十三

「どうしたの、まだ聞きたいことあるの?」


 眉は少し傾き、眉間にしわが寄っている。


 それもそうだろう。今はこちらから出向いているとはいえ、1日に2回も目的を知らせずに突然会いたい、時間を作ってくれなんて言えば、多少なり不機嫌にはなる。それが陽が落ちた公園でならば、尚更だ。


「ごめんね。ちょっと確認したくて」


 由奈は鼻から粗い息を出した。透明に近い白いもやとなり、よく見えた。


「で、何?」


「あのね……」


 そのまま黙ってしまう。思わず視線が下に行く。言いたいことはすぐ喉元まで来ているのに、口から声が出てこない。


「佑香?」


 そう声をかけられ、顔を上げるも、またすぐに地面へ。ダメだ。感情が言葉を阻んでくる。なんでかは理由は分かっている。どこかでまだ願っている自分がいるからだ。


「その……」


「いいよ、もう」


 声と同時に後ろからニノマエさんが出てきた。私の隣で止まる。


「後は部外者に任せとけ」


 冷たい風が吹く。辺りに生えている木々が揺れる。私は縫われたかのように閉口した。


「おぉ、さぶ」


 眉を潜め、ポケットに手を入れた。ペンギンのように細かく小さく私の前へと出た。


「オレ達さ」少し高めの声でニノマエさんは話し始めた。「ストーカー男の死体、実は見たんだわ」


「え?」


 突然の発言に呆気に取られる由奈。眉がつり上がっている。


「恨み辛みを感じる頭の潰され方でよ、原型なんてあったもんじゃねえ。そりゃあもう酷え姿だった」


「それを伝えるために私を?」


「ンなわけねえだろ」ニノマエさんは声色を低く変えると、首をカクッと傾けた。「なんでストーカーの死に方を知ってた?」


「え?」


「あっ、そうか。ええっと……」


 ニノマエさんは私に視線を向け、小声で「名前なんだっけ?」と呟いた。「土金さんです」と囁く。「あーあー、そうだ」と思い出したように数回小さく頷くと、ニノマエさんの視線は由奈へ戻った。


「なんで土金さんの死に方を知ってた?」


「いや、私は別に知っていたわけじゃ」


「『あんなむごい死に方を』。喫茶店で会った時、あんたはそう言った。オレも日本語が得意な方じゃねえけどよ、あんな、って言い方、実際に見た奴ぐらいしか使わねーだろ」


「その……ニュースです。ニュースで言っていました」


「確かに無惨なって言い方はしていたが、どんなキャスターもコメンテーターも、死に方までは言ってなかったぞ」


「いや、テレビじゃなくて、ネットです。ネットで流れている中に」


「だから、調べたんだって、そっちも」


 由奈の表情がみるみる強張っていく。


「あんたと別れてからまた会うさっきまで、手分けして片っ端から調べたんだよ」


 そう。最初、調べると言われた時は気が遠くなりそうな作業だったけれど、ニュースになってからオレらと会うまで、と限定的だったから、どうにかなった。


「素人らが書き連ねたようなサイトにも死に方はなかった」


「じゃなくて、SNSです。もしかしたら皆さんが確認していた時にはもう、削除されていたり運営に消されたかもしれないですけど。私は確かに見ました」


「それともう一つ」


 ツナシさんが割って入る。足を進め、ニノマエさんの隣へ。そして、肩に背負っている黒い袋を指差した。


「崔野さん、あなたは何故、この中に刀が入っていると知っていたんですか?」


「いやいや」由奈は半笑いで首を振った。「そんなの知りませんよ。えっ、刀が入っているんですか、その中に?」


「ですが、喫茶店にいたあの時、割れたと仰っていましたよね?」


「いや、それはツナシさんがそう言ったから私もつられて……」


「僕が言ったのは、。割れたなど一言も言っていません」


 由奈の目が開く。頬の筋肉がつり、顔が曇り始めた。


 急に風が強く冷たくなってきた。


 ニノマエさんは地団駄を踏みながら、黒い袋を体の前へ持ってきた。おもむろにチャックを開け始める。


「崔野さんは袋の中に入っているものを尋ねませんでした。突然あのような空気になれば、よほど貴重なものが入っているのだと察しはつくでしょう。けど、それが何かまでは分からないはず」


「それは、別に気にならなかったので聞かなかっただけですよ」


「どんな授業を受けてるかは気になるのに、ですか?」


 由奈は口を強く閉ざした。


「そもそも知っているのであれば隠す必要などないはずです。隠すのだとすれば、言えない事情があったから。あくまでこれは僕の推測です。もしかして、中身を知っていたのではないでしょうか。とすると、どこで知ったのか? 崔野さん、僕たちが土金さんの死体を見つけたまさにあの時、あの部屋にいたんじゃないでしょうか」


