第51話 裏通りでの些事

正午に差し掛かる時間帯、人通りのまばらな裏通りをクロードは肩にアジールを乗せたまま事務所に向かって歩いていた。


「相変わらず陰気な通りだね」

「表と違って混雑してないからいいだろ」


火のついたタバコを片手にクロードが煙を吐き出す。

クロードの歩いている裏通りは普通の人々が行き交う表の通りから道を一本隔てただけの通りであるにも関わらず薄暗く閑散としている。

道の端にはゴミが散乱し、ゴミに埋もれる様にホームレスが寝ている。

通りを歩く人間も見るからに悪そうな顔をした者や一癖ありそうな者ばかり。

巷では普通の人間が間違って通ろうものならスリや強盗に遭うか最悪生きて戻れないと言われており、第七区画に暮らす一般人はまず使わない通りだ。

もっとも"第七区画の烏"と恐れられるクロードにとっては普通の通りと何ら変わらない。大抵の人間がクロードを見るなり目を逸らし、彼を避ける様に道の端へと移動する。


「この通りの連中も随分と大人しくなったね」

「そうだな」


今でこそ顔を見るだけで恐れられる様になったが、それもここ3、4年の話。

アジールがいるのでスリや盗難などの被害に遭う事はなかったが、以前はこの道を通るだけで毎度の様に因縁を付けられていた。

しかしそれも昔の話、今となってはこの辺りの悪党でクロードを知らない者はいない。

知らない者が居たとすればそれはモグリか余所から来た新顔ぐらいだろう。


「ところでさクロード」

「なんだ」

「後ろの連中どうするんだい?」


僅かに首を傾けて後ろの方を振り返るアジールの言葉に、クロードは足を止めて溜息を吐く。クロードの後方、ずっと彼の後を尾けてくる者の気配を感じる。


「昨日より多いな。8人・・・いや、9人といった所か」


自身の背中に集まる視線からおおよその相手の数と位置を特定したクロードがアジールにだけ聞こえる様に小声で呟く。


「手を出してこない辺り偵察といった所か。まったくご苦労な事だ」

「ここ2,3日で急に増えた感じだよね。これも幹部になるって話が広まった影響かな?」

「そうかもしれないな」


既にクロードの幹部推薦の話が正式に発表された日から3日が経った。

クロード自身にさほど大きな変化はないが、クロード周辺は徐々に変化し始めている。

その一つが今みたいに自分の後を尾行したりして動向を探ろうとする人間が増えた事だ。


「以前にも何回かこういう事あったけどさ。今回は特に多いよね」

「これでまだ3日目だからな。先が思いやられる」


今までにも"第七区画の烏"等という二つ名で呼ばれるようになった頃や大きな犯罪組織を潰した時等、何度かこういった事はあったが今回はその時よりも数が多い。

しかもクロードの今までの傾向から考えて尾行者の数は恐らくまだ増えると予想される。


「人気者の辛い所だね」

「まだ幹部にもなっていないというのに気の早い連中だ」

「幹部になったら今よりもっと増えるかもね」

「・・・それは勘弁願いたい所だな」


タバコを咥えたままクロードは心底嫌そうに表情を歪める。

これ以上雑魚に纏わりつかれたところで、いい事等何一つない事は分かり切っている。


「そうは言うけどただでさえ目立つ格好してるんだし難しいんじゃない?」

「別に好きで目立っている訳じゃないんだがな」


クロードとしては今の姿はあくまでもカモフラージュ、変装の一環だ。

こちら側に来た最初の頃に負った顔の痕は手配書にも描かれており目立つ。

長い髪は顔の傷を隠す為に敢えて伸ばしたものだ。

昔は今ほど髪を伸ばしていなかったのでこれだけでも随分と昔の印象と違う。

