第107話 その身に宿した悪の性 4

瓦礫の上に悠然と立つクロードの姿にフィーベルトは思わず奥歯を噛みしめる。


「クゥッ」


我が身までも囮として魔力消費を省みず放った捨て身の一撃。

そうまでして放った一撃を受けたにも関わらず、立ち上がったクロードには額から流れる血以外に目立った外傷はない。

フィーベルトの方は術の発動と同時に邪精霊が防壁を張ってなんとか重傷を負う事は避けられたが左腕はへし折れ、左耳の鼓膜も破れて音が聞きとれない。

傍らに立つ邪精霊の方も魔力消費の大きい術を放ったせいで魔力残量は残り僅か。

2人共が文字通り満身創痍の状態。

ここまで我が身を犠牲にしたのだからせめて腕の一本でも折れていてくれないものかと切に願うフィーベルト。

だが、そんな彼の願いも空しく黒き死神は額から伝っていた血を拭い去ると、何事もなかったかのように軽く肩を回してみせる。


「クククッ、ようやく面白くなってきたんだ。もう少し粘って見せろ」


肩の調子を確かめたクロードは大きく目を見開くと無防備に前へと踏み出す。

ただそれだけの事なのにフィーベルトは圧倒されて後ろへと一歩後退る。

纏った黒衣の内側から溢れ出す闘争心に飲み込まれそうだ。


「まさか、これ程とは・・・」


理性という仮面の隙間から微かに覗いた獣の本性。

この姿を見るまでは死力を尽くして挑めば僅かでも勝てる可能性があると思っていた。しかし、その見立ては甘かったのだと思い知らされる。

こちらは立っているのさえやっとな状態だというのに、クロードの方は未だに余力があるどころかこの男の力の底は未だに見えない。

目の前に突き付けられた事実を前に、もはや勝機など欠片程も見出せはしない。


「例えそうだとしても、まだここで折れる訳には!」


弱気になりそうな心を血が滲むほどに歯を食いしばって耐え、振り上げた拳を膝に打ち込んで震えを無理やり止めてフィーベルトは今一度我が身を奮い立たせる。

どの道ここで敗れれば生き残ったとしても自分に待つのは絶望の未来しかない。

瓦礫の中に埋まっていた折れた鉄パイプを掴み取ると、槍の様に中断に構える。

人狼もまたその隣に寄り添うように立ち、拳を構える。

心身ともに擦り切れる一歩手前の状態でありながら未だ折れない2人の姿にクロードは心からの高揚感を覚える。


(これならまだまだ遊べそうだな)


流石に全力で殴れば邪精霊はともかくフィーベルトの方は即死は免れないだろうが、この様子なら少しくらいはセーブを外してもいいかもしれない。

日頃あまり表に出す事はないが、クロードもまた強者との戦いに飢えている。

争いに事欠かない日常を送っていたとしても、強者とは中々巡り合えない。

だからこそ強く思う。強者との戦いの飢えを満たせるのは強者との戦いだけだ。

目の前のご馳走を喰らわんと突き進むクロードの肩の上で突如、影が蠢く。

黒い影が水泡のように大きく膨れ上がると、形を成して黒鳥が姿を現す。


「ふぃ~、さっきのはちょっぴり危なかったね」


クロードの左肩の上に現れたアジールはまるで緊張感のない声でそんな言葉を漏らす。こちらの意図していないタイミングでの相棒の登場にクロードが僅かに不機嫌そうに表情を歪ませる。


「どうしたアジール。何か用か?」

「別に~そろそろ出てくる頃合いかなと思ってね~」


おどけた様子で答えるアジールに、クロードはやれやれと肩を竦める。


「そういえばさっきは何故手を出した。俺1人でやると言っておいた筈だぞ」

「はて、何の事だい?」

「恍けるな。直撃の瞬間に防壁の強度を上げただろう」

「アララ、やっぱりバレてたか」


悪びれる様子もなくうそぶく相棒にクロードは呆れた様に溜息を吐く。

先程の一撃、まともに受けていればこの程度の軽傷で済むはずがない。

そんな事は少し考えればすぐに気づく。

アジールとは長い付き合いだからそれぐらいは分かっている筈だ。


「余計な真似を・・・」

「だったら直撃を喰らって怪我した方が良かったかい?一応言っておくけど中々いい一撃だったよ。下位とはいえ結果的に僕の防壁を貫通したんだし」


アジールはクロードの掌に残った額の血の痕に嘴を向ける。

物理での攻撃や他の魔法とは違い大気を伝播する彼らの魔法はクロードが全身に纏う薄い防壁越しに衝撃を伝え、その身に届いていた。

確かにまともに喰らっていれば死にはしないまでも全身何ヵ所かは骨折し、しばらく身動き出来ない状態になっていただろう。


「別にいいじゃん。僕らは正々堂々の果し合いをしている訳じゃないんだ。相手の攻撃を律儀に喰らってやる理由はないだろ?」

「・・・・・」

「折角のご馳走を堪能したい気持ちも分かるけど、今は他にやる事があるでしょ」


アジールの言葉にクロードは黙ったまま憮然とした顔をする。

別にアジールの言っている事が間違っているとは思っていないし、彼の言葉に納得していない訳でもない。

ただ、ようやく面白くなってきたこのタイミングで水を差された事に不満を感じているだけだ。

ただ、アジールは気まぐれでこんな事をしたりはしない。

こういう行動を取る時は大抵何か狙いがある。


(今回はさしずめ落ち着けといったところか)


