二十
俺は鍵を差し込む。そして、右方向へ回す。開けるのは604と金色で書かれた紺色の玄関。俺の住んでる部屋だ。
もうこの7階建てマンションに住んで5年は経つ。それぐらい住んでいれば鍵を回すことなど意識せずにできる。だからなのかその分余計になのか分からないが、イチ君の呟きがはっきりと耳に届いた。
「中にいんな」
「へ?」あまりに間抜けで素っ頓狂な反応。主はもちろん俺。
俺は一人暮らし。その上、ペットも飼ってない。動物は好きだけど、記者という職業柄、突然に帰ってこれない日もある。酷い時はそれが何日も連続してだ。その場合、エサとか水とか用意できてないと、何より一緒にいる時間が取れないとかわいそうだと思い、今はまだペットショップのショーケースに入った犬や猫を眺めていた方が……って、今はそんなこと、どうでもいい。あまりのことに少し現実逃避してた。
「……何が?」刀と共に廊下の白い壁にをもたれかかっているイチ君に尋ねると、「そりゃあ」とこちらに甲を向けた右手を顔の近くに近づけ、「ヒュードロドロ、だよ。決まってんだろ?」と日本人なら誰しもが一度は目にしたことのある動作をしてきた。
ここにもなのか? 俺は言葉を失った。正確には、明らかに例のアレだ。例だけに霊、みたいな文言は頭の中で浮かぶ。だけど、口からは何も出てこない。
「な、中にいるの?」ようやく言葉が出てくる。
「安心して下さい」イチ君のそばでトー君がにこやかな表情を浮かべた。
「いると言っても、ほんの5体ぐらいですし、さっきのに比べたら全然危険じゃないですから」
「あーそれならぁ〜、にはどうしてもなれません……」
だって、俺はそれらと今までずっと、ということなんだから。
同時に、価値観の違いが明確に現れた瞬間だと感じた。確かに、視える人にとってはそんなに恐怖を感じないかもしれないけど、俺のように視えない人にとっては背筋がゾッとする類いの話だ。逆のようだけど、実際そうだ。
俺がこんなにも驚いてるってことは当然、今まで生活してきた中で特段支障が出るようなのは起きたことない。どっかからか視線を感じたりと、誰しも経験すること。でも、いるといないでは気持ち的に全然違う。
「お祓い的なことって……」
「可能ですよ」
「一人暮らしか、ルームシェアか。どうする?」
5人、ゴメンなさい。
「一人暮らしでお願いします」
「寂しい一人暮らしをご所望だとさ」
グサリと刺さる言葉が付け加えられると、トー君が「了解」と返答した。
えっ?
「イチ君じゃないの?」
「僕だって一応、お祓いできるんですよ?」
眉を上げながら、トー君は顔を少し傾けてきた。
「あっいやそういう意味じゃないんだけど……」
俺は慌てて否定すると、フッと笑い、「ある程度相手が友好的な時はイチではなくまず僕が話し合いをし、成仏させます」とトー君は続けた。
「てことは、それがダメな場合はイチ君がやるってことなんだ?」
「そうです。先ほどの悪霊も凶悪で、僕の力では時間的に間に合わない可能性があったので、イチがやったというわけです」
成る程。
トー君はバッグの中に手を入れた。
「あの本?」
「ええ」
そう言って取り出したのは、あの緑表紙の不思議な本、ではなかった。西条寺東也の『怪奇専門探偵
なんか覚えが……俺は記憶を辿る。確かデビュー作にして、ホラーとミステリーの賞を総ナメにして話題になったから、題名ぐらいは聞いたことある。けど、読んだことはない。七、ってことはかなり人気なんだな。
俺が凝視してることに違和感を感じたのか、トー君はふと本の表紙を自分に向けた。
「あっすいません、間違えちゃいました」恥ずかしかったのか、顔を赤らめんばかりに顔をくしゃっとし、慌ててバッグの中へ仕舞った。手を出した時には、あの緑表紙の本を手に持っていた。
「ていうか、それ幽霊とかにも使えたんだね」
