第105話 更なる問題

「その傷は一体どうしたのだ?」

 夕食時、いつものように食堂で両親と食事を摂るためやって来たリリアナの顔を見るや、ガーランドとポルカは驚いたように目を見開き、声をかけてきた。

 ドリーと共に食堂へ来たリリアナは、早速その事に触れられ、瞬間的に顔を見合わせる。

「あ、えっと……。実は部屋で躓いた時に傷が出来ちゃって……」

 当然ながら、目立つ傷なのだ。不思議に思われても仕方が無い事ではあるのだが、やはり追求されると緊張してしまう。

 リリアナは打ち合わせ通りドリーに目配せしながらそう言うと、ガーランドは渋い顔を浮かべた。そしてリリアナではなく、ドリーに向かい声を荒らげる。

「ドリー。お前が付いていながら、何故このような事になった? わし達の元にこの件についての報告もないとは、どういう事だ!」

 思わぬ方向にとばっちりが行ってしまった事に、リリアナは驚きを隠しきれずにうろたえた。

 自分ではなく、ドリーに対して父の怒りがぶつかってしまうなどリリアナには考えも及ばなかった。

 もう一度慌ててドリーを振り返ると、彼女は何もかも分かっていたかのようにちらりと一瞬こちらへ視線を向け、国王の怒りに萎縮しながら頭を深々と下げた。

「も、申し訳ございません!」

「嫁入り前の娘の、よりにも寄って顔に傷を負わせるとは、この処罰をどう取るか分かっておるのだろうな?」

 怒りを露わにする父に、リリアナは慌てて声をかけた。

「お、お父さん……じゃなくてお父様! 違うの! ドリーは何も悪くないの! あたしがうっかりしてたから……」

 先ほどの一瞬の目配せ。ドリーはこうなる事も全て見越した上で自分の意思を尊重し従ってくれたことに酷く動揺し、自分の浅はかさを心から嘆いた。

 必死になってドリーの無罪を訴えるも、ガーランドは冷めた目でこちらを見やった。

「お前は黙っていなさい。お前の身の回りの世話を任されているのはドリーだ。こうなった始末は彼女にある。何より報告の義務を怠った責任は見逃せん」

「そ、そんな……」

 ピシャリとリリアナの意見は跳ね除けられてしまった。

 言い返すことも出来ず、パクパクと口を動かすばかりでどうしてよいか分からない。

 こちらを見ていたガーランドの視線は、再びドリーに注がれた。

「お前には1ヶ月の謹慎処分を与える。しばらくはリリアナの世話係を外れてもらうぞ」

「は、はい……」

 ドリーは逆らえるはずもなく、頭を下げたままガーランドの申し出に応えた。

 こうなって黙っていられないのはリリアナの方だ。自分がマーヴェラを庇いたい一心でついた嘘により、まさかドリーが自分の世話係から外されたあげく、1ヶ月の謹慎処分など罪が重すぎる。そして何より、自分のしでかした嘘で彼女が罪をかぶる事に、酷い罪悪感と後悔が押し寄せた。

