10
気がつけばもう夕方になりかけていた。昼過ぎからぶっ続けで練習して、もうヘトヘト。足はガクガク。耳は爆音でバカになっちゃいそうだった。
アタシが疲れてマヌケな音を出したのが、練習終わりの合図だった。それまでは無我夢中で、誰も「やめよう」とか「帰ろう」とか口にしなかった。できるだけ、もうすこしだけ、この瞬間を続けていたかったから。
とりあえず楽器を片づけてから、録音したのを聴いてみようって話になった。テープは途中で切れてたみたいで、いったいどこまで録ってたのかはわからない。でも、間違いなく録れてるはずだった。アタシが日付を読み上げた、あの瞬間から。
音楽室のカセットデッキ。使い方は、ウチにあるコンポと一緒――じゃなかったけど、まあメーカーは一緒だったし。とりあえずアタシにだって再生ボタンがどれかぐらいはわかった。
「じゃあ、流すよ」
みんながスピーカーの前に座ってる。アタシもボタンだけ押すと、一目散にその列に加わった。
しばらくノイズが聞こえた。レコードに針を落としたときみたいな音。いや、レコード持ってないけど。
『七月六日、第二軽音部、初めてのセッション。曲は――ニューオーダー、『セレモニー』』
アタシの声。なんだか遠い。録音環境はやっぱ良くなかった。
『ワン、トゥー、スリー、フォー!』
真哉が叫んで、その直後だ。
スガーン! と衝撃。とんでもない音圧……というよりノイズだ。ドラムの音らしいんだけど、なんか風船が破裂したみたいな音がする。それからベースが入ったけど、なんだか音が曇ってってよく聞こえない。そしてとうとうアタシのギター。でも、音割れしてて耳がキンキンした。
イントロが終わることには気づいてた。あーあ、録音失敗してるって。だって、そのあとのエレンの声が宇宙人みたいにガラガラなんだもん。
よく見れば、レコーダーにはマイクがつながってるんだけど、そのマイクってのがかなりオンボロだった。カバー? みたいな網の部分がはずれて、中の黒いのがむき出しになってんの。どうやらそれで録音してたらしい。正直、聴けたもんじゃなかった。
こうなったら、ふつうガーン! ってくるもの。だけど、アタシはそうは思わなかった。むしろ笑えてきた。壊れたオモチャみたいな歌声と、音割れしっぱなしのギター。低すぎて聞こえないベース。妙に目立つ破裂音のドラム。もうしっちゃかめっちゃか。最悪。でも、おかしくてたまらなかった。
アタシが笑い転げてると、いつしかその笑いがみんなにもうつってた。はじめに真哉がゲラゲラ笑い出して、「なんだこのクソは。クソ以下だ」とか言い始めるの。そしたら、みんな怒ることなく笑いだした。もうおかしかった。
やがてテープは無音になった。どうやらマイクが完全に壊れたみたい。ノイズさえも聞こえない。ずーっと、無音が録音されてた。
アタシがテープを止めることには、みんな何とか笑いをこらえられるようになった。アタシなんて、笑いすぎて涙が出るぐらいだった。
「つぎ録音するときはちゃんとやりかた覚えてこいよ」
真哉が必死に笑いを抑えながら言った。
「分かってるって。さすがにこのマイクは変えないとね」
カバーのはずれたオンボロマイク。それを手に取ると、またみんな笑いだした。
それからひとしきり笑ったけど、もうそのころには音楽が鳴り始めていた。夕焼け空に響く『夕焼け小焼け』。小中学生は家に帰れっていう合図だ。
「……帰らないと」
そう口にしたのはクリスだった。
その意見はもっともで、あの真哉までうなずくぐらい。きっと門限を破ったら外出禁止令か、ドラム禁止令が出るんだろう。
でも、アタシはうなずかなかった。その代わりにこう言った。
「ねえ、帰る前に決めなきゃいけないことがあると思うんだけど」
「……決めなきゃいけないこと……?」
クリスが小首を傾げた。
「そう。大事なことを忘れてると思うんだけど」
「大事なことって何だよ。部活動の申請書なら、職員室前に――」
