Extra.3 鎌倉市、とあるホテルの一室にて
「君って、難しいことを考えているときは何故かコンビニ飯を買い漁るよね」
宿泊先のホテルに戻り、浩はイリヤの分の手続きを追加した――もともと浩が借りた部屋がダブルだったので、人数を追加するだけで足りた――。彼らの両手にはそれぞれひとつずつ、それなりの大きさのコンビニ袋が握られている。
さて、エレベーターに乗り客室へ向かう途中、浩が苦笑交じりに口を開いた。それが冒頭の一文である。
強い精神的な負荷がかかったときやあれこれと難しいことを考えているとき、イリヤはコンビニに走り少しだけ無駄遣いしてくる癖があった。浩が彼と同居を始めた頃からすでにその癖は見られたのだが、「まあ、自分の浪費癖よりはマシだろう」と思い好きにさせていた。
その言葉を耳にしたイリヤは何だか言いにくそうに言葉を濁らせていたが、ややあってのろのろと口を開く。
「これね、はじめは缶詰だったんだよ。スーパーに行って、世界の缶詰を買い漁るの」
「うん?」
「日本に来たら、近所でそういう缶詰が売っていなくてね。どうしようかと思っていたら、コンビニでほぼ同じ値段を出すとそこそこ美味しいものが食べられると知って」
「うん……?」
イリヤがなにか変なことを言っている気がする。否、彼が変なのは今に始まったことではないけれど、いつにも増して変だ。浩が怪訝な顔をしたところで、イリヤが浩の心の声を察したらしい。
つまり何が言いたいかというと、と彼は声色を落とす。
「――チープな味がするもの、時々食べたくなるでしょ?」
ああなるほど、と浩はようやく納得した。それなら理解できるし、自分にも心当たりのある行動である。
「そういう気持ちになったとき、俺はホールケーキを一人で食べているよ」
「うん、知ってる。ひとりフードファイトみたいになっているやつでしょ」
その現場を初めて見たときはさすがに驚いた。そんなことを言いながら、イリヤは微かに遠い目をする。
確かに一度だけ、浩はその姿を目撃されたことがあるのだ。わざわざ彼が寝静まった深夜に起き出して、室内灯を付けると気づかれるような気がしたのでアロマキャンドルだけを点けて。そこまで用意周到に事を進めていたにも関わらず、珍しくイリヤがのそのそと起き出してきたために全てが台無しになった。なんともタイミングの悪い男である。
あのとき言われた言葉は今でも忘れない。浩は気まずくて、思わず明後日の方向を向いた。
「『傾国の美女ならぬ美青年が深夜にひとりで淑やかにホールケーキをかっくらう姿は、思いのほかシュールだからやめてくれ。せめて昼にしてくれ』、だっけ。あの日俺が言ったのは」
イリヤがさらりと言う。
「本当の傾城傾国なら、ホールケーキに噛みついていても十分にきれいだと思うけどね。というか、なんでみんな俺を指してそう呼ぶの。間違ってない?」
「実際に国を傾けたからだろ。忘れたとは言わせない」
客室の鍵を開け中に入ると、二人は両手に携えていたコンビニ袋をテーブルの上に置いた。浩はそんなことあったかな……と呟き、ややあって「ああ」と口を開く。
「石油王に拉致されたやつ? あったね、そんなことが」
「あれはさすがにどんなギャグかと思ったよ。ベタなハーレクイン小説でもあんな展開にならない。サガラだってあの件についてはおかんむりだったろう」
本当に、君ってば――とイリヤはぶつぶつと文句を言っている。
そんなことを言われても連れ去られたのは本意ではない。気づいたらそうなっていたのだから仕方がないではないか。
浩は要約するとそんなことを返しながら、今度こそスリーピースのベストを脱いだ。外から帰ってきたばかりで暑いはずなのに、なんだか背筋に妙な寒気が走っている。
空調のせいだろうか。そう思いながら、浩はイリヤへ向き直る。
「さて、と。食べながらにする? それともあとにする? 君の好きにしたらいいよ。気の済むまで付き合ってあげる」
そう問いかけると、イリヤは困ったように肩を竦めて見せた。
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