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――ワタシが必要ですか?
えっと、その。正直なことを言います。ワタシは驚いています。
ワタシ、さっきまで気分良くなかった。なぜなら、図書館の本をなくしてしまったからです。先輩、きっと怒ると思った。だから、もしかしたら、図書館に戻ってないかと考えました。そうしたら、大丈夫。でも、図書館にはなかった。でも、大丈夫だった。なくした本、拾われてました。……あの、ギターの女の子に。
彼女、ワタシが必要だって言いました。
彼女、学校に居場所を作るって言いました。
彼女、ワタシに壁を作っていません。……そんな気がします。ちょっとだけうれしかったです。
でも、バンドするのですか?
ワタシはカバンに入れた歌詞を気になりながら、文芸部の部室に向かいました。先輩、きっとそこに居ると思って。
文芸部、一階の国語準備室にあります。昇降口に向かう途中、南校舎です。
先輩、いました。
国語準備室の前、廊下の水道のところ。水を飲んでいました。
きゅっ、って蛇口をしめます。先輩、ワタシを見ました。
「あ、ちょうど良かった。恵憐、渡したいものがあって」
「本、ですか……?」
「そうそう。昨日落としてったでしょ? 親切な人が拾ってくれてね。私が預かってるから、ちょっと待ってね」
先輩、いったん教室に入りました。それからすぐにカバンを持って戻ってきました。右手には、ワタシが落とした本、あります。
「ほら、今度は落とさないようにね」
「アリガトウゴザイマス……」
「いいって。それは拾ってくれた人に言って」
――拾ってくれた人。
あの、ギターの女の子。
ワタシをバンドのメンバーに入れたい。ボーカルがほしいと言ってました。ワタシが、歌を……?
先輩、今日は部活がなかったみたいです。ワタシと一緒に昇降口まで来てくれました。
「読みやすいかどうかは別として、あのシリーズは二巻からが面白くなるかな。ちょっと長いけど」
「そう、ですか……?」
「うん。まあ、また今度借りに来なよ。月土はいつでも図書館にいるしさ」
先輩、やさしいです。
ワタシ、怒られると思ってました。本を大事にしなかったから。でも、そんなことありませんでした。
本の話、するの楽しいです。話してくれるの、楽しい。先輩、壁を作らないから。
昇降口まで来ました。先輩は三年生の下駄箱。ワタシは一年生の下駄箱に行きます。
そのとちゅうで、ワタシたち女子生徒三人とすれ違いました。彼女たち、クスクスって笑っていました。ウケる、というやつです。クスクス笑って、まるでワタシのことを見ているみたいでした。
先輩、その人たちのことちょっとイヤそうに見てました。でも、ワタシだまってました。なぜなら彼女たち、ワタシのクラスメートだったからです。
「おぉ……でぃあ……!」
ワタシの下駄箱。開けたとき、声が出ました。靴、たいへんなことになってました。白とピンクのスニーカー。ドロだらけでした。真っ黒。ワタシみたいに、真っ黒。履けそうにないです。
ワタシのその声を聞いて、先輩が飛んできました。先輩も、その靴をみました。真っ黒、泥だらけにされたスニーカー。
「どうしたのこれ、泥だらけじゃない!」
「……ワカラナイ、です。ワタシ、なにもしてません」
「誰かがやったってこと? あ、きっとさっきの連中……!」
先輩、そう言ってさっきの三人を追いかけようとしました。でも、ワタシ止めました。なぜならあの人たち、ワタシのクラスメートだからです。クラスの人、みんなワタシに壁を作ります。もうこれ以上、壁を作りたくないです……。
「先輩、大丈夫です。大丈夫、ですから」
「こんなひどいことされてるのに、黙ってるの? こんなのひどい」
「大丈夫です。……洗えば、履けます」
「でも……」
「大丈夫です」
先輩、怒っているみたいでした。ワタシ、それがうれしかった。
でも、こういうことをされるのは、当然だと思います。ワタシ、ふつうじゃないから。仕方ないって……。だから、我慢します。そう考えてました。
ワタシは靴を持って、昇降口近くを水道に向かいました。靴がぬれるのはイヤです。しかし、ドロがついたままでは履けません。
先輩、ワタシに付き合ってくれました。ドロを洗うの。でも、先輩はやはり満足していない。
「……恵憐、本当にいいの?」
「なにが、です?」
水道の水。鉄のようなにおいがします。血のようなにおい。指が冷たい。
「私、あなたの気持ちわかるわ。一年のとき、私もいじめられてたから」
「いじめ……?」