そのおかげかどうかは不明だが今日まで10年近く追手に見つかる事はなかった。

服装は服装でまた違う理由があり、こっちは術師としての意味合いが強い。

精霊術師は術を使う上で精霊との親和性が重要になってくる。

親和性が高い程、扱う術の制度が上がると言われており、実際その通りだ。

親和性を上げる方法は精霊によって異なるが、一番単純な方法が契約精霊の姿に近い恰好をする事。

なのでクロードはアジールとの親和性を高める為に黒色の服を敢えて身に着けている。

ちなみに部屋のクローゼットには今着ているのと同じ服が後10着用意してあり、他の服は一切持っていない。


「この格好のせいでついたアダ名が"烏"だからな」

「いいじゃんカラス。格好いいでしょ?」


フフンと得意げに胸を反らす相棒にクロードは僅かに引き攣った笑みを返す。

別に烏が悪い訳ではないのだが、クロードしてはどうせ呼ばれるなら龍とか虎とかの方が良かったと思わないでもない。

だが、それを言うとアジールが拗ねるので口には出さない。


「それより後ろの連中どうしようか。なんなら少し片付けるかい?」

「いや、今はいい。しばらくは泳がせておいて問題ないだろう」


放っておいたところで危害を加えて来ることはないだろうし、張り付いた連中を巻く方法などいくらでもある。

どの道こちらに大きな動きがない以上、向こうも何かしてくる様な事はないはずだ。


「後ろにいるハエ共よりも前の方にもっと面倒そうなのが居るぞ」

「ん?どれどれ~」


クロードの言葉に首を回したアジールの視線の先、進行方向上に道を塞ぐようにして立っている体格のいいタンクトップに短パン姿のスキンヘッド男が6人。

手には鉈や棍棒を持っており、只ならぬ雰囲気を醸し出している。

先程から同じところをウロウロと歩き回りながら通行人達に向かって鋭い視線を向けて威嚇を繰り返しており、大いに通行の妨げとなっている。

その動きから誰かがここを通るのを待っている様に見える。


「うわぁ~、見るからに頭の悪そうな連中だね」

「奴等のおつむレベルはどうでもいいが、通行の邪魔なのは確かだな」

「そうだね」


道端に転がる犬の糞を見つけた時の様な気分になるクロード。

その時、犬の糞、もとい道の先にいたスキンヘッドの1人がこちらに気付く。

何やら大声で仲間を呼びつけると全員でこちらに向かって歩いてくる。


「どうやらお目当てはキミだったみたいだね」

「その様だな」


向かってくる男達を前にしてまるで他人事の様な態度のまま歩を進めるクロード。

数分としない内に近付いてきた男達がすぐにクロードの周囲を取り囲む。

ギラついた目でクロードを包囲した男達を前に、クロードは顔色を変えずタバコの煙をくゆらせる。


「長身、痩身、黒くて長い髪と顔の3本傷に凶悪な目つき、コイツで間違いねえな」

「おい、お前が最近噂の"第七区画の烏"か?」

「そう呼ばれているらしいな。俺に何か用か?」

「へへっ、やっぱりそうか」


ご馳走を目の前に出された獣の様に舌なめずりをする男達。

クロードを知って恐れ知らずに向かってくる辺り、地元の人間ではなさそうだ。


「おい、テメエちょっとそこの路地裏まで顔貸せよ」

「何故?」

「決まってるだろ。そこでテメエをぶっ殺すからだよ」


ニタニタとイヤらしい笑みを浮かべる男達にクロードは小さく溜息を吐く。

余程腕に自信があるのか、はたまた4人いれば勝てると思っているのか、どちらにせよこの程度の人数で自分に勝てると思っている時点で彼らが見た目通り頭の悪い連中であるという事は間違いなさそうだ。