 由奈はそれ以上何も言わなかった。星が綺麗に見える空とは反対に、顔は暗く重く曇りきっていた。閉口しているのが何よりの証拠であり、紛れもない最悪の事実だった。


「どういうことなの……」


 ようやく絞り出た問いかけにも、由奈は答えてくれない。ただ、視線を斜めに落としているだけだった。


「ねえ……」


 私の足がひとりでに動く。二人を退けて、前に出る。


「ねえってば」


 歩きを止めない。一歩一歩足を出すたびに、頭の中に過去が蘇る。どの思い出もとても楽しくて……楽しかった……そう、とても良い大切な……


「答えてよっ、由奈!」


 激しい言葉。やりきれない想いが体の外へ出てるのを感じた。


 突然、首元が締まる。服が後ろに引っ張られたのだ。膝が意図せず折れ曲がり、体勢が崩れる。維持できなくて、そのまま後ろへ尻餅をつく。瞬間、私の右足と左足の間に、鋭いが刺さった。何がなんだか分からなかった。ただ、その爪は私が今さっきまで立っていたそこにあったということだけ、気づけた。


 地面から爪が抜ける。その動きと同時に私の視線が上へ。


 そこに、いた。何かが。


 これが怪異……噂にだけ、いや本当は見ているのだけれど。そうか、私は見ているのか。忘れられるはずもない恐ろしくおぞましい風体なのに、記憶にはない。けど、体は覚えていた。また出会ってしまった、とでも語るように、小刻みに何度も震えているのだ。


「よぉ」


 ニノマエさんは地面に黒い袋と鞘を投げ捨てた。そして、既に抜かれた刀の先を怪異の双眼へ向けた。


「待ち侘びたぜ」


 ニノマエさんの両足が地面の砂を抉る。


「決着つけようじゃんか」


 怪異は大きく口を開け、叫んだ。


 ニノマエさんは片目を瞑り、耳に指を入れた。叫び終えた時、舌打ちをする。


「るっせえなぁ」改めて両手で刀を持ち、強く握った。「近所迷惑だろうがっ!」


 そして、勢いよく駆け出した。


 怪異はそばにあった遊具を壊すと、ニノマエさんへ思い切り投げた。乗って前後に揺らして遊ぶ遊具。

 走りながら左右に避け、身のこなし軽やかにかわす。怪異は次々と投げる。パンダやらイルカやら車やら電車やら。

 それでも、ニノマエさんは止まらない。どんどん距離を縮めていく。


 悔しそうに強く閉じた歯を見せ、怪異は両手でシーソーを引き剥がす。こちらに狙いをすませ、思いっきり投げつける。ニノマエさんは身をかがめて地面を滑り、避ける。シーソーは後ろの、私たちの方へと向かってくる。ツナシさんは私の前に立ち塞がる。片手に本を持ち、もう片方は前に出している。


「ヘキ!」


 一瞬にして地面が盛り上がり、土の壁ができた。怪異は止まらず、そのままぶつかった。壁もシーソーも激しく壊れた。怪異は走ってくる。


「ヘキッ」


 再び土の壁。だが、怪異は体で体当たりをして破壊していく。


「ヘキ、ヘキ、ヘキッ」


 間に次々と壁ができていく。だが、いともたやすく壊し続ける。


「ヘキッ!」


 ツナシさんの声量が増したからなのか、壁はより大きく分厚くなった。

 怪異がぶつかる。壁は縦横に大きくひび割れて壊れて崩れる。怪異は後ろに弾かれ、倒れていた。ひらけた視界。いつのまにか怪異と距離を詰めていたニノマエさんが。


「無視すんなって!」


 地面を蹴り上げ、怪異の顔の上へ飛ぶ。


「オラっ」


 刀を下に突き立て、勢いよく落ちていく。怪異はすぐさま顔を腕で防ぐ。まっすぐ刺さる。怪異は叫び声を上げるも、怯むことなく、もう片方の腕でニノマエさんの脇腹を弾いた。


「ぐはっ」


 強い力が加わり、勢いよく平行に飛んでいくニノマエさん。そのまま街灯にぶつかり、地面へ叩きつけられる。よっぽど強い力が加わったのだろう、街灯はくの字に大きく曲がっていた。


 起き上がろうとするニノマエさん。けど、痛みが強いのか、苦しそうで、上手く体を起こせない。


 街灯が妙な音を立て始める。くの字を強くしていたのだ。耐えきれない。嫌な予感がよぎった瞬間、パキンっ、と折れて、現実となる。灯がニノマエさんの顔の上に落ちてくる。


 危ないっ!


