三十九
――俺は退院してからしばらく休暇を取った。というか、編集長から「取れ」と命じられ、取ることになった。今はリハビリに努めるなど養生をしたほうが、むしろ一刻も早く現場に戻れると考えてくれたらしい。
かといってその間、リハビリと休養だけを繰り返していたわけじゃない。一連の奇妙な現象について、自分なりにしっかりと調べを進めた。
俺が倒れていた時に持っていたバッグには、何故か西の青い空ファイル、画面が右上から左下に向けて割れているスマホ……奇妙さ奇怪さを挙げればキリがないが、中でも特出して奇妙で奇怪で、尚且つありえなかったのは、手帳だ。
いつも得られたネタをその場で記入しておくため、またオカルト系のものばかり扱っているため、意味不明なワードが書き並べられてるのは分かる。後から見てもすぐ思い出せない時もこれまでに何度もあったから、そこは別に。
それに、手帳間違いなく俺が書いたものだ。自信持って、胸を張って俺の文字だと言える。情報が流出しないように、文字は他の人が読めないように書いているから、特徴的。だからこそ、書き方がありえなかった。
確かに細切れに情報を記入する時はあるし、あらかじめ多少なりの余白を取っておくようなことはある。けれどこんな風に、単語と単語の間に4ページも割くなんておかしな、見開きの左ページには何も書かれていないのに右ページ上から4分の3辺りにちょこんと1単語、1フレーズ書くようなヘタクソな使い方は流石にしない。
要するに、記憶を失っている間に俺は、何かをここに書いていた、もしくは、ここまで空白を作らなくてはいけないような大きな出来事があった、ということだ。けれど、肝心の記憶がないからどの単語がどの単語と関連があるのか分からない。なのでとりあえず、手掛かりとして使えそうなものから、調べることに。
まずは、“金山小夜”から。字面的におそらく人名、と見切りを付け、調べてみる。見事ビンゴ。話を聞こうとしたが、既に故人となっていた。俺が記憶を失う少し前に急性心不全を起こしたそうだ。だが、それだけ。それのみなのだ。特別気になるような点はない。こんな言い方をするのは不謹慎かもしれないが、不幸にも若くして死んでしまっただけ、ということだけしか得られなかったのだ。つまり、収穫はゼロ。
気持ちを切り替え、次は“四六横丁”を。確か前、寂れた飲み屋街が多くあるって北さんが言ってたと思う。俺は急いで向かい、片っ端の店を訪れ、聞き込みをする。しかしここでも、有力な情報は得られない。人を変え店を変えてもダメ。挙げ句の果てに、「自分を見なかったか」などという奇妙な質問をしてみるも、誰も見たことがないらしい。残念だが、ここでも収穫はゼロ――
「お客様」
「へ?」
顔を上げると、そこには女性店員が立っていた。
「は、はい」
「おかわりはいかがですか?」手に持ったコーヒーポットを軽く持ち上げて見せた。
「あ、お願いします」
俺は空いたコップをへりの側に滑らせる。店員は静かに持ち注ぐと、「ミルクとガムシロップはいかがしますか?」と尋ねてきた。
「大丈夫です」
断りを入れると、店員は「失礼します」と軽く一礼し、去っていく。俺は何も入れないブラック状態で、ストローをさして一口飲む。冷えた液体が脳をより覚まさせる。
よし、ラストスパートだ。
――俺は次に、大林など名前らしき単語について調べることにした。金山小夜の死亡日と近かった日に亡くなった人の中でこの名前の人がいないか、範囲を絞って調べてみた。こちらも見事ビンゴ。やはり人の名前であった。異様に記者としての勘が冴え渡っている俺だったが、結果1人だけ事故死で他は病死だった。共通してるのは、それらの中には全て故意に何かがされたようなことが一切なかった。言い換えれば、殺人などの疑いは一切ない。むしろ全て何も無かったことが奇妙に一致していた。
いよいよ手がかりがなくなった俺は、現金の消えた財布や右ポケットに入っていた普段使わない鍵も何かしら関係があるのではないかと考えた。が、手がかりはない。いや、もう調べようがない。勿論、やる前に諦めたりはしなかった。だが、ある程度やっても何も出てこなかったから早々に見切りをつけ、やめた。少なくとも今の俺にはこれ以上は無理だろう。記者の勘がそう伝えてくる。ここでギブアップ。
こうして俺の不思議体験の調査は終わりを迎えた。――
終わったぁー!
