第129話 その座を賭けて
口元に咥えたタバコから煙を燻らせながらクロードは壁に掛けられた時計を見る。
死連闘の儀より時刻はまもなく1時間が経過しようとしていた。
「・・・そろそろ行くか」
咥えていたタバコの火を目の前の灰皿へと押し付けて消すと、灰皿の中に放り込む。
闘技場へ向かおうと椅子から立ち上がろうとした時、影の中からアジールが顔を出す。
「おっと、その前に来客みたいだよ」
「客?」
相棒の言葉にクロードが控室の扉の方に視線を向けると、外から誰かが扉をノックする。
「クロードさ~ん。いますか~?」
殺伐とした空気の漂うこの闘技場に不釣り合いな明るい声にクロードは困惑した表情を浮かべる。
「ルティア嬢?どうしてここに・・・」
どうして彼女がここにいるのか?そんな疑問が脳裏を過る。
確かに彼女はクロードを通じて組織の関係者となったが、ファミリーの人間ではない。
だから1人ではこの地下闘技場へ来る事はおろか、そもそもこの場所の事さえ知らないはずだ。
(考えられる可能性は1つあるが・・・)
考え事をしている間に通路側の扉が開かれ、ルティアが室内を覗き込む。
「クロードさん。いませんか~?」
「ああ、ここにいる」
クロードを見つけたルティアはその顔に喜色を浮かべると、すぐに扉の向こうに頭を引っ込める。
「せんせ~い。クロードさんいましたよ~」
扉の向こうにいるもう1人に呼び掛けるルティアの声が、クロードの予想が当たっていた事を伝える。
しばしそのままで待っていると、扉の向こうからルティアと一緒に白い魔法衣に身を包んだ1人の老人が入ってくる。
それが誰かなど見間違うはずもない。大魔術師ブルーノ・ラグランジュだ。
「どうやら今日の大一番には間に合ったようだな」
「
ブルーノがこの場にいる事に不思議そうな顔をするクロード。
何故彼がそんな顔をするのか分からずブルーノは小首を傾げる。
「何も不思議な事はないだろう。私はファミリーの相談役なのだから」
「いえ、確かにそうなんですが、俺の知る限り
「・・・そういえばそうだな」
クロードの指摘にブルーノは確かにその通りだと頷き返す。
組織に属する他の者と違ってブルーノはこういった野蛮な争いは好きではない。
だからこういった場にはほとんど顔を出した事がない。
たまに出てきたとしてもアルバートから頼まれて仕方なく顔を出す程度だった。
そんな人間が己の意思を曲げて自らこんな場所に足を運んだのだ。不思議に思うのも無理はない。
「言われてみれば確かにクロードの言うとおりだな。私とした事が随分とらしくない事をしている」
そう言ってブルーノは自嘲の笑みを浮かべるとクロードの元へ歩み寄り、その肩を叩く。
「だが仕方あるまい。私にも師匠として弟子の晴れ舞台を見届ける義務がある」
「
「そうではないが少し心配はしている。なにせ今回は大勢が見ているからな。精霊術と
「・・・やはりお見通しでしたか」
「当然だ。私はお前の師だからな」
そういうとブルーノは軽く肩を竦めて見せる。
ブルーノはクロードを指導した身としてある程度はその能力について知る数少ない人物。
彼がクロードの能力で知らない事があるとすれば、興味のない格闘に関する部分とアジールの真の実力くらい。
そんな彼だからこそ、クロードの置かれている状況もよく理解している。
一方、そんな事情を知らないルティアが不思議そうに尋ねる。
「あの~、どうして
「
「僕の使える攻撃系の術だと闘技場の観客にまで被害が出かねないからね~」
影の中からクロードの説明に割り込んできたアジールが自慢げに語る。
2人の説明を聞いて事情を理解したルティアは何度も頷く。
彼女の納得が得られたところでブルーノが話を元に戻す。
「それでどう戦うつもりだ?」
「魔術刻印主体で戦おうかと」
「つまりは接近戦か。符術や結界術は使わないのか?」
