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 結局、その日アイツは学校に現れなかった。ただアイツが不登校ってことだけが分かって、ついでにアタシがヤツにプリントを渡す任務をあたえられただけ。ハッキリ言って、厄日だ。

「そうそう、どうしても話したいなら、彼の家に行ったらどうかな。ついでにプリントも渡してくれるとありがたいんだけど……」

 椎名先生は、ああ見えてずる賢いんだと分かった。黒縁メガネにポニーテール、ベージュのカーディガンっていう大人しめの雰囲気なのに。やってることはかなり抜け目ない。今度から気をつけようってアタシは心に決めた。


 そういうわけで、アタシとクリスは森真哉アイツ宛のプリントを持って、下校することになった。幸いだったのは、アイツの家がアタシのマンションから近いことだった。

 学校から歩いて十五分。大森荘と名付けられたアパートがそうだった。アパート……というには、ずいぶん寂れていたけれど。黄ばんだ壁に、錆びきった手すり。その二階にまた錆びた玄関があって、表札には「森」と書いてあった。

 インターホンを押してみると、扉越しにチャイムが聞こえてきた。でも、それから一分ぐらいしても返事は無かった。誰かが歩いてくるような足音も、なにもない。

 もう一度押したけれど、反応は同じ。無反応。まるでアイツの態度をそのまま現したみたい。気分屋でテキトー、勝手気まま。まったくアイツを思わせる。

 ――またアタシをコケにして!

 しびれを切らしたアタシは、もうインターホンには頼らないことにした。ボタンを押してた右手を握り拳に変えて、それを思い切りドアにぶつけたのだ。

「こら! いるのはわかってんのよ! 森真哉! 出てきなさい!」

「か、奏純ちゃん……ちょっと強引すぎない……?」

「あんなヤツ、これぐらいがちょうどいいのよ。ほら、とっとと出てきなさい! アタシは一組の南奏純! アンタに届け物ついでに文句言いに来たのよ!」

 ドンドンドン!

 ……ダメだ、出てこない。

 何度か玄関を叩いてると、手が疲れてきた。自然とペースが乱れていって、最後にはよろけた調子で叩いて、手が止まった。

 するとその直後、ガチャリとカギが開いたのだ。ドアはかすかに開いて、その向こうからジャージ姿の森真哉が姿を現した。

「うるせえし。リズムをキープできてねえ。クソみてえな叩きだ。聞いてらんねえ」

「誰がアンタんちの玄関でドラムなんてやるか! プリント届けに来たのよ。受け取りなさい」

「そりゃどうも。じゃあ、帰れ」

 言って、彼はアタシの手からクリアファイルをひったくって、玄関を閉めようとした。

「あっ、このやろっ!」

 ――そうはさせるか!

 アタシは強引に手を突っ込んで、玄関を無理に開いた。彼もまた強引に閉めようとしたけど、アタシはそれをくい止めた。ドアを閉めたいアイツと、開けたいアタシ。力比べになった。

