現実逃避行

 夕暮れ時になると、今日1日の終わりが近付いて来た感じがする。


 仕事帰りにスーパーで買い物をして、テレビでも見ながら夕食。そしてコーヒーを飲みながらSNSで友人とやり取りしたり、日記を書いたり。ゆっくりお風呂に入って、ゴールデンタイムのバラエティー番組。日付が変わる頃には布団の中。


 普通ならそうして1日の終わるを迎えるのだろうが、そんな時間、僕は夜、ふと散歩に出たくなる。昼間とは違った夜の空気を全身で感じたくなる。


「徘徊」ではなく、「運動不足解消」と言う大義名分を自分に与えて。


 財布も携帯電話も持たない。腕時計だけを身に付け、スニーカーを履き、玄関を出る瞬間がちょっと楽しい。夜の散歩」と言う名の目的もなく、ただ当てもなく彷徨うと言う行動に、なぜか胸が躍る。


 車を停めているガレージの横を素通りし、会社がある方向に背を向けて歩く。あと9時間後には仕事が始まってしまうと考えると、せめて今だけは心と体を仕事や会社から遠ざけたい。


 いつもなら車であっと言う間に通り抜けて行く道路を、街灯がぼんやりと照らしている。車も人も全然通っていないのに、信号はちゃんと仕事をしていた。9月下旬の蒸し暑い夜、全身にべったりとまとわり付く空気と共に、僕は道路のど真ん中を歩く。


 そう、この感じ……


 みんな寝ているであろう時間にふらふらと出歩く、このフリーダムな感じがたまらない。後ろ向きに歩こうがスキップしようが独り言をぶつぶつ呟こうが、誰も見てないし誰にも迷惑がかからない。


 何度も言うが「徘徊」ではなく、ストレス解消と運動不足解消のための「散歩」いや、ウォーキングである。


 健全な、ね。


「ただ当てもなく彷徨う」とは言ったが、実は最終目的地は決まっている。


 近くの高台の重機置き場。立入禁止にはなっておらず、土砂や丸太が無造作に積まれている。

 昼間に来てもなーんにも面白くないのだが、ここから見える夜景はなかなかのもの。


 いつも見ている物が、少し小さく見える。遠くを流れる車のヘッドライトとテールランプ。


 爆音を響かせながら走るバイクの音、電車の音、パトカーのサイレン・・・


 空には満点の星。


 僕には星座の事は解らないが……


 はるか遠くの鉄塔のてっぺん。赤い航空障害灯がゆっくり点滅しているのを、まるで催眠術にかかったようにずーっと見てしまう。


 寂しいとか、孤独とは違う、世界からほんの少しだけズレた場所にいるような不思議な感覚。おそらく、「非現実」や「非日常」と言うのだろう。


 1日の中のほんの僅かな、そして自分だけの時間。


 訂正しよう。


 徘徊でもなくストレス解消でもなく運動不足解消でもなく、現実逃避であると。


 ……あ、日付が変わった。


 帰ろう。


 自分の家、


 いや、


 現実に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます