第132話 国王の望み

「それで……。お父さんの容態は……?」

 リリアナが心配そうに訊ね返すと、ポルカは浅くため息を吐いて視線を下げた。

 その物憂げな表情に「そんなにも思わしくないのか」と、リリアナの心がざわつく。

 ポルカは自分の手元を見つめながら、

「ルシハルンブルクの医師によれば、クロッカ病の進行は薬がきちんと作用していて食い止められているから問題ないようなのだけど……。長い間ずっと病に臥せっていた事もあって、元気そうに見えても体が弱っている事に変わりは無かったみたいね」

「……そう、なんだ……」

「何かと過信していた部分はあると思うの。私がサポートをしていたとは言え、以前と同じように動けると思って復帰してからずっと無理をしてばかりいたから……」

 力なく微笑むポルカの表情に胸がぎゅっと掴まれるような気持ちだった。

 レルムが自分を奪いに来る時。それはこれまで一国の主として仕えて来たガーランドに背を向けるという事。

 ただでさえ体が弱ってしまっているガーランドに、更に追い討ちをかけてしまいかねない仕打ちをしてしまうかもしれないと思うと一気に気持ちが重くなる。

 自分の気持ちに素直になるのか、それとも体の弱った父を想い、父の為にもロゼスとの結婚を選ぶのか……。

 黙りこんだリリアナに、ポルカは僅かに首を傾げながら真面目な表情で口を開いた。

「元々体は強い人ではなかったら、無理が祟ったのね。またしばらく安静する事になると思うけど、大丈夫。心配は要らないわ」

「……あの、それじゃ、お父さんに会ってもいいかな?」

「えぇ。そうしてあげて。あなたが帰ってきた事も併せて報告してね」

 リリアナは椅子から立ち上がると、ガーランドが休んでいるという寝室へと向かった。

 扉の前に立ち、一瞬躊躇いを覚えるも意を決して小さくノックをしてから、中を覗き込んだ。すると、ベッドの上に座って書面を見ていたガーランドと目が合った。

「おお、リリアナ。戻ってきたのか」

「は、はい。お父様の容態が急変したと聞いたので……」

 緊張した面持ちで入り口に立っていたリリアナに、ガーランドは手元にあった書面の紙を丸めて横に置いた。

「ははは。大袈裟だな。わしなら大丈夫だ、問題ない。それよりも、そんなところにいないで傍においで」

 ニッコリと笑いながら答えたガーランドに、思ったよりも元気そうでホッと胸を撫で下ろす。

 呼ばれるままに父の傍に歩み寄りベッドサイドに膝をつくと、ガーランドはぽんとリリアナの頭に手を置いた。

「リリアナ。お前も一人前の女として花嫁になる決意をしてくれたこと、わしは心から嬉しく思う。ロゼス王子がこの国に婿入りしてくれるなら何の心配もいらない。彼が息子になると思うと、わしも鼻が高いよ」

