第106話 その身に宿した悪の性 3
クロードを間に挟んでフィーベルトと邪精霊が身構える。
両者の放つ空気が先程までと違い殺気が圧を伴ってクロードへと向けられる。
淀みない真っ直ぐな闘志を身に受けてクロードの体の奥底で小さな炎が揺らぐ。
(ああ、この感じ久しぶりだな)
久しくなかった強者を前にした時の高揚感。
背中から頭に掛けてマグマの様な熱が駆け上がり、鼓動が高鳴る。
自然と相手を迎え撃つべく握った拳に力が篭っていく。
「さっきまでよりは楽しませてくれるんだろうな?」
「その慢心。我が剣で後悔に変えて見せよう」
「やれるものならやってみろ」
クロードの言葉を合図にフィーベルトと邪精霊が同時に地を蹴って前に出る。
まず先に仕掛けたのはフィーベルト。
踏み込みと同時に上段に構えた剣を首筋目掛けて袈裟掛けに振り下ろす。
衣服の黒い部分への攻撃が通らないと判断した上で唯一生地の白いYシャツ部分を狙っての攻撃。
(攻め手としては正解。だが・・・)
こちらもそんな大振りをもらってやる程鈍くさくはない。
受ける事も弾く事も出来たが、ここは敢えて攻撃を躱すべく一歩下がる。
風切り音と共に目の前を空気もろとも引き裂くようにして刃が駆け抜け、剣の軌道が大気中に無空の孤を描く。
「まだ当たらないな」
「承知している!」
顔を上げたフィーベルトの目がギラリと鋭い光を放つ。
その時、背後へと回り込んでいた邪精霊がクロードへと迫る。
しかしその動きもクロードには見えていた。
(ニ対一での戦闘は片方が気を引いている間にもう一方が相手の背後を取る。
普通の相手に対してなら十分に有効な攻撃手段だが、日頃から多対一での戦闘に慣れているクロード相手にそんな手は通用しない。
拳での打撃であれ、爪での斬撃であれ、例え先程の魔法であろうと、攻撃であればどんなものであろうと応じる用意は出来ている。
(攻撃のタイミングで振り返って出会い頭をカウンターで潰す)
相手との間合いが詰まる中、後ろに下げた左足を軸に一気に後ろへと体を捻る。
体が邪精霊の方を向いた瞬間、掌をこちらに向かって突き出した邪精霊の姿が映る。
(掌だと!)
その手の形を見た直後、クロードの全身が見えない何かにぶつかる。
邪精霊が張った見えない空気の防壁に行く手を阻まれたクロードの体が反動で後ろへと押し返される。
カウンターの体勢に入っていたクロードの動きが止まり、そこへすかさずフィーベルトが姿勢を低くして突っ込んでくる。
「もらった!」
「チィッ」
背後のフィーベルトがどんな体勢で迫っているかクロードからは見えない。
体のどこを狙っての攻撃か分からない状況でクロードは視界の端に微かに映ったフィーベルトの姿から足回りへの攻撃だと判断し、咄嗟にコートの中に隠し持っていた道具を掴んで引き抜く。
直後、手にした道具の柄から光が迸り、一瞬で刃を形成して地面へと突き刺さる。
「何っ!」
直撃の寸前で剣の軌道上に割り込んできた光の刃に驚き目を見開くフィーベルト。
その目の前で相手の足首を斬り裂くはずだった剣は行く手を阻まれ弾かれる。
予想外の反撃に体勢を崩しながらもクロードの横を通り過ぎたフィーベルトは、すぐさま振り返って剣先をクロードへと向け直す。
だがその表情には未だ驚きを残したままになっている。
「それは・・・聖典騎士団の魔道兵装"聖光刃剣"!どうしてそんなものが!」
現状への認識が追い付いていないフィーベルトの前で、クロードは地面に突き刺さった光の剣を左手で引き抜くと鋭い切っ先を相手の方へと向ける。
「なんだ。こいつの出所が気になるのか?」
「・・・私にとっては見過ごせない得物だ」
「まあ、そうだろうな」
フィーベルトの話では彼の祖国を滅ぼしたのはソグニデア王国を中心としたアーデナス教を崇拝する国家の連合軍。
当然、アーデナス教本部から背教者殲滅の命を受けた聖典騎士団も派遣されていただろう。
つまりクロードの持つ剣は彼にとって仇と呼べる者達が使っていた武器という事になる。
もっともクロードが手にしているのは第八区画での照霊騎士団との戦いの後、ミュハトが使っていた魔法剣を密かに戦利品として頂戴しておいた物でしかない。
だからこの剣とフィーベルトの国の滅亡に僅かでも関係性があるかは分かりはしない。
「気にするな。少し道端で"落とし物"を拾っただけだ」
「聖典騎士団が時に命とも称する武器を落とすだと?笑えない冗談だ!」
闘志をより一層燃え上がらせたフィーベルトが前へ一歩踏み出す。
また怒りに任せて突っ込んでくるかと思ったが、それは違った。
前に出たフィーベルトの動きに僅かに遅れて邪精霊が動き出す。
(ここで仕掛けてくるか!)
