(2)
「ふむ。おもしろいところで店を始めたの」
クレオらが店を構えたのは、村の中心部ではなく村はずれのラズル。私が移動させたスカラのすぐ側であった。買い物に出る村人にとっては不便になるように思えたが……。
「いや、逆じゃな。なるほど。三人の中に誰か知恵者がおる」
世間知らずのテレイン、弱虫のクレオにその知恵が出せるとはとても思えぬ。きっと父親マルコの発案であろう。ふうむ。やるのう。
買い物客でごった返している店先。その客の大半はスカラに来ている子供じゃ。つまり、スカラに行く子供に帰りがけに買い物を頼めば、母親の仕事が一つ減る。子供も同じじゃな。家に戻ってから買い物に行かされるよりはずっと楽になる。しかもラズルは荒れ地だったところで商売敵がおらぬゆえ、売り上げを独占できる。なかなかにしたたかじゃ。
腕組みして店先の喧騒を見つめておったら、店の奥におったマルコが私の姿を認めてすっ飛んできた。
「おお、ゾディアスさま。先だってはとてもお世話になりました」
「いやいや、私は何もしておりませぬ。それにしても」
「はい」
「見事な作戦じゃのう」
「ははは。後から商いを始めるならば、人とは違うことをせねば成り立ちませぬ」
「さようですな。それにしても、ベグレンがよく横槍を入れなかったのう」
「ああ」
マルコが、やれやれという表情で首を振った。
「開店早々にこちらに見えまして」
「うむ。何か文句を言われましたかの?」
「いえ、ベグレンどのの店を丸ごと買い取れと」
がくっ。思わず腰が砕けた。
「な、なんと!」
「ある意味、清々しいほど計算高いですな」
「そうか。客が離れ、使用人からもそっぽを向かれればとても商売にならぬゆえ、資産価値があるうちに銭に替えようと。そういうことじゃな」
「はい。この後、全財産を持ってクレスカに向かうそうです」
「なるほど……」
ベグレンも、恐ろしいほど儲け口を知っておるのう。この国は前王の死去後秩序と安定を取り戻し、国情が落ち着きつつある。そういう国では、物や人の動きが一時的に停滞する。王族が滅したばかりで騒然としておるクレスカの方が、儲けのネタはずっと多いんじゃろう。
じゃが、あやつは困難が来るたびにそこからさっと逃れるという生き方しかせぬ。それもまた、清々しいほど徹底しておるのう。
「のう、マルコどの」
「はい?」
「貴方は、どなたから商売の手ほどきを受けられたのじゃ?」
「ははは。私のは我流でございます。ですが……」
「うむ」
「兵士長は兵士を束ねる仕事。商いで使用人を束ねるのも仕事としては同じでございましょう」
「ううむ、なるほど! 己が動かねば部下も動かぬ。そういうことですな」
「はい。それと、長ならば全てを仕切れるというわけではございません。誰しも得手不得手がありますゆえ」
「はっはっは! そうか。やり手で押しの強いのテレインに仕入れを、店での客扱いを人当たりの良いクレオに任せ、マルコどのは使用人の指揮をする。そういうことですな」
「ご明察の通りでございます。そして」
「うむ」
「ベグレンどのの商いを引き継いだと言っても、それは私どもが動かせる規模を超えておりますれば」
「確かに。統率が難しくなりますな」
「はい。ですので、いずれ部門を区切り、商いのうまい者に暖簾を分けるつもりでおります。身の丈に合った規模で商いたいので」
思わず長嘆息した。
「ううむ。見事じゃのう」
店先を離れてマルコと話をしているうちに、スカラの方角から見知った顔が近づいてきた。
「おお、ゾディアスさま。今日は、何用でこちらにいらしたのですかな?」
話しかけてきたのは、学長であった。
「いや、知り合いがここで店を開くと聞きつけましたゆえ、様子を見に参りました」
「ははは。それはそれは。いや、ミノスさんの店がここで営まれることは私どもにとっても願ったり叶ったりで、とても嬉しゅうございます」
「ほう、何故ですかな?」
「ケッペリアは、商家がとても少のうございます。ものを商う家庭が増えぬことには、なかなかに職が」
うむ。確かにそうじゃ。
「スカラに通う子供たちが店での商いに興味を持ってくれれば、先々やってみようと考える者も増えることでしょう。それは物と銭、人を循環させる原動力になりまする」
「確かに」
「ケッペリアには高等教育の場がありませぬ。その分、こうした実学の場が身近に出来ることは、とても望ましいことかと」
「うむ!」
「それもあって、店を誘致させていただきました」
「はっはっは! 素晴らしいことじゃ」
スカラで学ぶことだけが教育ではあるまい。自らの手で人生を切り開くために必要な才を得る。それこそが学ぶことの意味じゃろうからの。
学長が我々に一礼してスカラに戻った後、気になっていたことをマルコに聞いてみた。
「のう、マルコどの。奥方は、その後こちらには顔を見せましたかな?」
「いいえ。テレインを送り出したところで、もう満足したのでしょう」
「マルコどのは、それでよろしいのですかな?」
マルコはしばらく辛そうに顔を伏せていたが、きっぱりと言い切った。
「海竜の生贄にされた時点で、私は妻を失っております。私にとって、妻はすでに冥府にいる存在。それをいつまでも女々しく恋い慕っていては、何事も前に進みませぬ」
「うむ」
「妻は失いましたが、子供を取り返しましたゆえ、私の責務は全てそこに注ぎ込むことにいたしまする」
賑わう店先に視線を移したマルコが、目を細めてうっすら笑った。
「どうせ生きるのであれば、何かを恨んで生きるのではなく、笑うて生きたいと存じます」
「うむ」
「そう出来たからこそ、私に今の幸福があるのでしょう」
「竜への恨みは奥方とともに冥府に置いてきたと。そういうことですな」
「はい。それでは、失礼いたします」
笑顔を絶やさぬまま店に戻るマルコの、誇らしげな背中を見つめる。それから、高くなり始めた空に目を移し、ふっと息を吐いた。
私もベグレンも、そしてマルコも。決して柔軟な生き方ではない。されどそれぞれに信じる生き方……信念があって、どうしても曲げられぬ。えらく窮屈じゃが、己の意思を貫くことしかできんのじゃ。
店先の喧騒に押されるようにして踵を返し、道に一つ独り言を落とした。
「冥府に送ったもの。冥府に入ってしまったもの。それは、見ること思い出すことは出来ても、取り返すことが出来ぬ。奪還は永劫に能わぬ。そういうことじゃな」
◇ ◇ ◇
屋敷に戻った後、アメリアの樹下で会談した時しつらえた泉を術を解いて片付けた。それは私の意図ではなく、サエラのたっての依頼であった。嫉妬に狂った海竜は、サエラを囲い込むために、サエラに繋がる
いかな海竜の娘とはいえ、陸で暮らす以上海への退路はない。母はあなたがすでに冥府に行ったものと考えるゆえ、覚悟して自力で己の人生を切り拓いてほしい。母親が娘に送る言葉としては冷酷に思えたが、サエラが二人の男の夫という立場を振り切るためには接点の解消がどうしても必要だったのであろう。
私がサエラから得た依頼報酬は、一粒の真珠であった。マルコが婚儀の時にサエラに贈ったもので、海竜に連れ去られた後もサエラがずっと隠し持っていたと聞いた。マルコもサエラも、互いへの思慕を重ね合わせることはもう能わぬ。その想いはすでに冥府にある。そういう……ことか。
「いずれ、葬儀をせぬとな」
【第三十三話 冥府 了】
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