 慈しむような優しい眼差しで頭を撫でる父の手に、リリアナの心がズキンと痛んだ。

 ごめんなさい……お父さん……。

 そう心の中で呟いた。

 本当なら、父にも当たり前のように喜んで貰いたい。それでも、自分が決めた道は決して父が望んでいる道ではなく、むしろ傷つけてしまう事に申し訳なさがこみあげてきた。

 大きく暖かな手。だが、やはり力が入らないのかどこか頼りなさげでもあった。

 頭を撫でられている内にリリアナは胸がいっぱいになり、ポロリと涙をこぼした。

「……心配要らない。お前はきっと幸せになる。わしが保障するよ」

「……っごめ、んなさい」

 ガーランドには、リリアナが結婚目前にして少しナイーブになっているように見えているのだろう。

 僅かに俯いて涙を流すリリアナを、なだめるように何度も背中を優しく叩いてくれるガーランドに、ただひたすら謝ることしか出来なかった。




                           *****



 その頃。レルムの仕事を一手に引き受けていたクルーが自室で山のような書類と対峙していた。

 レルムが担っていた仕事を請け負って以来、目まぐるしいほどの忙しさの中、ただひたすらに黙々とこなしていると、あっという間に一日が終わってしまう事ばかりだった。

 クルーは激務過ぎる仕事に、自室に新たに構えた職務机にてペンを走らせていた手を休め深いため息を吐いた。

「はぁ~……ハードすぎる……。こんな仕事を一人で片付けてたなんて、凄いな」

 目の前に山と詰まれた書類の数々に何度吐いたか分からないため息が零れる。

 今の自分にはレルムの仕事量の約半分を消化できればいい方だ。彼のレベルに追いつけるのはまだしばらく時間が掛かるに違いない。

「少し気晴らしにでも行くか」

 一度ペンを休めてしまったら、気分はすっかり休憩モードに入ってしまう。

 クルーは席を立ち上がると部屋を出て、中庭へと向かう。するとそこには、いつもの修道服ではなく普段着姿で静かに本を読むパティの姿があった。

「……」

 こちらに気付く事もなく本に集中しているパティに、クルーの視線は思わず釘付けになってしまっていた。

 長い髪を一つに緩く編みこんで肩に垂らし、白いブラウスと深い藍色の長いスカートを着た彼女は、これまでとは違う魅力がある。

 清楚、と言う言葉が一番しっくりくるかもしれない。

 そんな彼女を中庭の入り口で立ち止まったまま見つめていたクルーの視線に気付いて、パティは顔を上げ、にっこりと笑みを浮かべた。

「あら、クルー様。こんにちわ」

「あ、あぁ、えと……こんにちわ。ここで何を?」

「ふふふ。読書ですわ。お部屋にあった本なのですけれど、読み始めたら止まらなくて」

 分かりきった事を訊ねてくるクルーにクスクスと笑いながら応えると、彼は僅かに取り乱して後ろ頭を掻いた。

「え、あ、そ、そうですよね」

「クルー様は休憩ですか?」

「は、はい。レルム様のここでの仕事を一手に引き受けているので……」

 照れたように僅かに顔をそらして答えると、パティは本にしおりを挟んで僅かに座っていたベンチにスペースを作った。

「立ち話もなんですから、よろしければ座りませんか?」

 ニッコリと微笑むパティにつられて「少しだけなら……」と、クルーは彼女の隣に腰を下ろした。

 隣に並んで座るのはこれが二度目。クルーは一人落ち着かない様子でそわそわとし、パティに目を合わせられずにいると、パティは手元の本に目を落としていた。

 クルーは何を話して良いのかと模索していると、パティはふと口を開いた。

「……この本。悲しいお話なんです」

「え?」

 驚いたようにクルーが見ると、パティは本を見つめたままで話を続ける。

「決して許されない恋路に生きるお姫様のお話。まるで……リリアナ様みたいではありませんか?」

 閉じた本の表紙をそっと指で撫で、パティはクルーを振り返り小さく笑みを浮かべた。

「このお話のお姫様は王様の反対を押し切って、愛する人と駆け落ちをしてしまうんです。二人は兵士達の捜索の目を掻い潜って、誰も自分達を知らない場所を探していく冒険ラブストーリーですわ」

 柔らかい微笑を見せていたパティだったが、次の瞬間には僅かに表情を曇らせて視線をそらし、寂しそうな笑みを浮かべる。

「……この本の続きがどうなるのか分かりませんけれど、幸せである事を願わずに入られません」

「パティさん……」

「リリアナ様にはもちろん、兄も幸せである事を私はただ願っています」

 ふっと視線を上げて真面目な顔を見せるパティに、クルーはかすかな胸の高鳴りを感じながら目を奪われてしまった。

 まるでここだけの時間が止まってしまったかのように、しばしの間言葉もなく見詰め合っていると、クルーの口が微かに開く。

 ここで言うべき事ではないのかもしれないが、パティを前にするとどうしても気持ちが止められなかった。

「……実は、俺……」

 パティは、ただ静かに彼の言葉に待っていた。

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