多対一を相手にする上で最も厄介なのがタイミングをズラした時間差攻撃だ。
本来、ある程度バラつきのある攻撃の方が捌くのが容易だ。
何せ攻撃が当たりそうな順から処理していけば済む。
しかし、こちらが受け辛い様に意図して攻撃タイミングをズラしてくるとなれば話は変わる。
そうなると途端に難易度が跳ね上がる。特に息の合ったコンビから繰り出される攻撃などクロードでも捌き切るのは至難の業だ。
ましてやまだ邪精霊とは意思疎通が完璧に取りきれていない状況、そんな状態で連携攻撃をどれ程の制度で実現できるか、全てはフィーベルト次第。
「今度こそ獲る!」
闘志に満ちた表情で再び突っ込んでくるフィーベルトにクロードも剣を構える。
咄嗟に抜いたはいいがそもそも剣はクロードの得手ではない。
かつて教会騎士から剣の指南を受けて、実戦でも何度か振るった事はあるが免許皆伝の腕前を持つフィーベルト程の人物が相手だととても比較にならない。
すぐさま剣を捨てて拳で応じた方が遥かに戦いやすいくらいだ。
それでも敢えてクロードは手にした魔法剣で応戦する。
「ハァアアアアアッ!」
渾身の力が入った打ち込みを技ではなく力のみで受け止め、一瞬の誤差を狙って右手側面から爪で突き込んできた邪精霊の手首を右手で捉える。
これで初撃は凌いだ。しかし問題はここからだ。
「ガルァアアアアアアアアッ!」
「オォオオオオオオオオオッ!」
攻撃を止められた目の前の二人が突如吠える。
本当に凌ぐべき猛攻はここから始まる。
フィーベルトは止められた剣を魔法剣の上で包丁を引くように手元へ引き戻し、引いた刃を素早くクロードの喉元へと突き込む。
その一撃を弾こうとクロードも手首を返して剣を切り返すが、その刃はフィーベルトの剣に掠りもせずに虚しく空を切る。
(コイツッ!)