「ま、待って、待って下さい! いくらなんでもその処罰は重すぎるんじゃ……」

 食いついたリリアナに、ガーランドは目を細めて射竦めるような眼差しを向けてきた。

「これでも軽い方だ。本来であれば、彼女はクビ。即刻国へ帰ってもらうところだ」

「な……っ!?」

 我が耳を疑うような話に、リリアナは目を剥いた。まさかこれしきの事で破門扱いにまでなるとは……。

「ちょ、待って下さい! 怪我をしたのはあたしのせいであって、ドリーは何も悪くなんてないですよ!?」

 そう反論すると、それまで黙っていたポルカが静かに首を横に振った。

「リリアナ」

 静かに窘めるポルカの声に、リリアナはそれ以上何も言えなくなってしまう。

 自分のせいでドリーが受けなくても良い処罰を受けてしまう。それが堪らなく心苦しい。

「ドリー……」

 悲惨な顔を浮かべてドリーを見やると彼女は何も言わず、こちらを振り返りニコリと困ったような笑みを浮かべた。

 リリアナは今にも泣きそうになりながらポルカをもう一度振り返ると、母は小さく頷き返し「後で部屋へ」と呟いた。

 思わぬ方向へ向いてしまった事で不穏な空気になってしまい、この時の食事が喉を通らなかったのは言うまでもなかった。



「ごめんね、ドリー。まさかこんな事になるなんて……」

 夕食を終えて部屋へ戻ってきたリリアナはそっと扉を閉めるドリーを振り返り頭を下げた。ドリーは慌てふためきながら、首と手を横に振る。

「そんな、気になさらないで下さい。破門にならず謹慎処分で済んだだけ、まだ有り難い方ですわ」

「でも、ドリーは何にも悪くないのにあたしのせいで……」

 すっかり落ち込んでしまったリリアナに、ドリーはニッコリと微笑んだ。

「大丈夫ですわ。これも、リリアナ様がマーヴェラの為に取った行動ですもの。むしろリリアナ様のお役に立てて誇らしいくらいですわ」

 そう答えるドリーに、リリアナはボロボロと涙を溢れさせた。

 彼女は何と健気で器の広い人間なのだろうか。本当ならば責められてもおかしくはない状況だというのにそれをしない。

「ドリィ〜〜……本当にごめんねぇ~……」

 大粒の涙を流し、止まらない涙を拭いながら謝り続けるリリアナに今度はドリーがうろたえた。

「な、泣かないで下さい。しばらくはリリアナ様のお世話は出来ませんけれど、私はお城におりますから」

 慰めるドリーの言葉に、リリアナは更に零れた涙を何度も拭った。

「あたしが本当の事を隠したばっかりにぃ……ごめん。何とかするから……」

「ありがとうございます。でも、私なら本当に大丈夫ですわ」

 そう言いながらドリーはポケットから取り出したハンカチで、リリアナの涙を拭った。

「リリアナ様は、今はマーヴェラとの絆を深める事を最優先してください。そうでないと、レルム様との約束も守れませんもの。レルム様は他でもない、リリアナ様に協力を求めているのでしたら今はそれに向かって前に進むことが大切ですわ」

 やさしく涙を拭いながら微笑むドリーに、リリアナはぎゅっと唇を噛み締めてまだどこか腑に落ちないような顔を浮かべつつも、小さくうなずき返した。

「マーヴェラとの絆が深まれば、レルム様との仲も今より深まるはず。頑張ってくださいませね。リリアナ様」

「……ドリー……ありがとう……」

 またにじみ出そうになる涙を堪え、今は最優先にすべき事を教えてくれたドリーに礼を述べた。

「……あたし、ちょっとお母さんの所に行ってくる。ドリーの事で話してくるね」

「リリアナ様……。ありがとうございます」

 困ったように微笑むドリーに、リリアナはようやく笑みを浮かべると急ぎポルカの待つ自室へと向かった。

 部屋に通されると、幸いにも父の姿は見えない。

「いらっしゃい。ガーランドは今謁見中よ。しばらくは戻らないわ」

 出迎えたポルカに、リリアナはほっと胸を撫で下ろしソファに腰を下ろすと、召使を一度部屋から引かせたポルカも向かい側に腰を下ろす。

「リリアナ。あなた、ドリーに何を言ったの?」

 困惑したような笑みを浮かべながら単刀直入に聞いてくるポルカに、リリアナは素直に応えた。

「……この怪我の原因がマーヴェラにあるって分かったら、マーヴェラが追い出されるんじゃないかって思って……。それに、あの子の面倒を見るって決めて連れてきたレルムさんの気持ちも踏みにじっちゃうような気がしたから、だから、あたしが自分でやったって事にして欲しいってお願いしたの」

 何か咎められるような事をしてしまったのではないかと、リリアナは怯えたようにポルカを見た。するとポルカは長いため息を吐き、ようやく納得したように頷く。

「なるほど……。そう言うことだったのね。一体何が起きたのかと思ってヒヤヒヤしたわ」

「私なりに良かれと思ってやったんだけど、駄目だった……?」

 恐る恐るそう訊ね返すとポルカは小さく唸る。

「そうねぇ……。あなたなりに考えた事なのかも知れないけど、あなたの発言は従者の人生を大きく左右するわ。良かれと思って言った言葉も、今回のようにドリーの人生を大きく揺るがしてしまう。従者とは、主の言葉に絶対的に従うものですもの。今回はまだ軽い処分で済んだから良かったと思うわ。ただ、それだけあなたの発言一つにも大きな力があると言う事を忘れないで」

 ポルカは、リリアナが二人を守るために取った行動であるのだから決して咎めるつもりはないのだが、しっかりと釘を刺しておいた。

 王族の持つ力とは、たとえ王座を継いでいなくともそれだけの力を秘めている。そんな事は分かっていたはずなのに、軽はずみなことをしてしまったとリリアナも深く反省した。

「はい……気をつけます」

 しょんぼりと肩を落とし、反省している様子のリリアナを見てポルカもようやく表情を和らげた。

「ドリーはずっとあなたについてしっかりと仕事をしてくれていたものね。今回は少し長いお休みを貰ったと思って、ゆっくり羽を伸ばすよう伝えておきます。謹慎が解ければまたいつもの日常が戻ってきます。だからあまり落ち込まないで? 今はあなたのなすべき事をしなさい」

 励ましてくれるポルカに、リリアナはこくりと頷いた。

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