(2)

 その日の午後。いちに買い出しに行ったマルタが、ひどく難しい顔で戻ってきた。


「マルタ。どうした?」

「あんま、いい予感じゃないんだけど……」

「乱の兆しか」

「そう。大それたことじゃない。でも、無視も出来ない」


 山岳地では積雪期に兵を動かすことが出来ぬ。北方諸国はこの時期兵の鍛錬しかせぬ。冬に何か乱が起こるとすれば、盗賊の暗躍じゃろうて。国が弱いと取り締まりが甘くなるからな。じゃが、ただの盗賊ならマルタは気にせぬはず。ふむ……。


「どれ、餌を撒くか」

「え?」

「ふふ。普段とは違う使い途で、シーカーを飛ばすことにしよう」

「??」


 訳が分からないという表情のマルタに、イルミンを呼んでくるよう命じる。私が何か企んでいると思ったのだろう。マルタがさっと広間を離れた。


「何か御用でしょうか?」


 仕合いに惨敗して意気消沈しているイルミンが、とぼとぼと広間に現れた。


「イルミンどのは、雪解のあと陸路を通って帰国されますな」

「ええ」

「その際護衛としてマルタを伴わせますが、マルタも己を守らねばならぬゆえ、身を呈することには限りがありまする。何か不測の事態が生じた場合、マルタがイルミンどのを庇い切れぬかもしれませぬ」

「……え?」


 イルミンが真っ青になった。屋敷に来た頃はまだ自分の力に自信を持っていたゆえ、私の脅しには決して屈しなかったであろう。じゃがレクトにすら敗れた今は、まさに濡れ鼠。得物なしで、素っ裸で立っているような心持ちのはずじゃ。


「う……うう」

「されば、今のうちに道行みちゆきの練習をしておくことにしましょうぞ」

「どういう意味でしょう?」

「冬はどの国も兵を動かしませぬ。ウェグリもキルヘもそうでありましょう?」

「ええ」

「じゃが、その時期は警らがおろそかになり、盗賊どもが跋扈ばっこしまする」

「確かに。我が国でも苦慮しておりました」

「盗賊どもの多くは取るに足らぬ雑魚じゃ。されど、中には厄介なのがおりましてな」

「ああ……そういうことかあ」


 漠然と感じ取った不安な予兆。マルタは、その中身が分かったんじゃろう。


「あたしにとっても厳しいってことだね」

「そうじゃ」

「うーん……」


 がっちり腕を組んだまま、マルタが考え込んでしまった。


「あの、どういうことでしょう?」

「マルタは、体術や剣術で常人に敗れることはないでしょう。仕合ったイルミンどのには分かるはず」


 認めたくないという風情で、イルミンが渋々頷く。


「……ええ」

「じゃが、相手に術師がおった場合は?」

「ああっ!!」


 マルタの渋面が一層ひどくなった。


「そうなんだよねえ。ばあさんにも、今からそういう事態が起こった時どうするかよーく考えるようにって脅されてるんだ」

「じゃろう? お主一人ならば逃れれば済む話。じゃが、イルミンどのとの二人一組ならそうは行かぬ」


 役立たずとみなされたように感じたんじゃろう。イルミンが悔しそうに目を伏せた。


「のう、イルミンどの」

「……はい」

「ここには今、貴女が砂竜を作るための砂がありませぬ。雪で竜を作れる術を授けますゆえ、それを以てマルタと二人で賊を退けていただきたい」

「えええっ!?」


 マルタとイルミンが二人揃って、大口を開けた。


「そ、そんな」

「賊の耳に入るよう、ここが金持ち屋敷だとシーカーに吹聴させました。じきにのこのこと現れるでしょう。されどマルタが予兆を感じるということは、並の盗賊ではないと見ておりまする」


