第90話 もう一度、確かめたい事
ロゼスとの婚約が白紙に戻り、次なる問題に向けての道筋が着実に出来ていた。
ポルカは毎日のように届く何十通もの手紙に目を通していた。その手紙の中には離宮からのガーランドの容態に関する定期便の手紙も含まれていた。
いつもは手紙だけの報告なのだが、今回に限り小さな小瓶が同時に届けられている。
ポルカはひとまず小瓶を机の横に避けて、内容に目を通してみるととても喜ばしい報告ばかりが並んでいた。
リリアナとの対面以降、ガーランドの回復がこれまでの経過からはとても考えられないほど早く、周囲を驚かせていると言う。それもこれも、長年捜し求めていた娘と再会をした事で生きる希望を彼自身が見出したからだとも言えた。
初めは目覚めても副作用からか、すぐにまた眠ってしまう事の繰り返しだった。が、次第に起きている時間が延び、更にはこれまでずっと寝たきりだった為に思うように体を動かす事もままならなかったのが、つい最近になって何とか自分で食事が摂れるほどにまで回復したという。
その目に見えて驚異的な速さで回復していく様子を、手紙で読んでいたポルカはホッと胸を撫で下ろすのと同時に複雑な気持ちに包まれた。
「やはり、近そうね……」
ふぅっと小さな溜息を吐くと、更に手紙を読み進めた。
何枚にもなる報告書全てに目を通し、そして最後に書かれた文面に目を通し終わったところで、コンコン、とドアがノックされレルムが現れる。
「お呼びでしょうか。ポルカ様」
「えぇ。待っていたわ」
にこやかに微笑み、ポルカはレルムを招き寄せた。
「今回呼び出したのには他に理由があったのだけど、その前にあなたに一つ協力してもらいたい事が出来ました」
「協力……ですか?」
突然の申し出に、レルムは不思議そうに目を瞬いた。
ポルカは笑みを浮かべたまま頷くと、傍に置いてあった小瓶を手に取りそれをレルムに差し出す。
「これは先ほどルシハルンブルクから届いた、ガーランドの使用している物とほぼ同じ薬です。現在良好に回復を見せているガーランド一人のデータだけでなく、よりきちんとした安全性を確立させるためにも、様々な患者でのデータが欲しいと頼まれたものだから……」
「それはつまり……」
「えぇ。あなたのお父様も同じ病を患っているでしょう? だから、試してみるつもりはないかと思ってね」
差し出された薬を受け取り、レルムはそれをマジマジと見つめた。
手のひらに乗るほどの小さな小瓶の中で、薄い茶褐色の液体がゆらゆらと揺れている。
ガーランドはこの薬のおかげで窮地から戻ってきた。それならば、ガーランドよりも症状の軽い父なら、かなりの効果を期待できるかもしれない。
そう思うと、レルムはぜひともその申し出を受けたいと望んだ。
自分の事を何も語らない父の密かな望み。それが何であるか、言わずともレルムには分かっている。
「……その申し出、おそらく快く受け入れると思います。父は何も言いませんが、再びここで両陛下の為に働く事を切に願っているようですから……」
「そう。私も久しくお父様にお会いしたいわ。では、その薬を試してくれるのね?」
「はい。父へは手紙と共に近い内にこの薬を送ります」
その言葉に、ポルカはニッコリと微笑んで頷いて見せた。
ガーランドがこの薬を使う事で短時間で驚くほどの回復力を見せているのなら、おそらくレルムの父、バッファにも同じように回復する可能性もないとは言えない。
「ガーランドが薬のおかげで驚異的な回復を見せているから、そのデータを元にあちらこちらで患者に試してもらっているようです」
「クロッカは今現在、不治の病と言われておりますし、この薬の安全性が確立出来たなら更なる改善を施し、治癒を望める薬が生まれる事も夢ではありません」
「えぇ、本当ね」
ポルカは嬉しそうな笑みを浮かべて頷いた。しかし、そのすぐ後に彼女は表情を僅かに曇らせる。
その物憂げな表情に、レルムは怪訝な顔を浮かべてポルカを見つめた。
「……リリアナは、決めていた通りロゼス王子のプロポーズを断ったのね」
「……はい」
その内容にポルカが自分を呼び出した元々の目的を理解すると、レルムもまた表情を固くする。
レルムのその表情に、ポルカは小さく口元に笑みを浮かべたまま傍に置かれていた花瓶の花に目をやった。そこには切花ならではの生花の弱さが如実に現れている。活けられたばかりの瑞々しく元気な花々に混じり、僅かに元気をなくして花弁が下に向き始め、時期に萎れて散ってしまうだろうと思わせる花があった。
ポルカはその花の花弁にそっと触れながら、呟くように口を開く。
「あの子がそう望んだんですもの。あの子の意向を汲んでそうするように後押ししたのも私。でも、これからは苦難の絶えない道のりが続くわ」
「……」
「ガーランドの復帰も、おそらくそう遠くはないと思われます。だから今の内にあなたに今一度聞きたい事があったのよ」
「はい」
弱り始めた花から視線を上げ、ポルカはレルムを真剣な眼差しで見つめた。
「これからあの子の為に立ち向かわなければならない大きな壁が、今までより明確に見えてくることでしょう。その壁を前に、あなたはどういう気持ちでいるの?」
真っ直ぐに見据えるポルカの眼差しは、こちらを試しているかのようにも見える。
以前も似たようなことを聞かれたが、あの時のような答えではない、もっとしっかりとした答えを言わなければならないのだろう。
「もし、まだ心揺れているような生半可な気持ちでいるのなら、いっそその想いを捨ててあの子の想いに背を向け、これまでのように騎士として忠誠を誓い続けなさい。中途半端な想いならあの子はただ傷つくだけだもの。だから、あの子の為に諦めるのも一つの選択よ」
厳しい言葉だが、子を想う母として見れば当然の言葉だった。
レルムはそっと目を閉じ、今一度自分の覚悟を再確認する。そしてゆっくりと目を開いてポルカを見つめ返した。
「私の心は、もう迷いません。たとえこの先どのような道に立とうとも、覚悟は出来ています」
「それは、ただ諦めではなくて?」
「いえ。諦めではありません。これは私に出来る最良の選択であり、リリアナ様にとっても最良の選択であると自負しております」
一切の迷いがないその答えに、ポルカはふっと目を細めていつものような柔らかな笑みを浮かべた。
「そう。それを聞いて安心したわ。ガーランドが戻ってきたら、私はこれまでのようにあなた達へのサポートが出来ないかもしれません。あなたの想いがしっかり定まっているのなら、あなた達の望むままに進みなさい。その中で私も私に出来る手助けをするわ」
嬉しそうに微笑み、これから先もリリアナとの仲を応援すると言ったポルカに、レルムは普段から感じていた事を思わず訊ねていた。
「……ポルカ様は……」
「?」
「これが禁忌と分かっていながら、なぜ、私とリリアナ様の事をここまで考えてくださるのですか?」
レルムの真剣な質問に、ポルカもまた迷うことなく答えた。
「あなた達は、私の大切な子供であり、そして希望よ。この国は決して大きくはないけれど、それでも豊かに活気付き、あまたの困難な戦も乗り越えてきた。それは全て、あなたの一族がいたが為。王家の為に大切なものを投げ打ってでも、昔からずっと違わぬ忠誠を尽くしてくれているのだもの」
「ポルカ様……」
「……それに何より、あなたならあの子を安心して任せられる。この国の跡取りはあの子しかいない。デルフォス王家の存続の為には、本来他国から王子を婿入りさせなければならなくなるでしょう? あなたは王家に連なる公爵家の者ではなく、王位継承権は無いけれど、それでもそれに値するだけの働きをしてきてくれているわ。だから私はあなた達を応援するし、あの子の隣にはあなたが一番相応しいと思っているのです」
いつにないポルカの本音に、レルムはぐっと胸をつかまれたような気持ちになった。
リリアナの隣には自分が相応しい。そう言ってもらえた事が、レルムの覚悟により確かな自信を持たせてくれる。
レルムはポルカに対して頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「あなた達が諦めない限り、私も諦めません。ガーランドの事は私に任せて、2人はお互いが選ぶ最善の道を選ぶのですよ」
暖かなポルカの言葉に、レルムは下げていた頭をもう一度深く下げた。
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