俺は背もたれに身を任せた。一気に書き上げたため、右手首が痛む。緩和させようと連続して前後に折り曲げる。首も回す。ぼきぼきと凄まじい音が鳴り、思わず首の動きを止める。腕を折っている分、不安になる。で、止めた。
店内の壁に掛けられた時計を確認する。
おっと!
こんなのんびりしてる暇はない。急いでテーブルを片し、出口近くのレジで会計を済まし、慌てて店を出た。ベルの鳴る扉を開けた途端、気持ち悪い風が体に触れる。ふわりと吹いてくる軽い風には熱が多分に含まれており、息苦しさを感じさせる。眉が嫌そうに寄る。大きく息を吐一歩外へ出る。嫌悪感は一気に頂点へ。一刻も早く、冷房の効いた病院に……俺は早速、歩き始めた。
額を手の甲で拭き、手元に視線を落とす。まだ涼しい店を出たばかりなのにもう、じんわりと汗が滲んでいる。ぎらぎらと容赦なく照りつけてくる日差しに反射し、汗は光っていた。眉がさらに寄りながらも、顔を正面に戻した。
ふと視線が一点に。それは、向こうから歩いてくる男性だった。顔の下半分はマスクで覆われながらも、ケータイを右耳に当てている。別に知り合いでもなんでもないのだけれど、完全に無意識な状態で目の合ったその人を見続けてしまう……何故?
男性はどこかの店の腰エプロンと左耳にかかったマスクの紐を取る。ケータイを左に持ち替え、耳につける。そして、右耳の紐も取ると、おもむろに顔からマスクを外した。
……えっ?
俺は凝視した。というより、無意識でしてしまった。なぜなら、隠されていた右頬に、逆五芒星の傷があったからだ。ナイフか釘か、先の鋭い物で故意につけたようにしか見えない。自然にできたようには思えなかった。
すると、男性と目が合った。というより、見ていた俺に視線を向けてきた。慌てて視線を逸らす。鼓動が早くなる。
ど、どうしよう。何かそういう危ない組織に入ってたりする危ない人じゃないかな……だったらマズい。「おい、さっき何見てた?」的なこと言われるかもしれない。リハビリしなきゃいけない箇所が増えたりする可能性も。
横目で距離を測る。俺を見続けているかまでは分からない。けど、距離が縮まっているのは確かだった。緊張が高まっていく。ちらりと見る。男性は「引き続き2人を見張り……え? 真っ直ぐですか?」と会話に集中していた。
よかった……
にしても、あんなに顔を電話に寄せて話す素振りや言葉の使い方からして、相手に相当な気を使ってる。てことはやっぱり、相手はそっち系の……
ぐじゃぁっ
背中の方から気持ちの悪い音が耳に届く。生卵を割ったような音に似ている。直後、車のタイヤが回る音が聞こえると、柔らかいものを握り潰すかのような音が続く。
俺は振り向く。
理解ができなかった。先ほどの男性が倒れているからだ。頭が半分になるほど潰れ、服や腰エプロンを流れ出てくる血で染めて。
「きゃあぁぁあっ!」「うぁぁあっ!」と、方々で空を切るような叫び声が上がる。そして、写真を撮る人、涙を流す人、力が出ずに座り込んでしまう人、恐怖で逃げる人、道端に吐く人。現場は混乱を極めていた。
たじろぐ。無残な死体を前に全身が固まってしまった。
「誰か救急車っ!」
不意に耳に入り、ようやく体が動くようになる。俺はポケットからケータイを取り出し、ボタンを3回押す。顔を上げながら、受話器を耳につけた。
「もしもしっ、救急車をお願いします」
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