回帰小説「蛹の国・冬虫夏草」最終話

 さなぎから這い出た者も、再びさなぎと化すことがある。

 選別している何者かは肉体、もしくは、タマシイに取り憑いている。

 不可視の神は寄生菌のように振る舞い、時間の流れは個人ごとに切り分けられ、それぞれが異なる時間を生きている。

 おれは最初から知っていたのだ。

 いや、から這い出した際に、いくつかの知識を付与されていた。そうでなければ、〈循環過程サイクル〉なんて知っているはずがないだろう?

 おれが這い出したが、恣意的に歪められていることも知っていた。

 人為的な作業がなければ、社会インフラは維持できないはずだが、部分的に維持されている奇妙な世界――。

 歪められたと認識しているのは、おれの五感が届く範囲だけだから、世界の何処までが歪められたのかは分からない。

 すべては徒労だと分かっていた。それでも、うろうろと這い回るうちにまた、さなぎの眠りが訪れた。


 から這い出して、祀を見つけたのは、互いの時間がたまたま合致していたからだ。

 九葉祀はそう記していたが、それが正解なのかは分からない。

 ただ、腑に落ちる説明ではあったから、とりあえず信じている。

 Fもそうだったのだろうか。いや、奴の場合はむしろ、おれの殺意に影響され、おれの時間へ引き寄せられる形で、羽化してしまったような気がした。


 祀が欲しかったのは、持論を語りかける相手だった。おれは祀の都合に最適化された者として、祀の世界へ流れ着いたのかも知れない。

 おれには都合がなかったからだ。Fを殺すという目的はアトから思い出しただけで、這い出した時点では忘れていた。

 適当な寝物語として聞き流し、適当に相槌を打つ異性をベッドへ引き止めるため、祀は身体を与えることも厭わなかった。

 実に合理的な取引だ。基本的には、成人の記憶から発現する性欲を少年少女の肉体で満たすため、繰り返しまぐわっていたが、祀の何割かはと割り切っていた。

 だから、欲情を満たした後は、その日の思索を聞かされる。

 寝物語と呼ぶには過剰な語りを。

 思考から導かれる知識は必要だ。この異常な世界に適応するためにも。


 知りたくもない知識を付与され、苛立っていたは、いくつかのさなぎを破壊したが、中はがらんどうの空洞で、わずかな煙が立ち昇る以外には何もなかった。

 奴らは、奴らの時間、奴らの世界へそれぞれ這い出したアトで、もう此処にはいなかった。

 だが、さなぎを叩き割っていくうちに、殺人鬼としての実感が湧いた。

 祀と出会ったときに、生身の人間で実行すべきかと思ったが、残念ながら、の中で子供の身体へ再構成されていた。

 大人ならまだしも、を殺す子供ではありたくなかった。


 おれと祀の世界は、幼い性器を擦り合わせるチャイルドポルノを演じながら、眺めることで成立していた。

 それは淫らで甘美な空間だった。歳を取って飽きつつあった射精の快楽も若々しく新鮮に蘇っていた。

 おれは二回目のさなぎから這い出したように思っていたが、本当はもう少し大きいへ移っただけだったのかも知れない。

 実際、2人でデパートの中を這い回っている間は安定していた。

 おれの妄念でFという3人目が這い出しかけたが、這い出した瞬間に叩き殺したから、何も起きなかった。

 そもそも、Fはおれだけが知っている子供でしかなく、祀にとっては、だ。

 祀の時間から、Fは切り離されている。

 だとしたら、〈循環過程サイクル〉の理に反し、電話通信網が回復したのはどういうことか?


ぶちまけて孕ませたいイヌのようにマーキングしたいタイプの甘木くんが、わたしの中で増殖した結果です」


 記憶が巻き戻されても、次の〈循環過程サイクル〉へ継承されていくように、定められた時間の理を逃れ、のでしょうか――。


 思い当たったのは、届いたメールの最後と、残されたノートの最後。

「なるほど、ということか」

 巻き戻されても記憶が継続しているように、子宮の中も継続していたのだ。

「……妊娠するはずのない肉体年齢だと、思っていたんだがな」

 九葉祀の胎内に3人目が発生し、おれと祀の時間がズレてしまったのだろうか?

 だが、さなぎはまだ、祀の重さを帯びている。

 何度も抱いたから、よく覚えている。

 おれは、祀のさなぎを破壊するか、そのまま傍観するか、考えあぐねていた。


 結局、湧き上がる殺人衝動を打ち消しながら、待つことを選んだ。

「ああ、久しぶりの夕暮れだ」

 とりあえず、叩き割ることなく眺めていると、窓の外――街に夕暮れがやってきたからだ。

 懐かしいものを見て安堵した一方で、無数の不安も湧き上がってきた。

「此処から先はどうなるのだろうか?」

「久しく忘れていた、暗い夜の恐怖に震えつつ、見たことのない時間をさなぎと共に過ごしていくのか?」

「祀のさなぎの中には、祀と3人目が入っているのだろうか?」

「それとも、再構成された別のものが入っているのだろうか?」

「そもそも、祀のさなぎの背中が割れるまで、おれは少年のまま此処にいるのだろうか?」

「ひょっとしたら、時間の混乱を具現化したような異形──奇妙な進化体へ再構成されたりしないだろうか?」


 裸のおれは、飴色の背中を抱えるように眠ることにした。

 思い出すのは、未熟で狭く、それでいて、ぬるりと呑み込まれる柔らかい内臓粘膜と筋肉の感触だ。

 屹立した茎を殻に擦りつけ、3人目を少し憎悪すると、白濁した胞子液がだらりと漏れ出し、ベッドへ流れ落ちていく。

「中に入っているのは、誰だ?」

 呟くおれは、どうしようもない疎外感に苛まれている。

 いっそ、冬虫夏草のように九葉祀と一体化し、中身を喰らってしまえば、楽になれるかも知れないが、飴色の殻がおれを拒絶している。

に這い出してくるのは、誰だ?」

 だから、眠るまで呟き続けるしかない。

 ひどく滑稽な一人芝居を演じながら、眺めている少年へ問いかけるように。

 次は、人間の眠りか、さなぎの眠りか――。

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