 ――冗談じゃない! コイツをギャフンと言わせるまで、アタシは帰らないんだから。

「ちょっと話をしない? ちょっとでいいからさ、ねえ」

「なんの話だよ?」

「部活と、それからアンタがなんで学校に来ないかって話」

「断る」

「話してくれるまで、アタシ帰らないから。ずっとここにいるから」

「なんでオレにかまう?」

「アンタが先にアタシにかまったんでしょうが」

「オレは忠告しただけだ」

「だったら、アタシにも忠告させてよ」

 そのとき、アタシはこれでもかというぐらい力を込めて、むりやり玄関を開け放った。彼はアタシの馬鹿力に呆然としていた。アタシ自身も、火事場の馬鹿力に驚いていた。

 アイツは目を白黒させてから、すぐに諦めたみたいに息をついた。

「……なんだよ忠告って」

「アンタ、なんで学校来ないの。なんでアタシたちのとこへドラムだけ叩きにくるの?」

「腹いせだ」

「何への?」

「クソ先公への。あんな掃き溜めみてえな学校にいてどうする。気が滅入るだけさ」

「椎名先生、心配してたよ。アンタ学校来てないってさ」

「椎名って、あのクソアマか。アイツは何の力もねえアホだよ。谷本に丸め込まれてるんだ」

「谷本って……あの生徒指導の?」

「ああ」

「角刈りで、いつもジャージ姿の、あの?」

「そうだ。あのクソみてえな顔した、脳味噌が腐ったウンコよりスカスカのファック野郎だよ。……アイツはオレを目の敵にしてる。アイツは、自分に反抗的なヤツが気に食わねえんだよ。教師と生徒って上下関係に心酔してんだ。それがそのまま自分の力なんだって信じきってる。きっとそうさ。

 しかもアイツは、その上下関係がわからない生徒には力ずくで教えようとするんだ……。だからオレが何をしようが、アイツは勝手にオレに文句をつけてくる。生徒のためとか何とかクソみてえなゴタクを並べてな。だったら学校に行かねえほうがマシだって思ったのさ。

 おかげで学校に行かなくなったとたん、お袋が校長に呼び出されて学校に行くことはなくなった。ああいう手合いは、黙ってりゃいいんだよ。面倒が消えたら、そのまま放っておくんだ。しょせん先公なんざ、生徒のことなんて微塵も考えちゃいねえ。黙っておとなしくしてりゃ、どうでもいいのさ。……だから学校には行かない。ドラムを叩くのは、その憂さ晴らしさ。たまにはそうしないと、怒りで誰かを殴りたくなっちまう……たとえば、谷本とかな」

 アイツはそこまで言うと、喋りすぎで酸欠になったのか、深呼吸をしてみせた。

 彼の深い吐息が漏れるいっぽう、アタシたちは黙っていた。なんて言えばいいのか、よくわからなかった。クリスはアタシのうしろでオドオドしているし、アイツは悟りきったような顔をしている。

 ――こんな学校の、こんなクソ教師は、放っておくよりほかない。ファック野郎は、なにをしたってファック野郎さ。

 アイツの顔は、無言でそう語っているように見えた。


「……わかったなら帰れ。オレはあんなクソだめにはいたくねえ。おまえらもせいぜい注意しろよ。第二軽音部を作ろうなんて、それはすげえ考えだが、あの学校に丸め込まれたら終わりさ。ウチの兄貴みたいにな」

「そうやって、アンタは逃げるんだ」

「は? なんだって?」

 アタシは、気が付けば勝手に口を動かしていた。クリスは、『気に入らないなら、自分でやろうとするところ』がアタシらしいって言ってた。それは合ってるけど、ちょっと違う。アタシは、自分の好きなことしか――自分の考えしか眼中にないんだ。だから、勝手にそういうふうに動き出してしまう。

「アンタ、逃げてるだけじゃない。そうやって、アンタのいうクソ軽音部からも、クソ教師からも。いいように丸め込まれて、被害者ヅラして、安全な場所から文句タレてるだけじゃない。

 一つ認めてあげる。アンタ、口は最高に悪いよ。これでもかってぐらい、最高に。見ていて気持ちが良かった。アタシが感じてた違和感を、ズバッと言い表してくれたみたいで……。でも、アンタはそれを本人の前じゃ言えないでしょ」

「……どういうこった?」

「そのままの意味よ。アンタは、安全な場所で陰口たたいてるだけ。ワイドショーを見ながら総理大臣に文句をタレてるのに、選挙にいかない主婦と一緒。……口はあるけど、行動しない」

「……ナメてんのか、おまえ」

「そう、ナメてんのよ。悔しかったら行動しなさいよ。少なくとも、アタシはやった」

「……黙れ。帰れ」

 バタン。

 彼は思い切りドアを閉めて、直後にはカギをかける音もした。チェーンをかける音も。二度と開かないようにしてるみたいだった。

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