第十三章 Precious(2019/4/21)

第十三章 Precious (1) 前触れ

 少し街を歩いただけで高らかな鈴の音が聞こえてくる。視線を動かすとあちこちに点在するイルミネーションがこちらを眩しく照らしている。商業施設の前は特に顕著で、頭がからっぽになりそうなほど陽気なリズムでクリスマスソングを流してくるから性質が悪い。


 十二月も中頃を過ぎ、いよいよ来週がクリスマスというこの日。浩は首に巻いたマフラーを手繰り寄せ、きゅっと目を細めた。

 別にクリスマスに恨みがある訳ではないけれど、この時期の中途半端に浮かれた雰囲気が心底苦手だった。できるだけ早く立ち去りたくて、足取りも知らず知らずのうちに早くなる。


 今日の浩は背中に黒の縦長のバッグ、右手には白と橙のビニールバッグを下げていた。無論自分のに関するものである。年明けまで秋葉原に行くことができなさそうなスケジュールだったので、今日は心行くまで浪費するつもりでいた。実際びっくりするほど諭吉先生が旅立って行ったが後悔はない。例によって全部宅配で買ったものは自宅に届くので、浩はそれをサンタクロース代わりに心待ちにすることに決めていた。


 さて、精神的に満足したのでアトリエに戻ろうとすると、浩はイリヤから携帯にメッセージが届いていることに気が付いた。


 ――ちょっと買ってきてほしいものがあるんだけど。


 今日のイリヤはアトリエで鉱石の加工を行っているはずである。素材が足りなくなったのだろうか。そう思った浩が「いいよ。何を買えばいいの?」と返信すると、イリヤは驚くべきものを所望した。


 そんな訳で、浩はひとり五反田までやってきたのだった。

 イリヤのおつかいを済ませた浩は、その手にあるビニール袋をちらちらと横目で見ながら川沿いを歩く。少し風が冷たかった。空を仰ぐと暗く湿った雲が一面に広がっている。


 これは降るかもしれない。

 そんなことを考えていると、突然コートに突っ込んでいたスマートフォンが鳴った。取り出し画面を覗くと、イリヤからのメッセージが届いていた。


 ――買えた?


 たった一言、そのように書かれている。浩は表情ひとつ変えず、いつも通りの淡々とした様子で指を走らせる。


 ――買えた。アトリエに戻る。


 それだけを書いて、送信。


 ポケットに再びスマートフォンをしまいこむと、「それにしても」と浩は思う。

 まさかイリヤがこんなことを言い出すとは思ってもみなかった。この六年、どんなに勧誘プレゼンしてもその領域には一切近づこうとはしなかったのに。


 一体何の前触れだろう。

 まさかイリヤが突然「人形が欲しい」と言い出すだなんて。

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