「生憎とお前達に付き合ってやる理由がないな」

「うるせえ!お前に選ぶ権利なんてないんだよ!」

「いいから黙ってついてこい!」


相手を威嚇するように大声で怒鳴り散らす男達。

そんな自分達が優位と信じて疑わない彼等の態度にもクロードは揺るがない。

この程度の威嚇で怯むのはこの街ではせいぜいチンピラまでだ。

第七区画の暗黒街に棲む本物の悪党達の前では小鳥の囀り程にも聞こえない。


「こんな奴ら放っておいて早く事務所に戻ろうよ。僕お腹空いた」

「そうだな」

「なっ、カラスが喋った」


クロードの肩で流暢に言葉を話すアジールに男達の視線が集まる。

明らかに驚いている相手の様子に、彼らがクロードの事をロクに調べもせず挑んできていると察し思わずため息が漏れる。


「なんだその鳥、カラスか?」

「お前のペットか?」

「俺の相棒だが、何か問題か?」


クロードの答えに男達は目を丸くして顔を見合わせた後、何を勘違いしたのか大声で笑いだす。


「ギャハハッ!マフィアの幹部になろうって男がペットを連れてるなんてお笑い草だな」

「夜はペットが一緒じゃないと僕眠れないんです~ってか」

「こんなのが幹部なんてこの辺の悪党も程度が知れてるぜ」


笑いながらクロードに向かって侮辱する様な言葉を投げる男達。

だが、そんな男達の顔は次の瞬間には恐怖に凍り付く事になる。

クロードが正面に立つ男に向かって一歩前に出たと思った瞬間、男の持っていた太い棍棒が手から弾かれるようにして後方へと吹き飛ぶ。


「へ?」


遠くに勢いよく転がっていく棍棒の音を背に聞いて、何が起こったのか分からずに呆気に取られた様子で自分の手元を覗き込む男。

さっきまで手に持っていたはずの棍棒がない事を確認する男の視界に突如拳が飛び込んでくる。

拳が視界を埋め尽くすと同時に顔面を衝撃が襲い、男の体が宙を舞う。

その姿を男の仲間達が見上げる中、男の巨体が空中で3度回転して地面に落下する。


「ブギャッ!」


石造りの道の上に叩きつけられた男は醜い断末魔を上げて無様に倒れ伏す。

地面に倒れてピクリとも動かなくなった男の上に、クロードは手に持っていたタバコを投げ捨てると、振り返ることなく言葉を発する。


「遊び相手が欲しいならどこか余所へ行け。俺はお前等の遊びに付き合ってやるほど暇じゃない。それでも来るなら次は加減しない」


それだけ言い終えるとクロードは先程までと同じ様に歩き出す。

しばらくその背中を呆然と見送っていた男達がハッと我に返る。


「なんだったんだ今の。殴った・・・んだよな?」

「オッ、オイ!どうすんだよ」

「やべえよ。滅茶苦茶強いじゃないか」


自分よりも大柄な人間を宙に浮かせる程のクロードの力を前にして狼狽える男達。

流石に目の前で力を見せられてまで強気でいられる程の馬鹿ではなかったらしい。

しかし、それで彼らの置かれている現実が変わるという訳でもない。


「どうするもこうするもやるしかねえだろ!」

「このまま手ぶらで帰ったら俺らが"あの人"に消されちまう!」


目の前の男も確かに脅威だが、自分達の雇い主の方が彼らにとってはずっと恐ろしい。

二つを天秤にかけた時、身に染みて知っている身近な恐怖の方が勝った。

男達は慌ててクロードの背中を追いかけると再び彼を遮る様に横一列に並ぶ。


「忠告はしたはずだが?」

「うるせえ!テメエをやらねえと俺らが消されるんだよ!」

「こっちも命が掛かってるんだ!」

「それにテメエを潰せば大金が手に入る。ビビッてられるか!」


自分達を奮い立たせるように放った男達の言葉。

彼等が不用意に放った言葉の中に紛れていた情報にクロードの足がピタリと止まる。


「なるほど、お前達には飼い主が居るのか」

『あっ!』


しまったと言わんばかりに口を開けたまま固まる男達を見てアジールがクスクスと笑う。


「その飼い主ってのはとんだ間抜けだね。飼い犬の躾がまるでなってない」

「そう言ってやるな。余程の人手不足なんだろう」


そういうクロードの顔には嘲笑する様な笑みが張り付いている。

それが目の前にいる自分達に向けられたものか、はたまた彼等を差し向けた雇い主に向けられたものかは男達には判断できない。

1つ分かるのはその笑みが酷く恐ろしい物に見えるという事だけだ。


「しかし俺の知り合いにそんな貧乏なブリーダーはいなかったはずだが?」

「僕もちょっと心当たりないかな。もしかしたら例のリットンってやつかもしれないね」

「なるほど。その辺は直接コイツ等に聞くとするか」


そう言ってクロードは目の前の男達に向かって手招きをする。


「お前等の飼い主に興味が湧いたから少しだけ遊んでやる。来い」

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