「ええ。元々はお祓いをするために使っていたんです。そして、ある日偶然怪異にも効果があると分かって」と、詳しく解説してくれた。いや、くれようとしたのだが、そこをイチ君が「トーォ~」と遮る。見ると、怪訝そうな表情をしながら竹刀袋ごとワイパーのように振っていた。さらには、ガムをわざと大きな音を立てて噛んでいる。
「続きはまた後で。中に入っても?」
「あ、ゴメンゴメン」俺はトー君が指をさしている玄関前から退く。
トー君は玄関のドアノブに手をかける。回して引いて、そして中へ。「しばしお待ちを」そう言って、玄関を閉めた。
「確かにオレのを使えば、相手を無理矢理払えるし、倒せる」
唐突にイチ君が喋り始めた。俺は体ごと振り返る。
「裏を返せば、どんなに害のないのとか善良なのでも強制的にそうできちまうってこった。だけどよ、それは流石に可哀想だろ? それこそ、人間のエゴだ。だから、凶暴な怪異とか悪者系の幽霊とか妖怪とか、まあザックリ言えば話の通用しない奴らにだけしか使わねえようにしてる」
「ま、話してる途中に豹変する奴もいるっちゃいるが、今回のは大丈夫だろ。話せば分かりそうなやつばっかだから」
向こうから足音が聞こえてきた。歩く音ではなく、駆ける音。
俺は振り返る。問題ない。幽霊とかじゃない。
というか、誰か知ってるから相手は生きてる人間だ。
「すいません、遅くなりました」
少し息を荒くしながら、エンドウさんは目の前で立ち止まった。
西から手に入れた情報から推測するに今までの購入者の傾向からして、大体買った時間であろうと結論が出た。イチ君らトー君もおそらくそうだと言うのでほぼ間違いないと見て問題ない。
つまり、エンドウさんの元に怪異が出てくるのは、おそらく夜の6時頃。
まだ時間はある。
だが、エンドウさんのアザに引き寄せられて、あの悪霊のような怪異以外のモノが出てくるかもしれない。その場合、エンドウさん1人だと最悪、命を落としかねない。怪異に寿命を吸われる吸われない以前のことだ。
それに、もしかしたら6時じゃないかもしれない。あくまで、おそらく、なのだから。
なので、明日事件が解決するまで一緒にいることになったのだ。
勿論、エンドウさんにも許可を取った。エンドウさんの返答は「むしろそちらの方が安心です」。
イチ君の「験担ぎにカツが食べてぇ!」発案でトンカツを食べた。
その後、その付近にあるビジネスホテルにでも泊まろうとした。
だが、イチ君とトー君曰く、どこもかしこも危ないものが棲みついており、エンドウさんが危険な目に遭う可能性があるからということでキャンセルになった。
他のところを探すもなかなかいい場所がなく、結果候補が全滅。やむなく俺の家に来ることになったのだ。
幸いにも、4人泊まるスペースが俺の部屋にはあった。エンドウさんが1人で使える部屋もあるから、倫理的なアレも問題はない。
そして先程、親に嘘をつく形にはなるが、エンドウさんが「友達の家に泊まる」との連絡を入れてきた、というわけだ。
「大丈夫そうでした?」俺は恐る恐る訊く。大丈夫そうだったか、と訊いているが実質的には大丈夫だった、じゃないと困る。
「最初は渋られましたけど、何とかゴリ押ししたら」
「てことはつまり」「外泊オッケーです」と、俺のコメントにエンドウさんは重ねた。よかった。緊張していた肩が少し弛む。「なので、よろしくお願いします」一礼するエンドウさんに、俺も軽く頭を下げる。
「そういえば、なぜ皆さんここに?」
「いやぁーそれがね」
事の経緯を話し始めたところで玄関が開いた。中からヒョコっと顔を出し、俺ら3人がいるのを確認すると、トー君改めて扉を全開にし、体で閉まろうとする扉をおさえていた。それはまるで中に招き入れるような体勢。
てことはつまり。「終わりました」トー君は微笑んだ。
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