「はい。今回の相手は近接主体なので詠唱が必要な術は使い勝手があまりよくありませんから」
「それだけが理由か?」
「そうですね。あとは相手と同じ条件で戦った方が盛り上がりますし、向こうが負けた時に言い訳できませんから」
クロードにとって今日勝つ事は絶対条件だが、ただ勝つだけでは意味がない。
ファミリーの人間が大勢見ている前で相手を捻じ伏せ、どちらが上かハッキリさせなくてはならない。
そんなクロードの答えを聞いてブルーノは少しだけ残念そうに溜息を漏らす。
「少し残念だな。久々にお前の術の仕上がりを見てやろうと思ったのだがな」
「で、あれば尚更
「・・・こいつめ」
お互いの顔を見て笑いあう2人。
その姿は師弟というよりも仲のいい友人の様にルティアの目に映った。
「まあいい。殴り合いに興味はないが、魔術刻印を使うというならルティアを連れてきて正解だった」
「どういう事ですか?」
「ん?私が彼女に兄弟子の活躍を見せる為だけに連れてきたとでも思ったのか」
「それは・・・まあ、少しだけ」
クロードの返事にブルーノは思わず呆れたような顔をする。
「私もそこまで暇ではないし、女子供に好き好んで泥臭い殴り合いを見せる様な特殊な趣味の持ち主でもない。ルティアを連れてきたのは彼女にお前の魔術刻印を見せる為だ」
「俺の魔術刻印を?」
「そうだ。私がいつも言っている通り魔術というのは理論と実践。座学で教えるだけでは十分ではない。やはり実際に稼働している物を見せる事で得られるものもある。お前も魔術に携わる者ならばわかるだろう」
「は、はぁ」
熱っぽく語りだすブルーノにクロードの表情が僅かに引き攣る。
普段は物静かなこの老人も魔術が関わると、別人のように性格が変わる。
今も何かと理由をつけているが本当はブルーノ自身が仕込んだ魔術刻印の性能を確認したいだけな気がする。
「そういう訳だからクロード。客席から刻印が見えるように上着などは脱いで戦いなさい」
「流石にそれはちょっと・・・」
「これも魔術の発展と妹弟子の為だ!」
「いや、妹弟子も何も俺は正式な弟子じゃないんですけど」
「なら私からの頼みだと思ってくれ!」
詰め寄ってくるブルーノの圧力に堪らずにクロードは白旗を上げる。
「ハァッ、分かりました。
「そうか。分かってくれたか」
「ええ、まあそうですね」
納得したというよりは強引に押し切られた格好だが、敢えてそれは口には出さない。
言ったところで時間の無駄だというのは長い付き合いで理解している。
そうしてクロードが諦めの溜息を漏らすのを見ていたルティアが心配そうに声を掛ける。
「クロードさんはその条件で大丈夫なんですか?」
「そうだな。少しばかりキツくはなるが、
そう言うとクロードは着ていた黒のロングコートをおもむろに脱ぎ始める。
何事もない様に言ってはいるが、コートがないのはクロードにとってかなりの痛手だ。
アジールの持つ固有能力に”黒の領域”というものがあり、それは契約者が身に着けている"黒色"を己の領土とし外敵からの攻撃を阻む力を付与する効果を持つ。
つまり黒のロングコートを着ていれば、アジールの能力でコート自体が鎧や盾の役割を果たす。
逆に言うと黒を纏っていないと、クロードの防御は一気に低下する。
当然ながらブルーノもその事を知っている。
それを知った上で敢えてそうしろと言っているのだからクロードは従うしかない。
コートやYシャツを脱ぎ去り、上半身を曝け出したクロードにルティアは思わず見入ってしまう。
その肉体は筋肉質であるものの無駄がなく、それはまるで磨き上げられた剣か、美しい彫刻の様だった。
「・・・キレイ」
「ん、何か言ったか?」
「あっ、いえ、なんでもありません」
自分の口から自然と零れ出た言葉に恥ずかしくなってルティアは顔を真っ赤にして視線を逸らす。
年相応の少女らしい反応を見せるルティアに、クロードは小首を傾げながらブルーノに視線を戻す。
