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 信長と久しぶりに勝負をし、竹刀が激しくぶつかり合う音が鳴り響く。興味深く勝敗を見つめる家臣の前で、やはりあたしは信長には勝てなかった。


 右腕を一打され、木刀は地面に転がる。

 指先を伸ばそうと前屈みになり、肩に信長の木刀が振り下ろされる。


「……うっ。信長様、参りました」


「紅、わしに勝てぬとは、貴様もまだ半人前じゃのう」


「この次は、必ずや信長様を負かして見せましょう」


「これは面白い。は、は、はっ」


 豪快に笑う信長に、平手が声を掛ける。


「信長様、濃姫様との婚儀の件でお話がございます」


「蝮の姫君か。平手の縁組など気が乗らぬ」


「これ、気が乗らぬではござりませぬ。織田家の一大事でござりますよ。庭での戯れはおやめ下さい。早う座敷に上がって下さらぬか」


 平手に窘められ、信長は渋々座敷に上がる。平手はあたしにも同席するようにと命じた。


 座敷に上がってもなお、信長は落ち着きなく部屋の中を彷徨く。


「信長様、猿のようにウロウロなさらず、早うお座りなされ!」


 平手に一喝され、信長は渋々胡座を掻く。


「ほんに情けない。いつまで駄々を捏ねておるのですか。濃姫様との婚儀はすでに決まったことであろう。本日、明智光秀殿よりふみが届いておりまする」


「明智光秀とな?」


「はい。明智光秀殿は濃姫様とは従兄弟であらせられます。明智光秀殿の文によると濃姫様は長きに渡り床に伏せていたため、声が出なくなったそうでございます」


「話せぬと申すのか?蝮はそのような姫を、この信長に輿入れさせると?」


「和睦の条件ゆえ、今さら破談にはできますまい」


「鳴かぬ女など面白うもない。そんな女を正室にしろと申すのか?」

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