恐らくクロードが遊びに走れば加減を間違って誤って殺しかねないと考えたのだろう。実際、その危惧は妥当だと思う。

目的を忘れた訳ではないが戦いにのめり込めばのめり込むほど、加減と言うのは難しくなる。大方それを危惧しての横槍といった所だろう。


(俺としたことがどうやら久しぶりに骨のある相手を前にした事で少し冷静さを欠いていたらしい)


目先の欲に駆られて自分を見失いそうになるとは我ながらまだまだ未熟。

その事を自覚すると同時にクロードの体から戦いへの熱が引いていく。


「まったく、過保護な相棒を持ったものだな」

「酷いな~。そこは感謝する所だよ相棒」


互いの顔を見て憎まれ口を叩きあった2人はいま一度目の前の標的に目を向ける。

戦いへの渇望が完全に消えたわけではないが、今はそれよりも優先すべき事がある。

少し脇道に逸れそうにはなったが、ここまでは概ね想定通り。

後は目の前の2人の全力を受け尽し、無力化すればこの戦いは決着する。


(ならば俺は予定通り行程を完遂し、この戦いを締め括るとしよう)


己に言い聞かせるように心の中で呟くと、クロードは前を向き拳を握る。


「仕込みは終わった。あとは仕上げをするだけだ」


クロードの言葉に答える様にフィーベルトと邪精霊が正面から突っ込んでくる。


「ウォアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「ガルァアアアアアアアアアアアアアッ!」


咆哮を上げて飛び込んでくる2人をクロードは堂々と迎え撃つ。

先にフィーベルトの持つ間合いの長い鉄パイプの鋭い先端が飛び込んでくる。

その先端を体に届くより早く真横から手で払い、先端を折り曲げる。

だが、そんな事には構わずフィーベルトは体ごと鉄パイプを押し込んでくる。

突如、フィーベルトの隣を走っていた邪精霊の爪が彼の握る鉄パイプの中ほどを斜めに斬り裂く。

その瞬間、今しがた殺傷能力を失った1本の鉄パイプが2本の鋭利な凶器へと早変わりする。


「セァッ!」


フィーベルトは短く鋭くなった鉄パイプの片方をクロードへと投げつける。

至近距離からの投擲ながらクロードは半身を後方へ反らして難なくこれを躱す。

そこへ追撃すべく邪精霊が拳を振り上げて襲い掛かる。

右手の先には歪んだ空気の層が形成されている。

先程の魔法攻撃に比べれば威力は劣るもののまともに喰らえばダメージは避けられない。


「フンッ」


相手が拳を振り下ろすよりも早く右足を鋭く蹴り上げて、邪精霊の体を後ろへと蹴り飛ばす。


「ガッ!」


弾かれた邪精霊の体が弾んで後ろへと下がる。

直後、邪精霊の背中を飛び越えてフィーベルトが頭上へと飛び上がる。


「ハァッ!」


右手に持った短い鉄パイプの先端をクロードの首筋目掛けて振り下ろす。

クロードは咄嗟に左腕を振り上げて鉄パイプもろともフィーベルトを払い除ける。


「ぐぅっ!」


空中で大きく体制を崩されたフィーベルト。

その胴に拳を打ち込むべく、クロードが左腕を引く。

だが、そこへ体勢を立て直した人狼が低い姿勢のタックルを仕掛けてくる。


「チィッ」


猛烈なタックルを受けてクロードの体が瓦礫の上を真横へ滑る。

体勢を崩して地面に落ちるフィーベルトから自分にしがみつく邪精霊へ標的を変えたクロードは左腕を振り上げると、その背中目掛けて思い切り振り下ろす。

ドンッという地鳴りの様な音と共に、邪精霊の体が地面へと叩きつけられる。


「中々しぶとい」


そう零すクロードに向かって正面から刃の欠けた斧が大きく旋回しながら飛来する。


「彼女から離れろ!」


突如響いた大声に声のした方に目を向けると、瓦礫の中から金属片を拾い上げたフィーベルトがこちらを睨む。


「どいてほしいなら、自分でどけてみろ」

「言われずとも!」


叫び声と共にフィーベルトが一直線にクロードに向かって走り込んでくる。

左右に持った鉄パイプと金属片を操り、連続して繰り出される攻撃。

クロードはそれらを両拳を使って打ち返していく。

両者が真正面から打ち合っている隙に起き上がった邪精霊はクロードの右手側面へと回り込むと、クロードの死角側から飛び上がり、クロードの後頭部目掛けて蹴りを放つ。