「そう、いじめられてたの。クラスの女子にね。私、クラスでいつもひとりぼっちだった。それで無駄に正義感が強いからさ。……あるときね、こっそり学校にお菓子を持ち込んでる子を見つけてね。注意したの。そうしたら、次の日から誰も私の言うこときいてくれなくなった。無視され始めたの。半年ぐらい、ずっとそんな調子だった……。でも、いまはもう大丈夫。どうしてだと思う?」
ワタシは首をかしげました。
「私には居場所があったから。文芸部っていうね。私、文章を書くのが好きだった。文芸部には、そんな私の書く物語が好きだって言ってくれる人がいたの。クラスでは嫌われ者の私でも、好きだって言ってくれる人がいた。文芸部って居場所があったから、私は学校に来れた。
恵憐、私はあなたのこと友達だと思ってる。図書館は、私とあなたの居場所の一つ。……でも、私は今年で卒業。あなたのこと守ってあげたいけど……。来年からは、できない」
先輩、震えています。
居場所。
ワタシは、ふつうじゃないから。ここにいてはいけないんだ、と思っていました。
でも……居場所、ワタシにも必要です。
あの子の言っていたこと、思い出しました。
『アタシたちは、自分たちの力でこのクソったれな学校に、自分たちの居場所を作ろうとしてるの。この学校を、ロックで変えようとしてるの』
*
家に帰ったとき、ワタシ驚きました。パパとママがいたからです。仕事の休みで、戻ってきたといいます。
久しぶりに家族でご飯食べました。家には、ワタシの居場所があります。祖母の料理。ママはワタシに学校のことを尋ねます。パパは日本語をがんばってしゃべります。ワタシよりもうまくない。でも、祖母はパパを息子のように扱っています。
ここがワタシの居場所です。でも、それは家の中での居場所です。学校の居場所ではありません。
みんなで夕食を食べてから、ワタシは部屋にこもりました。ベッドに寝て、天井を見ながら考えました。彼女が言っていたこと。彼女、ワタシが必要だと言いました。ワタシがほしいって言いました。ワタシ、ふつうじゃない。でも、彼女はそんなふつうじゃないワタシが必要だって言ってくれた。
――そこが、ワタシの居場所ですか?
自分に聞きます。
でも答えてくれません。
ワタシは、クリアファイルに挟んだ楽譜を手にしました。ニューオーダーの『セレモニー』です。歌詞、ぜんぶ英語。ワタシなら歌える……きっと。彼女たち、それを必要としてる……。
目で歌詞を追っていると、誰かがドアをノックしました。パパでした。
「
「
英語でしゃべるの、久しぶりな気がしました。
パパは背が高いです。ドアの縁に当たってしまいそう。
パパはワタシの部屋に入ると、すこし部屋を見回しました。部屋のなか、あるのはベッドと机、いすだけです。宿題のプリント、辞書、教科書。それ以外、何もないです。楽譜以外は。
パパは床に座りました。目線の高さが、ベッドに座る私より少し低いです。
「エレン、学校はどうだ。楽しいか?」
「うん……」
ワタシ、曖昧に答えました。いつもウソついてます。祖母にも。ママにも。
「そうか。クラブ活動はどうした? 結局、どこに入ったんだ?」
「それがね……ちょっと決めかねてるの」
「決めかねてる? 何がやりたいんだ? ブラスバンド?」
首を横に振ります。
「じゃあ、合唱部? いや、テニス部か。いや、待ってくれ。……分かったぞ、生徒会だな」
もう一度、首を横に。
パパは困ったような顔をしました。
「音楽……歌なの」
「合唱部か?」
「えっと……軽音部、入らないかって言われてる。英語で歌える人、探してるって」
「それはいいじゃないか。それは、エレンにしかできないことだ」
「えっ……?」
言葉、漏れました。
ワタシが呆然としていると、パパはワタシの隣に座りました。肩を寄せて。
「パパもな、楽団で英語を教えているんだ。多くのメンバーは海外の音楽大学に留学しててね、一応は喋れるんだけど、でも、やっぱり無理があってね。そこでパパが英語を教えているんだ。代わりに日本語を教えてもらう約束でね。はじめは、楽団のみんなにもうまく馴染めなかったよ。でも、そうやって自分にしか出来ないことをして、パパは楽団のなかに自分の居場所を作っていった。みんなと仲良くなっていったんだ。
だから、エレンはパパと一緒だ。自分にしか出来ないこと。自分が必要とされているっていうことは、すばらしいことだ。だったら、ぜひそれをやるべきだとは思わないか?」
「そうだね……。うん……そうだね、パパ」
「よし、それでこそ僕の娘だ」
パパはそう言うと、ワタシの頭にキスをしました。そして部屋から出ていきました。
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