 マルタとイルミンの表情は対照的だった。マルタにとっては、これから自在に旅をするための貴重な予行演習じゃ。見るからに気合いが入っておった。


「うおっしゃあ! ぎったぎたにしてやるっ!」

「おいおい、主目的を忘れるでないぞ」

「あ、そっか」


 これじゃよ。思わず頭を抱える。


 マルタとは裏腹に怖じを滲ませたイルミンは、大きな溜息を残してゆっくり戸外に出た。私とマルタもそのあとについて出る。


「あの、ゾディアスさま」

「なんですかな?」

「術を授けてくださることに対して、わたしが支払うべき報酬は?」

「はははっ」


 からっと笑って、冬晴れの清々しい青空を見上げる。


「決まっておりまする。貴女が無事にウェグリに帰り着くことじゃ。そしてな」

「はい」

「今ある力、新たに得た力を使わずにキルヘと対峙すること。そのすべを、マルタと共に考えてくだされ。それはマルタに課したのと全く同じ宿題じゃ」


 マルタが、私の命じた課題を正確に復唱した。


「キルヘを守り、でも砂竜も退治せずに済む方法を、あたしが考えろ……か」

「そうじゃ。イルミンどのの場合は、こうなりますな」


 足元の雪をひとひら掬って、ひょいと宙に投げる。わずかな風にふわりと舞った雪が、青空に大きな文字を描いた。


『砂竜を使わず、キルヘと戦わず、ウェグリを守れる方法を考えよ』


◇ ◇ ◇


 マルタの感じ取った予兆通り、それから半刻はんときもせぬうちに風体の悪い数人の男が白昼堂々敷地内に侵入した。


「うちに何の用だい?」


 今か今かと待ち構えていたマルタが、そいつらを見咎めて警告を出す。


「押し売りはお断りだ。とっとと出てってくれ」

「金目のものを全部出せ」


 男たちの中で一番体格のいいやつが、ぐいっと手を突き出した。


「あんたらに渡せるものなんかないね。帰れ」

「殺れ」


 ぐいっとあごをしゃくる男。抜き身の山刀を振りかざした手下の男たちが一斉にマルタに切りかかった。だが、マルタの姿はすでにそこになかった。両手に苦内を持ったマルタが瞬時に手下どものくるぶしの腱を切り断ち、倒れた男たちが苦悶しながら雪の上をごろごろ転がり回った。


「があっ」

「ううっ」

「ちっ! 役立たずどもめっ!」


 忌々しそうに吐き捨てた首領と思しき男が、振り向きざま背後の痩せた男に声を掛けた。


「先生、よろしく」

「うむ」


 野盗どものような獣皮の衣ではなく、上物の黒衣をまとった初老の男が薄笑いを浮かべた。ふむ。道を外した似非えせ術師か。首領と入れ替わって前に出た男は、掌をマルタに向けると、そこから多数の氷矢ひょうしを飛ばした。


「ちっ!」


 舌打ちしたマルタが、雪面を縦横に駆けながら二人の隙をうかがう。じゃが、マルタはすぐに防戦一方になった。真っ直ぐ飛ぶ矢を避けることは容易いが、氷矢は自在に軌道を変え、マルタをどこまでも追尾した。しかも、両手に刀を持った首領が不意に切りかかってくる。敵の攻撃が途切れずかつ重層的になり、どちらかを倒して一対一の状況に持って行きたくともその余裕がない。


 術師の男は、攻撃を続けながら宙に浮いた。前後左右だけでなく上からも攻撃を加えるつもりじゃな。マルタは苦内で必死に氷矢を払い除けるが、放たれる氷矢の数が増えて、自由に動ける範囲が徐々に狭まっていく。


「集えっ! クリステ!」


 突然、樹陰から甲高い音声おんじょうが響いた。木々の周囲の雪氷が、マルタを襲っていた氷矢も巻き込んで鋭く渦を巻き、首の長い竜形を象った。二頭の雪竜せつりゅうを従えたイルミンは、自身も含めて三方から首領の男を襲った。


「うがあああっ!」


 思わぬ側方攻撃に虚を突かれた首領は、雪竜にぎちりと巻きつかれたまま彼方の雪原にずぶずぶと沈んでいった。そこまではいい。問題は術師じゃな。案の定、術師は平然としておる。きゃつにとって、組む賊はいつでも使い捨てなのであろう。


