第二十三話 士族
(1)
「うそつきいっ!」
秋祭りからの帰り際、私がレクトに教えた友達を作れる二つの呪文。じゃが、レクトはそれを嘘と断じ、烈火の如く怒り狂った。そりゃそうじゃろうなあ。レクトにとってその二つの言葉は、絶対に口に出来ぬ禁句だったからな。
屋敷に来てから今に至るまで、あいつの口から一度たりともありがとうの言葉が出たことはない。してもらうことが当たり前で、それになぜ礼を言わないとならないのか。それは生まれてこの方一度も磨いたことのない、レクトの心の赤錆じゃ。
それでも一緒に遊んでくれるマルタには、言葉に出来ずとも謝意は覚えているんじゃろう。そっちはまだなんとかなる。問題はごめんなさいの方じゃ。
物心ついてからずっと王として振る舞ってきたレクトは、自分と関わる全ての者に常に自分の要求を突きつける。要求が通らない場合、レクトに非があるのではなく、要求を聞けない相手が悪いと考える。自己抑制して他者を優先するという概念が欠けておるのだ。一方的な命令は聞かぬとマルタが突き放したゆえ、要求の表現が和らいだだけで、中身は全く変わっておらん。
スカラでも同じじゃろう。自分より力のある年かさの者が相手では要求も理屈も通らぬゆえ、レクトは誰からも遠ざかることでしか身の置き場を作れぬ。孤立するなぞ自明の理じゃ。されどレクトは、自らを大きく見せることでしか己を保てぬ。非があることを認めるごめんなさいは、己を相手より低く置くこと。それはあやつにとって謝意を示すありがとう以上に邪悪な言葉であり、自己崩壊をもたらす悪魔の呪文に等しいんじゃろう。
まあ、よい。呪文は、使うべき時に使われねばなんの意味もない。嘘っぱちで効果なんかないと放り出すなら、それで結構。未来永劫友達に恵まれぬだけの話じゃ。
あれ以来スカラに行くことを拒否し、またぞろ悪童の本性を剥き出しにしようとしていたレクトに釘を刺した。
「のう、レクト。私がお主に呪文を教えたのは、善意ではない。契約じゃ。お主がそれを一方的に破棄するのであれば、契約違反になる。それには罰を与えねばならぬ」
「ふん!」
「一週間猶予を与える。その間に契約を履行せぬ場合、お主をガタレの竜の餌にする」
「!!」
驚いたのはレクトではなく、アラウスカだった。
「おいっ!」
「控えておれ」
私は、レクトの両肩を持ってぎゅっと握った。
「お主は竜を見たことがなかろう。これから見せてやる」
アラウスカが止める間もなく。私はレクトの胴を掴んで、メルカドの山頂に飛んだ。山頂はすでに分厚く雪で覆われ、噴火口の底にある巣の中では竜が冬ごもりに入ろうとしていた。竜の前に
「就寝前に相済まぬ。突然の訪問をどうか許してくれい」
「おお、ゾディアスか。どうした」
竜がゆっくりと頭をもたげ、私の傍で真っ青になっていたレクトをぎろりと睨んだ。
「なんじゃ、そいつは」
「しょうのない悪童での。根性がとことんねじ曲がっておるゆえ、お主の餌にしようと思うて連れて来た」
首をぐいっと伸ばした竜が、鼻から炎を吹き出しながらレクトを見据えた。
「ううぬ、なんと小汚い。食らったら腹を壊しそうじゃ」
「まあな。じゃがこやつを捻じ曲げた碌でなしがおるゆえ、全てをこやつのせいにも出来ぬ」
「ふむ」
「うわあああん!」
レクトは、恐怖のあまりぎゃんぎゃん泣きわめいた。それを見て眉をひそめた竜が、私に小言を言った。
「やかましいのう。儂はもうすぐ眠りにつくゆえ、外でやってくれ」
「騒がせて相済まぬ。急な謁見を受理してくれたことに、心から感謝する」
「うむ」
「では、これにて」
数分の竜との謁見。じゃがレクトには、恐ろしく長く感じたじゃろうな。そして、私の言ったことがただの脅しではなく、本気だということはレクトにも分かったであろう。屋敷に戻ってから、改めて言い渡す。
「私がお主に授けたのは呪文じゃ。それを使うかどうかはお主の自由であり、私は無理強いせぬ。強いる意味もないしの。それより」
レクトの目前に指を突き付ける。
「マルタの手伝いは、お主の支払うべき報酬じゃ。それを支払わぬのは、お主が嘘をついたことになる。違うか?」
「……」
「いいか? 私はなにも嘘などついておらぬ。先に教えた呪文は誰もが普通に使う。使えば竜とでも友になれる。それは嘘か? 竜と私が交わした会話を思い出してみよ。私は、何度済まぬと言った?」
「あ……」
私と竜のやり取りを思い出したんじゃろう。レクトが慌てて俯いた。
「これから冬ごもりをする竜の邪魔をすることになるのじゃ。それには重々謝っておかねばならぬ。必ずごめんなさいを言わねばならぬ。竜は、私の非礼を許してくれたじゃろ?」
「……うん」
「竜に会うには謁見を前もって申し込まねばならぬ。私はそれを省いたゆえ、本来であれば会えぬのだ。じゃが、竜はとっとと帰れとは言わなかったじゃろ?」
「うん」
「それならば、竜にはきちんと礼を言わねばならぬ。会ってくれてありがとうとな」
ぐうの音も出ぬはずじゃ。しかれど、その感情を優劣是非に押し込まれては意味がない。言い込められたことだけに
「お主は、ありがとうとごめんなさいを勝ち負けで考える。じゃから、どうしても言いたくない。違うか?」
「……」
「それなら、勝って何が得られるか、負けて何を失うかをもっとしっかり考えよ」
レクトの尻をぽんと叩く。
「マルタの手伝いをしてこい。そしてな」
「うん」
「マルタやソノー、メイが、一日に何度ありがとうごめんなさいの呪文を使うか数えてこい」
まだ納得はしとらんだろう。じゃが、レクトは私が言うたのを実行してみようと思ったらしい。ありがとう、ごめんなさいの呪文を自ら使うことではなく、マルタらが日に何度その呪文を使うかを。
素直で優しいソノーやメイは、繁くその呪文を使う。自由人で口の利き方がなっていないマルタとて、性根は曲がっておらん。己に非があればすぐに認めて謝るし、厚意にはきちんと謝意を示す。三人とも、呪文を唱えることでどんな利益があるかなど一々考えぬ。呪文を唱えれば自分も相手も気持ちいい。すっきりと心地よく過ごせる。それだけじゃ。
渋々ではあるがマルタを手伝うことにしたレクトは、その助力にマルタがありがとうと応えたことに驚いたらしい。マルタには特段の意識はないぞ。それは、おはよう、おやすみの挨拶となんら変わらぬ。じゃが、後に残るものが違うじゃろ?
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