第三十三話 冥府
(1)
家族再会を果たしたクレオの一家のうち、海竜のもとに帰ったサエラを除く三人は、すぐにケッペリアで商売の準備を始めた。私は助力を申し出たが、マルコに丁重に断られた。
「苦労を知らぬまま商いに手を出すと、必ず失敗いたします。何をどこでどのようにして商うかを事前によく調べて万端の準備を怠らず、己の役割と限界を自覚しつつ身を粉にして働く。それらは、自ら研鑽を重ねなければ身につきません」
ううむ。さすが兵士長を務めていただけのことはある。ただ因業なだけのベグレンとはまるで
◇ ◇ ◇
間も無く、マルコたちが店を始めたという風聞が伝わって来たので、すぐマルタに買い出しを言いつけた。買い物から戻ってきたマルタの機嫌がよいゆえ、クレオの店の出足は上々なんじゃろう。どれ、一応確かめておくか。
「のう、マルタ。クレオの店はどうじゃった?」
「ああ、すっごい繁盛してるよ。あのテレインていう女の子、やり手だわー」
「はっはっは! やっぱりな。見た目に騙されると、ごそっと持って行かれるじゃろうて」
「まあね。でも真っ直ぐで嫌味がないから、あたしは好きだな」
さもありなん。外見はともかく、中身のたくましさはマルタによく似ておるからな。それより……。
「ベグレンのやつ、クレオに余計なちょっかいを出さんじゃろうな」
「そんな場合じゃないでしょ」
「ん? どうしてじゃ?」
買い物かごを床の上にどんと放ったマルタが、にやりと笑った。
「あたしは、おっさんのからっとしたところが好きだから、ここで働くのは全然嫌じゃないけどさ」
「む! そういうことか」
「あんなごりごりの因業親父に朝から晩までこき使われるのは、誰だっていやでしょ」
それもあって、ベグレンには温和な方法で諌めを試みたんじゃが……。あいつは、最後まで銭を数えることしかしないのであろう。
銭は信用を数字に変えた符牒のようなものであり、
ベグレンはぎりぎりまで使用人の給金を絞り、さりながら仕事には多くを求めるのであろう。じゃが、食うや食わずの家が多い貧しいケッペリアでは、給金を払うてくれる者が王じゃ。ベグレンのえげつない仕打ちに、誰も文句を言えなかったんじゃろうな。
田舎の細々とした商いのやり方では、人を雇うどころか己が食うていくだけでも精一杯。やり手のベグレンに比肩する店は、これまで現れようがなかった。じゃがクレオはベグレンの店で働いておったゆえ、使用人の気持ちがよく分かっておる。ベグレンの仕打ちに心が折れそうになっていた女たちを誘ったのであろう。辞めて、うちで働かないか、と。
同じ給金であれば、ベグレンの店のように搾取されぬクレオの店は天国であろうな。クレオは元の同僚たちの
「予想はしておったが、ベグレンが全てを失うのも時間の問題じゃな」
「まあね。客だけじゃなくて、店の人も大事だってことかあ」
「はっはっは。ここもそうじゃ」
「ふうん」
「ここに留まること。ここを出ようとすること。それぞれに
「おっさんも?」
「そうじゃ。シアもグレタもお主もじゃよ。雇用は支配とは違うゆえ」
「そっかあ……」
腕組みしたマルタが、うーんと考え込んだ。
「それは男女の間も同じでな」
「へ?」
そっち系には全然興味のないマルタが、ひょいと首を傾げる。
「クレオとテレインの間にどのような関係が定まるか。それでこれからが変わる。今は、まだまだじゃろうなあ」
「ふうん。美男美女の組み合わせだけどなー」
「はっはっは! じゃが、中身が日陰の花のクレオと、超肉食系のテレインの組み合わせでは、そのまま支配関係が固定してしまう。クレオがどこまで我を張って、踏ん張れるかじゃのう」
「うわ、めんどくさ」
思わず苦笑する。こやつは、こやつは、誰かを想い誰かに想われることがあるんじゃろうかのう。今は、隣に誰かを伴うことなどとても予想が付かぬが。
「さて。ソノーたちがスカラから戻ってくるな」
「おっと、食事の支度をしなきゃ」
「頼むな」
「ういーっす」
大きな買い物袋を苦もなく持ち上げたマルタが、きびきびした足取りで厨房に向かった。私は視線を窓外のメルカド山に移し、大きく一つ溜息をついた。
「ふうっ。あやつは……いつここを発つと言い出すじゃろうかのう。性が風ゆえに、先が全く読めぬ」
◇ ◇ ◇
マルタの話を聞いて少しだけ気になることがあったゆえ、夕刻久しぶりにぶらりと村に降りた。
「む!」
なんと! それまでベグレンが屋台を連ねて商品を並べておった場所には、すでに何もなくなっていた。
「それほど早くに雪崩が起こるものか?」
魔術師の私が、逆に魔術をかけられたようであった。もちろん、商品だけではなく客も使用人もおらぬ。ベグレンが店におる気配もない。完全にもぬけの殻じゃ。
「ううむ。まるで冥府のようじゃのう」
慌てて周囲を見回すと、遥か彼方に賑わいと人だかりが見えて、時折大きな声が響き渡っていた。
「いらっしゃいませー!」
「何になさいますかー」
「お買い得ですよー!」
うむ。おそらくあれがクレオらの始めた店じゃろう。ベグレンのことをなんぞ知っているかもしれぬ。顔を出してみるか。私は、狐につままれたような心持ちでその人だかりの方へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます