第九章 新たな出会い

第94話 ただ待つしかない時

 レルムが多くの兵士を連れてデルフォスを出てから数週間。その間に大臣の退任と着任の儀式は、彼の言った通り厳かに行われた。もともとブラディは年齢が行き過ぎていた事もあり、遅かれ早かれ辞任するつもりでいたのだと言う。その彼の後釜にこの城の事をよく知っているバッファが着任するのは、これ以上無い適任者だと言っても良いだろう。

 以前よりも体調も良くなり、痩せ細っていた体も食事が少しはまともに摂れるようになってから肉付きもよくなって、王としてのしっかりとした風格が出てきたガーランドは、ゆったりと玉座に腰を据えたまま新たな大臣として着任したバッファを笑みを浮かべて見下ろしていた。

「またそなたと共に城での生活が送れること、喜ばしく思うぞ」

 その言葉に頭を下げていたバッファが顔を上げる。彼もまた体中から溢れ出る喜びを隠す事もなく、晴れやかな笑みをその顔に湛えていた。

「私もです。両陛下にこうしてまたお仕えし、城に従事できる日が来るとはこれ以上無い光栄にございます」

 もう一度恭しく頭を下げるバッファの姿を、玉座から静かに見つめていたリリアナは浅く溜息を吐く。

 皆が望むようにガーランドが無事に復帰できた。そしてレルムの父も元気になりこうして大臣として着任する希望も叶い、国としてみればこれ以上無い安定感のある流れだと言える。だからこそ、見えない部分によるしわ寄せは大きい。

 こうなる結果は今後の国の繁栄を思えば喜ばしい事以外のなにものでもないのは分かる。分かるのだが……どこか腑に落ちない。

 もやもやとした思いを抱えて浮かない表情のリリアナを見たポルカは、内心とても心配していた。

 レルムが城を離れる事はよくあったが、今回の遠征は長期的な戦となる。戻りが一体いつになるかの目処もなく、ただひたすら待つことしか出来ない立場からすれば心が痛むのも頷けた。しかも、ここへ帰ってこれたとしても、今までのようにはいかないのだから余程窮屈な思いをしているに違いない。

「リリアナ。後で部屋にいらっしゃい」

 ポルカがこっそりとそう声を掛けると、リリアナはきょとんとした顔を浮かべながらぎこちなく頷き返した。



 ガーランドとバッファは昔からの親友とも呼べる間柄だ。積もる話もあるからとお茶の席を外したポルカは、部屋でリリアナを待っていた。ほどなくして、トントンとドアがノックされリリアナがやってくる。

「いらっしゃい。待っていたわ」

 にこやかに出迎えると。おどおどとした様子でリリアナが部屋へ入ってくる。

「お父さん、すぐに戻ってきちゃうんじゃないですか?」

「大丈夫よ。今はバッファと盛り上がって話しているわ。久し振りの旧友ですもの、こうしてまた語り合えるようになれるとはお互い思っていなかったのだし、積もる話や昔話に忙しくてすぐには戻ってこないはずよ」

 その言葉に、リリアナはホッと息をついて近くのソファに腰を下ろした。ポルカはその向かいに腰を下ろすと、召使にお茶と茶菓子を用意するよう促す。

 部屋の中に誰もいなくなると、途端にリリアナは盛大な溜息を一つ吐いた。

「……何だか、息が詰まりそうで」

「えぇ、あの人が帰って来てからはそんな感じね。よく分かるわ」

「お父さんが戻ってきてくれた事は、もちろん嬉しいんです。だけど、やっぱり今までみたいに出来なくなった事が辛くて……」

 バッファが大臣に着任したと言う事は、二人にとって考えていた以上に厳しい条件に晒された事になった。まして、彼はレルムの父なのだ。

 バッファが非常に厳しい人だった、と言う話は何となく聞いて知っているだけに緊張しないはずもなく、油断すら出来ない。今レルムがこの城にいなくとも、普通にしててすでに息が詰まりそうだ。

 リリアナは肩を落とし、膝の上に置いた手を見つめながら力なく呟く。

「しかも、ただでさえ簡単に逢えないのに長期遠征とか、酷すぎる仕打ちだと思います」

「そうねぇ……。色々な事が一気に重なってしまったものね」

「遠征の事を除いては、こうなる事はちゃんと分かっていたんですよ。分かっていたんですけど……何ていうか……」

「寂しい、わね」

 ハッキリと「寂しい」と言わないリリアナに変わってポルカが言うと、彼女は力なく頷き返した。

 こんなにも落ち着かなく寂しいと思ってしまうのは、あの日の出来事が原因でもある。

「……あの時の逢瀬の内容が濃すぎたから、今になって寂しさ倍増になっちゃうんだ」

「逢瀬の内容が濃すぎたって?」

 別に呟くつもりのなかった言葉が口から漏れていた事に気付き、問い返されたリリアナは真っ赤になりながら首を横に振った。

「え!? いや、別に、何も……」

「あらあら、赤くなっちゃって……。何かあったのね?」

 久し振りに見るポルカのいたずらっ子のような笑みに、リリアナは大慌てで取り繕う。

 まさか首筋にキスをされたなんて、そんな事は口が裂けても言えない。きっとポルカならその先はあったのかどうかまで突き詰めて聞きそうで怖かった。当然、あるわけないのだが……。

「ち、違うんだってば!」

 一生懸命に取り繕おうとすればするほど墓穴を掘っているような気持ちになる。

 ポルカはクスクスと笑いながら「分かったわ。じゃあ、そう言う事にしておきましょ」と意味深に話を切ってきた。リリアナにしてみればまだ納得はいかなかったが大人しく口を噤む事にする。これ以上何かを語れば、逃げ場はなくなるに違いない。

 そこへ召使が戻ってきた。ワゴンに乗せられたお茶菓子と、甘い香りのする香茶を淹れるとすぐさま彼女は部屋を出て行く。まるで何も言わずとも分かっていると言わんばかりだった。

 二人は淹れてもらったばかりの香茶を飲み、ホッと小さく息をつく。

「リリアナ。待つって辛いものよね……。私には分かるわ。だから、気分転換も兼ねてまたプリシラ王女と会合してみたらどうかしら」

「……プリシラ王女と?」

「えぇ。実を言うと、またヴァレンティア王から手紙を頂いているの。相変わらず誰とも打ち解けようとしないプリシラ王女の為に、何とかして欲しいって泣きつかれてしまって……」

 そう言いながら差し出してきた手紙を受け取り、リリアナはそれに目を通した。

 親である立場ながら、自分の娘の未来の為に出来る事が何もない事がとても悔やまれて仕方が無い、と酷く落ち込んでいる様子が手紙の文面から読み取れる。

 確かにポルカの言う通り、何もせずただ待っているだけでは気を揉む以外の何ものでもないかもしれない。それにもともと、プリシラとの会合は自ら願い出ていたのだ。これを機に、もう一度会って見るのもいいかもしれない。

 リリアナは受け取った手紙を元通りに折ってポルカに返しながら、頷いて見せた。

「うん。じゃあ、そうしようかな。お城に閉じこもって勉強をしているよりずっとマシだと思うし」

 リリアナのその言葉に、ポルカもニッコリと頷いて見せた。

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