 瞬間、ニノマエさんは転がって避けた。ガラスが砕け散り、微かに砂埃が舞う。


 地面が一定のリズムで揺れる。見ると、怪異がニノマエさんの方へ走ってきて居た。


 ニノマエさんは自身へ向かってきていると気づき、慌てて立ち上がろうとする。だが、間に合わない。怪異は思いっきり蹴り飛ばした。ニノマエさんは高く遠く空の彼方へ飛んでいった。まるでサッカーボールを蹴るかのよう。


 そんな……


 ニノマエさんが……一気に恐怖が襲う。呼吸が早くなる。程度は分からないけれど、マズい状況になったことは間違いない。


 怪異は、こちらを凝視してきた。


 襲われる——そう最悪がよぎったけれど、怪異はそのまま離れていく。何故か一瞥しただけだったのだ。


「ここにいてください」


 私は顔を向ける。ツナシさんは怪異を見つめたまま、私にそう声をかけた。


「ニ、ニノマエさんが……ニノマエさんがっ」


 戸惑いを隠せない。けど、何も動揺することなく、「大丈夫、ここに戻ってきますから」とだけ残し、あとを追ってツナシさんはいなくなってしまった。


 走り去る姿が小さくなる。つれて、不安は募っていく。もし怪異が裏をかいていて、いなくなったフリをしていたとしたら……突然どこからか不意に現れたとしたら……私には何もできない。


 逃げたい気持ちが芽生え、どんどん膨れていく。どうしよう……


「思ったより、足が速ぇのなアイツ」


 えっ!?

 私は振り返る。ニノマエさんが肩を回しながら、戻ってきた。しかも歩いてる。


「んだよ、幽霊でも見た顔して」


「い、いや。だって……飛んでいっちゃったじゃないですか」


「そんなこと、別に不思議なことじゃねえだろう」


 いや、ニノマエさんたちにはそうかもしれないけど……


「トーは?」


「怪異を追いかけていきました」


「逃げられたか」


 逃げた……私はふと思い出す。左右を見回す。どこにもいない。


「どうした」


 私は動きを止めて、ニノマエさんに視線を向けた。


「由奈が……由奈がいないんです」




「もう何がなんだか分かりません」


 私の足は重かった。すれ違う人とぶつかりそうになる。避けようとするも上手く体が動かない。疲れているからだろうか。もうコンクリートからの反発にさえ押し負けてしまいそうだ。


 由奈が犯人——熱に浮かされたような言葉が脳内をよぎる。夢であって欲しい。心からそう願ったのは初めてだった。かき消したい。けど、事実は変わらない。恨めしい。


 あの後結局、怪異には逃げられてしまった。ツナシさんによると、由奈も一緒にいた。つまり、逃げた。


「人間と怪異が協力関係になるのなんか、よくあることだ」少し前を歩くニノマエさん。「利害が一致すりゃ、種だって超える」


「そこじゃないよ、イチ」


 並んで歩くツナシさんがツッコミを入れる。相変わらず慣れている。


「あっそうなの?」ニノマエさんも変わらず素っ頓狂だ。「何にしろ、嫌なことにならなきゃいいけどな」


「嫌なこと?」


「怪異には何か目的があるから人間に力を貸す。協力関係といえば聞こえはいいが、実際は必要なあいだ利用してるってだけだ」


「なら、必要じゃなくなったら?」


「そりゃあ……言わなくても分かんだろ?」


 それはつまり……


「とにかく、探さなきゃだな」


「そうですね」


 とはいえ、由奈が居そうな場所について、心当たりはもうなかった。電話にはもちろん出ないし、大学やら行きつけの店やらを探すも、見つからない。

 ニノマエさんの言葉の通りであれば一刻も早く、手遅れになる前に見つけないと……


 突然、スマホが震え出し、肩がびくりと反応する。電話だ。取り出して、画面に出た相手を見る。


「えっ!?」私は思わず声を上げ、足を止めた。自然と止まったの方が正しいか。


「な、なんだよ……突然大声なんか出して」


「で、電話が来たんです」


「誰から?」と口にするが、すぐに「もしかして……」とニノマエさんは何かを察したように目を開いた。


「由奈からです」


 ニノマエさんとツナシさんは顔を見合わせると、駆け足で近づいてきた。


 私は緑色のボタンを押し、電話に出た。恐る恐る耳につけ「もしもし」と声をかけた。

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