蹴りが届くよりも一瞬早くクロードはフィーベルトの持つ鉄パイプの先端を左手の指先で千切り取ると、右拳を叩きつけて弾き飛ばす。


「グァッ!」


後ろへ反り返るフィーベルトと眺めつつ、殴った反動を利用して素早く腕を頭の高さまで振り上げ、そのまま人狼の蹴りを受け止める。


「お返しだ」


腕で蹴りを受けた体勢からクロードは宙に浮いた状態の邪精霊を右足で力任せに蹴り飛ばす。

人間相手に直撃すれば体を真っ二つに出来る威力の蹴り。

人間のフィーベルトに当てれば間違いなく必殺の一撃だが、相手は精霊。

精霊相手ならついうっかり加減を間違えて殺してしまう心配もない。


「っ!?」


蹴られた邪精霊の体が大きく後方へと吹っ飛び瓦礫の山に叩きつけられる。

山に埋まった人狼を追うようにクロードの右手が移動する。


「ここまでの努力を称え、お前達に面白い物を見せてやる」


クロードの視線と邪精霊の姿が重なる直線状でクロードの右手が動きを止める。


星神器召喚コール・ジ・アストライオス

「なにっ!」


クロードの放った言葉を聞いたフィーベルトは一瞬自分の耳を疑う。

だが、そうなるのも無理はない。それは世界でもごく一握り、文字通り神に許された者にしか口にする事が出来ない言葉なのだから。

信じられないといった様子の彼の目の前で黒金色の現実が死神の手の中に顕現する。

と、同時にクロードは先程千切り取った鉄パイプの先端を拳の中に握りしめる。


魔弾の生成者バレットメイカー、発動」


左手の中でコンマ数秒の内に4発の銃弾が生成される。

すかさずそれを右手の魔銃のシリンダーを振り出して弾込めし、シリンダーを戻した銃の先端を人狼の方へと向ける。

何をしているのかフィーベルトが理解するよりも早くクロードの手の中の魔銃が火を噴く。

耳を打つ炸裂音の直後、銃弾を受けた人狼の左肩が消し飛ぶ。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


被弾から一拍遅れて人狼の悲鳴が周囲に響き渡り、支えを失った左腕がまるで朽ちて落ちる枝の様に地面に落ちる。


「馬鹿な!この距離を魔法も使わずにどうやって!」


いや、それよりも問題なのはクロードの手の中にある武器の形状だ。

あの姿、それにあの力どこかで聞いた覚えがある。

加えてあの男の顔半分を覆う大きな三本傷。何故かは分からないが微かに記憶の片隅に引っ掛かるものがある。

フィーベルトが動揺と思考の狭間にいる間にクロードの手の中の魔銃が邪精霊の両足を射抜く。

両足を失った邪精霊は無様に瓦礫の山の上に無様に倒れ伏す。


「クッ!やめろぉ」


フィーベルトは思考を放棄し、とにかくクロードの攻撃を止めるべく走る。

最短距離を全力で駆け抜け、間合いに入るなり武器を手に襲い掛かる。

しかし、その動きをまるで予知していたかのように、クロードの右手の銃が邪精霊からフィーベルトの正面へと移動し攻撃を受け止める。


「終いだ」


その言葉が耳に届くのとほぼ同時にフィーベルトの腹部を凄まじい衝撃が襲う。

ミシミシとアバラ骨が折れる音が全身から伝わり、肺の中の空気が一気に体外へと吐き出される。

目の眩む様な激痛にフィーベルトの体は耐えられずにその場で膝をつく。


「ゴオッ・・・アアアア・・・」


目の前で火花が爆ぜ視界が明滅する中。

それでも必死に追い縋ろうとフィーベルトはクロードに向かって手を伸ばす。

顔を上げた先に太陽の光を背に浴びる男の姿が映し出される。

その瞬間にフィーベルトがかつて見た一枚の手配書の記憶が呼び起こされる。


以前から何度か風の噂に耳にした事があった。かつて"英雄"と呼ばれたある男の噂。

その者は手に小さく黒き鉄の姿持つ龍を携え、龍が放つ小さき火弾をもってしてあらゆる魔を祓ったという。

しかし、その英雄はどういう理由があってか10年前に聖王や仲間であったはずの英雄の1人を殺して聖王国から脱走。

その後、聖教会が総力を挙げて追っている最上位の犯罪者。


「まさか・・・・生きていたと・・・いうのか。"魔弾の英雄"・・・酒木 蔵人」


掠れるよう声でその名を口にしたフィーベルトの前でクロードに向かって風が吹き、その顔に刻まれた三本傷を白日の下に晒した。

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