「違う、違う」アタシは真哉を制止して、「あのね、一番重要なコトが決まってないの」
「……決まってないって……?」
またもクリスが首を傾げた。まったく、こういうときは鈍い。
すると、今度はエレンが口を開いた。
「アノ……名前……もしかして、バンドの名前、ですか?」
「御名答!」
アタシは思わず叫んじゃった。正解者には一〇〇ポイント進呈します。頭の中で正解の効果音が鳴り響いてる。
「バンド名って、いきなり決めるモンかよ。さては南、おまえ何か考えがあって言ったな?」
「よくぞ聞いてくれた。アタシはね、『スティフ・キトゥンズ』がいいと思う」
「スティフ・キトゥンズ……かたい子猫たち、ですか?」
エレンが速攻で訳してくれたけど、正直アタシはこのとき初めてその意味を知った。日本語でどういう意味かなんて微塵も調べてなかった。
「おいおい、おまえそれってジョイ・ディヴィジョンの前身になったバンドの名前だろ。パクリじゃねえかよ。ってか、同じジョイ・ディヴィジョンなら、ワルシャワのがカッコつくだろ」
「ワルシャワってさ、それだとわかりづらいからってジョイ・ディヴィジョンに変えたって話でしょ? ってか、パクってもいいじゃん。レディオ・ヘッドだって、トーキング・ヘッズのパクリだし。そのワルシャワだって、デヴィッド・ボウイの曲からパクったんでしょ?」
「だからって、おまえ……かたい子猫ってなんだよ」
「知らないわよ。でも、カッコいいじゃん」
アタシはそう言って鼻をフンと鳴らした。でも、みんなは納得していない様子。真哉はため息ついてるし、クリスは小首を傾げたまま。エレンも呆然としている。
「じゃあ何ならいいのよ」
「だから、パクリ以外で。なんかこう、オレたちを象徴する名前さ。バンド名ってのは、バンドの顔みてえなモンだぜ」
「象徴って、例えばなによ」
「そうだな……」
と、真哉は頭をひねる。が、コイツのオツムで出てくるはずがない。なにせこのあいだのテスト、偏差値四十を切ってたんだから。英単語なんて、This is a penぐらいしかわかんないに決まってる。
「えっと……」と、今度は偏差値六十のクリス様が口を開いた。「私たち、ネコっていうよりも……その、野良犬のほうが状況的に近いんじゃないかな」
「野良犬かぁ。確かにカッコいいけど、英語ではなんて言うわけ?」
エレンに目線をやる。彼女は即座に訳してくれた。
「うぇる……野良犬、Stray Dogs……ストレイ・ドッグス、ですね」
「いいじゃん、それカッコいい!」
――それに決定!
アタシはそう口走ろうとしたけど、今度はアタシのことを真哉が止めにかかった。さっきの腹いせと言わんばかりに。
「待てよ。イヌってのはイメージに合わねえと思うぜ。あのな、おまえら自分たち姿を鏡で見てみろ。なにが野良犬だ。こんな女ばっかのバンド、イヌより子猫のほうがまだ似合いだぜ」
「難癖つける気?」
「名前とイメージが違うってんだよ。なんだ、さっきの。えーっと……キツンズ? とやらのが合ってるぜ」
――待って。
――いま、アンタなんて言った?
そのとき、アタシの脳裏にバチバチと電流が走った。ような気がした。そう、それはニルヴァーナと出会ったとき。ギターを手にしたとき。初めてジョイ・ディヴィジョンが弾けたとき。そしてさっき、初めてみんなで合わせたときと同じ感覚……。
「……アンタ、いまなんつった?」
「あァ? だから、イヌより子猫のほうが合ってるって……」
「それだよ。野良子猫」
「ハァ?」
「野良子猫……『ストレイ・キトゥンズ』。これだよ!」
その瞬間、第二音楽室は一気に静まりかえった。みんなが頭のなかでその言葉を繰り返していたんだと思う。
そう、アタシたちは、なるべくしてバンドになったんだ。
ストレイ・キトゥンズって名前は、こうしてアタシたちのもとに降りてきた。
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