フィーベルトは初動で突くと見せかけてクロードの反応を引き出した所で一度剣を止めた。言ってみれば単純なフェイントだがフィーベルト程の技の使い手ともなると本気の突きとフェイクをほぼ同じモーションで繰り出せる。
それを刹那の時で虚実を見破るのは超人的な反射速度を持つクロードであっても、いや見えてしまうクロードだからこそ難しい。
両手は塞がり反応しきれないと判断したクロードは反射的に足を使ってフィーベルトの腹を蹴り後ろへ下がる。
「ヌゥッ!」
蹴りを受ける寸前でフィーベルトは腹筋に力を込めて耐え踏み止まる。
攻防の間隙を縫って飛び上がった邪精霊の蹴りがクロードの首筋を狙う。
クロードは蹴りが当たるより早く邪精霊の腕から手を放し体を真横に倒す。
倒した体の上を蹴り足が通り過ぎていったのも束の間、蹴りを踏み止まったフィーベルトがクロードの顔目掛けて剣を切り上げる。
「ッ!?」
左手の魔法剣を盾代わりに顔の前に割り込ませ剣撃を受ける。
受けた剣の衝撃を利用し弾かれるフリをして後方へ下がる。
一度距離を取って体勢を立て直そうとするクロードだが、それは相手も見抜いている。
今こそ好奇と一気に畳みかけるべくクロードに追撃を仕掛ける。
足下がまだ不十分と見るや邪精霊が下段蹴りで足元を払い放つ。
例え有効なダメージは通らなくても当たれば転倒させる事は可能だ。
相手の思惑を見抜くと同時に左手に持っていた剣を地面に突き立てそれを支えに体を浮かせて足払いを回避する。
だが当然これで終わりではない。宙に浮いたクロード目掛けてフィーベルトが飛び上がる。
「これで堕ちろ!」
鬼気迫るフィーベルトが剣もろとも突っ込んでくる。
地に足がついていない体が宙に浮いた状態の今なら万に一つも避けられない。
(そう、思うんだろう?)
クロードは剣を握る左手に力を込めると腕の力だけで自身の体を持ち上げる。
(俺にこいつを使わせた事、アンタは誇っていいぞ)
心の中で相手を称えるとクロードは自身に課していた枷の一つを解き放つ。
剣の上に片手立ちという不安定極まりない体勢からクロードは強烈な蹴りを繰り出し、フィーベルトの手の中にあった剣を粉々に粉砕する。
「安物の剣じゃそれが限界だ」
余程の強敵相手にしか見せた事のない当たれば文字通り必殺の足技。
この一撃で得物と一緒に相手の闘志も砕け散る。相手が普通の相手であれば。
「まだだ!」
武器を失ってなおフィーベルトの瞳はまだ死んでいない。
切り札を隠し持っていたのはクロードだけではなかった。
足払いを空振りさせていた邪精霊が真上に顔を向け大きく口を開く。
「放て!
声と共に人狼の喉の奥から雄叫びと共に衝撃波と共に激しい風が巻き起こり、フィーベルトもろともクロードの体を小石のように上空へと吹き飛ばす。
2人の体は暴風に押し上げられて崩れかけの天井を支えていた柱に叩きつけられる。
その衝撃に耐えきずに柱は悲鳴の様な金切り音を上げてへし折れ、支えを失った天井が崩落をはじめ、瞬く間に建物が倒壊する。
そうして全てが崩れ落ちた後、瓦礫の中に何かを脇に抱え立つ人狼の姿。
脇に抱えられているのは契約者であるフィーベルト。
建物が倒壊する直前になんとか彼女の手によって間一髪助け出された。
「なんとか・・・勝てたか?」
人狼に救助された時、クロードの姿が瓦礫に沈んでいくのが見えた。
いくらあの男でもこの規模の崩落に巻き込まれては無事ではすむまい。
そう考え瓦礫の山となった周囲を見渡していた時、瓦礫の一角が大きく盛り上がる。
「まさか・・・」
フィーベルトの背を嫌な汗が伝う中、彼の目の前で瓦礫が吹き飛んで中から黒き死神が姿を現す。
「ああ、まったく酷い目に遭った」
少し疲れた様な口調でそう零した後、男の目がゆっくりと正面を向く。
その額から一筋、赤い液体が頬を伝って地面へと流れ落ちる。
「フフッ、自分の血なんて見たのは何年ぶりだろうな」
地面に落ちた血を見てそう呟いた男の口元が楽し気な笑みを浮かべる。
しかしその笑顔を見たフィーベルトの方はあまりの寒気に身震いする。
別に相手の様子に何か大きな変化があった訳でもないはずなのに、本能が今すぐ逃げろと警告を発し続けている。
動揺し次の判断に迷っている間にクロードの目がフィーベルトの姿を捉える。
「久しぶりの、本当に久しぶりの手応えのある相手だ。だから・・・」
噛みしめる様に言葉を呟いたクロードの体の奥底で、長く眠りについていた獰猛な獣の本性が目を覚ます。
「もう少しだけ俺を楽しませろ」
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