「これでよろしいですか
「そうだな」
満足そうに頷くブルーノにクロードの口から自然と苦笑が漏れる。
そうこうしている間に控室の外が少しずつ騒がしくなってきた。
どうやらお喋りの時間はここまでのようだ。
「それでは
「うむ、健闘を祈っておる」
「頑張ってくださいねクロードさん」
2人に見送られ部屋を出たクロードは廊下を進み、場内へ出る。
場内を見渡すとウォルフレッドの時とは違い、観客席はクロード派とレッガ派で2分されており両サイドから応援とヤジが交互に飛び交っている。
「レッガの兄貴やっちまってくださいよ!」
「ぶっとばせぇ!クロードの兄貴!」
ヒートアップした外野同士の罵声が頭上を飛び交う中を進クロードは観客席に目を向ける。
ラドルやロックといったボルネーズ商会の仲間達の姿やクロードについてくれた幹部達の姿。
反対側の席にはアシモフ達反クロード派の幹部、そこにいる兄カロッソと妹レイナの姿。
敵対勢力の席から心配そうにこちらをみる妹の姿を見てクロードはポケットの中から青いリボンを取り出す。
その場で足を止め、長い髪を後ろで1本に纏めるとレイナから受け取った青いリボンで髪を後ろ手に縛る。
遠めにその様子を見ていたカロッソがレイナの方を見る。
「あれってさ。レイナちゃんのリボンじゃなかったっけ?」
「・・・・知りません」
「ふ~ん。そっか~」
恥ずかしそうに視線を逸らすレイナを見て、カロッソはニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべる。
もちろんカロッソの事だから全てお見通しなのだろうという事は分かっている。
それでも彼の思惑通りに動いたと認めたくなくてレイナは何も言わない。
そうやって義兄が義妹をおもちゃにしている事など知らぬクロードは、闘技場の中央まで進み出ると顔を上げる。
視線の先にはレッガが腕組みをして仁王立ちで立っていた。
「遅かったな」
「すいません。少し話が長くなってしまいましてね」
「フンッ、俺との勝負を前に随分と余裕だな」
静かでそれでいて鋭い視線を向けてくるレッガ。
その辺のゴロツキであればそれだけで怯んでしまうであろう眼光をクロードは平然と受け止める。
「そうでもありません。日々忙しくゆっくり休みを取る余裕もありません。もっとも辺境に飛ばされて暇を持て余している方はどうか知りませんが」
クロードの放った一言にレッガ側についている者達の空気が凍り付く。
それはレッガにとって触れられたくない自身の現状を揶揄する言葉。明らかな挑発。
その言葉を聞いたレッガの表情がみるみる怒りに染まっていく。
「しばらく見ない間に随分と生意気な口を利くようになったものだな」
「おかげさまで」
相手の怒りなどまるでどこ吹く風と気にする素振りさえ見せないクロードに、レッガは腕組みを解いて拳を握る。
「大層な口を利くからにはそれなりの覚悟は出来ているんだろうな。俺に一度も勝った事がない若造が」
「過去の事を持ち出すのは勝手ですが、それが今日勝てる理由にはなりませんよ」
「ならば今日は本気で俺に勝てると?」
「当然です。そもそも勝つ自信がないのなら最初からこの場に立ってはいません」
言葉を交わす度、両者の間の空気が緊張感を増していく。
「いいだろう。ならばその自信がハッタリでないとこのオレに見せてみろ」
「言われずとも今からその体に刻み付けて御覧に入れますよ」
正面で睨み合った両者は互いに拳を引いて動きを止める。
訪れる束の間の静寂。
誰かが息を呑む音すら五月蠅く聞こえる程に静かな時間の中、向かい合った2人は目の前の相手だけを見据える。
時間にすればほんの数秒の後、前触れもなく放たれる拳が戦いの始まりを告げる。
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