白日記 第11話 いちばんしあわせだったころ

 初めは傍目からは何も分からなかったけど、二月三月も経つと、ナディアのお腹は少しずつ大きくなってきた。

 いつしか赤子はナディアの腹の中で動き回るようになり、時々ナディアを困らせるようになった。ナディアは元気過ぎる自分の腹の子を腹の上から撫でてにこにこしていた。僕はそんなナディアを見ているのが好きだった。ナディアが幸せそうだったからだ。

 僕も暇を見つけてはナディアの腹に触れた。動いているのが分かった時は本当に僕も嬉しかった。

 女性は自分の体内で自分以外の人間になるものを育むことができるんだよね。それにすごく感動した。僕はナディアを、それ以前からずっと愛してはいたけど、その頃は特に尊く思った。

「僕が君のお父さんだよ、分かる?」

 寝台の縁に座ったナディアの目の前にひざまずき、彼女の腹を抱えるようにして引き寄せ、腹に耳をつけて訊ねる――僕は毎晩にそんなことをしていた。ナディアが笑って「きっと分かっていますよ」と言う。

「ねぇ、ラシード。ラシードは、男の子と女の子、どちらが欲しいですか?」

 その問いには、僕は迷わず「女の子」と答えた。

「君に似たしっかりした娘がいい。女の子の方が育てやすいと聞くし、きっと可愛いよ」

 言ってから、「でも男の子でも怒らないから安心しなさい」と苦笑してナディアの腹を撫でた。けれどやっぱり、男の子が生まれたらどうしよう、という不安はあった。ただただ甘やかして可愛がりたかったんだ。

「私、子供は六人欲しいんです」

 ナディアは少し恥ずかしそうにしながら語った。

「男の子三人、女の子三人くらい」

「そんなに、一人で?」

「あら、第二第三と娶られるご予定がおありなんですの?」

「まさか!」

 もうナディア以外愛せないような気がした。僕は不器用だし、ナディアにしているように他の誰かにも、なんてそもそも不可能であるような気がした。では、ナディアには五人でも六人でも産んでもらおう。僕の母は僕を含めて五人も産んでいるから、できないわけではないだろう。

「ずっと、一生、二人でやっていこう。僕とナディアの、二人で」

 ナディアは「はい」と答え、微笑んでくれた。

 僕は十八歳、ナディアは十七歳になっていた。


 僕は騒ぎにしたくなかったんだけど、結局ナディアが妊娠した話はエスファーナ中に知れ渡った。ぜんぜん知らない商人からもお祝いにと言って高価な絨毯を貰ったりした。結局お返しはできなかったけど……。

 宮中でも盛り上がってしまった。特にシャムシャ姫はたいへんな興味を示されて、僕に会うたびナディアと腹の子の様子をお訊ねになった。姫は一歳と数ヶ月、二歳になる少し前にルムアが生まれたきりで、妊婦や赤ん坊をご覧になったことがなかったからね。

 その頃はナディアの調子が良かったから、僕は王子がたとナディアと話し合い、休みの日にナディアを連れて宮殿に遊びに上がることにした。宮殿から自宅までは徒歩でも三十分程度だし、二人でのんびり歩いていけば大したことはないだろうと思っていた。

 実際には、ナディアは思っていたより体力がなくてなかなか進まなかった。その時はお腹がもうだいぶ大きかったから仕方がないと言えばそうだったんだけどね、それ以上に、ナディアはアルヤの男尊女卑の風潮に育てられた子だった。うちやフォルザーニー家では当たり前に女の子にも護身術になる何かを習わせる。対してナディアは僕と結婚するまで家から出ることさえほとんどなかったんだそうだ。

 何はともあれ宮殿に着くと、まず白軍の連中に囲まれた。結婚式以来ナディアを人に見せたことがなかったからね。ナディアは大人しく、恥ずかしそうにうつむいていた。

 シャムシャ姫は思いの他喜んでくださった。その時にはもう肩の傷もすっかり良くなって元気に剣を振り回しセターレス殿下を追い掛け回していらしたよ。それを見た時は頭が痛くなったけど、姫は将来ご懐妊なさった時にはきっとご無事で出産なさるんだろうね。

 ナディアが姫にお会いするのはこれが二回目だったけど、前回は結婚式の時で、お話しすることはなかった。

 姫はマグナエを一切お召しにならないから、姫にお会いした一般民衆は皆その蒼い髪に恐れおののく。

 ナディアは反射的に大きなお腹のまま回廊の床にひざまずこうとした。

 姫はひっつかんでいらしたセターレス殿下の服の脇腹をお離しになり、そんなナディアを慌てて止めなさった。

「本当に子が入っているの!?」

 興味津々といったお顔で、姫がそうお訊ねになる。

「さ……さわっても、いい?」

 ナディアがこわごわ「どうぞ」と申し上げた途端、姫はナディアに抱きつくようにしてくっつき、ナディアの腹に耳をつけた。セターレス殿下が「こら」とお叱りになる。

「いるの分からないー」

「馬鹿。妊婦の腹にぶつかったりなどするな、もしものことがあったらどうする」

「もしものこと? 出てきてしまう?」

「赤子が出ていきたいと思った時以外に無理に母の腹から出してやると死んでしまうんだぞ」

「えっ!? ごめんなさいっ!」

 急いで離れようとした姫にちょっと笑いつつ、ナディアは「大丈夫ですよ」と申し上げた。

「今はどうやら起きているようですので、もう少しお待ちくださったらきっと――あ、ほら」

 「お手を」と申して姫の御手を取り、ナディアが自分の腹に触れさせ申し上げると、姫が目を丸くなさった。

「うごいている!?」

 セターレス殿下が「よかったな」とおっしゃって姫の頭をお撫でになった。

「お前は赤ん坊を見たことがないからな。俺と兄貴はヌーラが生まれたてのお前を預かってきた時にめいっぱい触ったし、ヌーラがルムアを妊娠している時にもいろいろ見たり聞いたりしたんだが」

 姫が「シャムシャには年のはなれた弟や妹がないからなぁ、ルムアとは一つ半しかちがわないし」とおっしゃると、同じく一歳半年上の兄君をお持ちのセターレス殿下が「兄貴は赤ん坊だった俺にいろいろしてくれたらしいぞ」と話してくださった。

「まだ歯が生えていないというのに豆を食わせてくれたり、母上を独占したという理由でそこの噴水に放り込んでくれたりな」

「……よくお育ちになられた……」

 まだナディアの腹をお撫でになりつつ、姫が「いいなぁ」と呟きなさる。

「ねぇ、ナディア?」

「はい、姫」

「赤んぼうが出てきたら、シャムシャにも見せてくれる? だかせてくれる?」

 ナディアは嬉しそうに微笑み、「もちろんですとも」とお答えした。姫がまた笑顔を作られた。

「元気な子が生まれてきますように。この子にたいようのめぐみがありますように」

 小さな『蒼き太陽』にこんなに祝福してもらえて、この子は幸せな子だ。

 そう思ったのに、な。

「ところで、赤んぼうはどうして女の人のおなかで育つの? 赤んぼうはどうやってできるものなの?」

「……作ったのはラシードなのだから、ラシードに訊いたらどうだ?」

「えっ!? あっ、ハ、ハヴァース殿下にお聞きくださいっ!」

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