しい。”


 愛しき女を、地獄の底に突き落としたりはしない。

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