「くっくっく。雪竜使いか。そんなもの、儂には一切効かぬわ」


 哄笑した術師が呪を唱えると、マルタとイルミンの周囲にある雪が、雪竜も含めて残らず上空に巻き上げられてしまった。


「これでもう雪竜は作れまい。こそこそとうっとうしいどぶ鼠め! 鼠ではなく、針鼠になるがよい!」


 巻き上げられた雪が上空で無数の氷矢に変わり、一斉に二人目掛けて落とされた。


「ふうん」


 だが、マルタは動じない。にやっと笑って捨て台詞を切り返した。


「なんだ、結局氷矢だけかい。あんたの術も芸がないね」


 マルタの目配せに気付いていたんじゃろう。その場に屈んだイルミンは、土の上に指で素早く砂竜召喚の紋章を描いた。


く出でよ! ルセラ!」


 雪を取り去れば、その下から土砂が現れる。砂さえ得られれば、イルミンはいつでも砂竜を作れる。元々、私の授けた雪竜の術は砂を得られぬ時の余技に過ぎぬ。イルミンは、砂竜の方がずっと自在に操れるのじゃ。

 先ほどの雪竜とは比べものにならぬほど巨大な砂竜が地を引き裂いて現れ、背にイルミンを乗せて傲然と立ち上がった。


「な、なにいっ!?」


 驚愕している術師の前で大きく口を開いた砂竜は、長い首を振って落ちてくる氷矢を残らず飲み込んだ。雪氷を自在に扱える術師であっても、その雪氷を失えば唯の阿呆に過ぎぬ。慌てて背中を見せた術師に向かって、砂竜が咆哮とともに雪氷を吐き返した。


「ぐおおおおうっ!!」


 術師の退路を塞ぐように渦巻いた雪氷は、激しい竜巻と化して術師をもてあそび、地面に叩きつけた。ぐしゃっ。雪を失った土の上で、術師が無様に潰れる。マルタは無造作にむくろを掴むと、裏の川目掛けて放り投げた。川面の氷が割れる音に続いて、小さな歓声が上がった。


「わあい、久しぶりのごちそうだあ!」


◇ ◇ ◇


 イルミンが呪を解き、砂竜を地に返す。騒擾そうじょうが絶えて、残った音は転がっている雑魚どものうめき声だけになった。こやつらが無防備なマルタに斬りかからなければ、捕り方に引き渡すだけで済ませたがな。己の欲に任せて殺傷を繰り返してきた連中の改悛など、待つ意味はない。庭に出た私は、ネレイスのお代わり用に雑魚をまとめて川に放り込み、そのあと庭を新雪で覆い直した。あとでエルスを遊ばせねばならんからの。


 書庫でスカラの宿題に取り組んでおった子供らとそれを指導していたアラウスカは、騒ぎに気付かなかったようじゃ。それほど短い騒動であったが、イルミンとマルタにとっては得難い実戦経験になったことじゃろう。


 広間に戻って二人をねぎらう。


「二人とも。見事な連携攻撃じゃ。特にイルミンどの。よくぎりぎりまで我慢しましたの」

「はい。せんにゾディアスさまに警告されましたこと。此度身にしみました」

「そうじゃな。イルミンどのの手の内を早々に術師に覚られると、先に狙われて打つ手がなくなりますゆえ」

「ええ」

「たとえ鼠でも、追い詰めると何をしでかすか分かりませぬ。窮鼠侮るべからずじゃな」

「なあ、おっさん。今のって、あいつとあたしたち、どっちが鼠なん?」


 二人を見比べながら、微笑を添えて答える。


「どちらもじゃ。鼠が鼠として生き残るには、まず己が鼠であることを悟らねばなりませぬ。相手が鼠の場合は、己が鼠として優れておれば決して敗れませぬ」

「そうか……」

「されど、鼠のくせに熊や獅子だと自惚れれば」


 暖炉に小さな木っ端を放り込む。それは炎を上げる間もなく、すぐに燃え尽きた。


「鼠どころか、蟻にすら食われまする」



【第三十七話 窮鼠 了】


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