第75話 待たせていた返事
この日、リリアナは一通の手紙に目を通していた。何枚にも書き綴られた手紙はアシュベルト王国のロゼス王子から届いた手紙だった。
アシュベルト王国ではもうほぼ平常を取り戻し、以前と変わらない日常を送れるようになっていると言う。
城の修復もほぼ終わりに近づき、明日にでも喪が明ける事になるそうだった。
「……」
リリアナは経過を読んで良かったと胸を撫で下ろしながら最後の手紙を捲り、そしてふい動きが止まる。
しばしの沈黙を守り、小さく唸った。
「……そっか。返事、しなきゃなんだよね」
手紙の文面を見つめ、リリアナは小さくため息を吐く。
ロゼス王子と別れてから、もう半年以上経つ。マージに奇襲を掛けられてアシュベルト城の一部は大きく崩され、多くの人の命が奪われた。
幸いにも城下には大きな影響は無かったが、城内につめていた兵士や召使の大半が殺されてしまい、しばらくは復旧と喪に伏すことが先決とプロポーズの返事を見送っていたのだが、いよいよその時が来たのだと思うと緊張してしまう。
手紙には、ひと月後今度はロゼス王子から返事を聞くためにこちらに来る事が記されていた。
「……どうしよう」
そうは言うものの、返事はすでに決まっているようなものだ。しかし、それをハッキリと口にしてしまえば色々と問題が生じる事は目に見えている。何も正直にそれを打ち明ける必要はないのだが、それ以外に思いつく理由が見つからない。
考えればいくつでも断る勝手の良い言葉はあるはずなのに、どれも違うような気がして仕方がない。
「……」
考えれば考えるほどがんじ絡めになってしまい、パンクしてしまいそうだ。
リリアナは手にしていた手紙を折り畳み、そっとテーブルの上に置くと大きな溜息を一つ吐く。
「お返事、いかがなさいますの?」
暖かなお茶と焼き菓子を用意しながらドリーが訊ねると、リリアナは「う~ん」と腕を組んで唸った。
「断ることに違いはないんだけど、なんて言っていいのか分からなくて……。ねぇ、ドリー? どうやって言ったらいいと思う?」
その問いかけに、ドリーは面食らった。
専属とは言えただの召使である自分に先方の断り方をストレートに聞いてくるのも、おかしな話ではあるのだが……。
「そ、その事に関しましては、私では意見出来かねますわ。リリアナ様のお心はもう既に決まっていらっしゃるようですけれど……」
「あー……そっか。そうだよね。ドリーがどうこう言えるわけないよね……」
「申し訳ありませんわ……」
心底申し訳なさそうに頭を下げるドリーに、リリアナは慌てて首を横に振った。
「ううん、こっちこそ配慮なくてごめんね。ただ、もしドリーだったらどうやって言うのかなぁって思って」
リリアナは相手に気を遣わせまいと明るく笑いながらそう答えた。
両国の将来についての事を、軽々しく周りが言える立場ではないのは初めから分かっていたことだ。
この事に関して唯一意見を述べられるとすれば、ここではポルカを置いて他にはいないだろう。
「お母さんに相談、してみようかな……」
「えぇ、そうですわね。王妃様にお伺いをするのが一番だと思いますわ」
ドリーはホッとしたように微笑むと、リリアナは頷き返した。
「あら、リリアナ」
部屋を訪ねると、ポルカは丁度手紙に目を通していた所だった。
訪ねて来たリリアナにポルカが顔を上げると、その表情は非常に嬉しそうな色が見えリリアナは不思議そうに首を傾げた。
「今、定期報告の手紙を見ていたのよ」
そう言いながら手紙を差し出すポルカに、今日が定期報告書が届く日だと言う事に気が付いたリリアナは机に駆け寄る。
「何か良い結果が得られたんですか?」
ポルカの初めて見るそのあまりに嬉しそうな表情に良い報告があったのだと期待に胸を膨らませ、手紙を受け取り文面に目を走らせる。
「……嘘」
そこに書かれていた文面に、無意識にもリリアナの手が小刻みに震えだす。
離宮から帰ってきて半月あまり。あれから定期的に薬を投与し続けた結果、先日意識の回復と僅かな応答が見られたとの事。副作用としては強い眠気と軽度の吐き気がみられるが、概ね問題はないものと書かれている。
まだ油断は出来ないものの経過は極めて順調だと言う事だった。
「凄い……凄いよ!」
「えぇ、本当に。ゲーリ殿には言い尽くせないほどの感謝しかありませんね」
「うん、うん! 本当に凄いっ!」
しがない村医者だったはずのゲーリによる快挙。そんなゲーリをリリアナは心から誇りに思った。そして同時に、自分の中での目標が強く定まった事を実感する。彼のように自分もなりたい、と。
長年意識不明だったはずの父親の回復。もう極限の状態まで来ていたはずなのに、想像以上の回復力が見られたことは誰にとっても喜ばしい事だ。
この調子で行けば、もしかしたら城に帰ってくる日もそう遠くはないのかもしれない。
「あたしも頑張らなきゃ。お父さんがここに帰って来た時、医療班の人じゃなくてあたしが対処できるようにまでならないと!」
「えぇ……そうね」
一人意気込むリリアナを見つめ、ポルカは口元に笑みを湛えてはいるものの複雑な気持ちになる。
彼女は分かっていないわけではないはずだ。父が帰って来た時は、2人にとって最大の難関に立ち向かわなければならないのだと言う事を。しかし、夢に向かって見出した気力を潰すのも気が引ける。
(でも……。目の前の事に一直線になってしまうところは、ガーランドによく似てるわ)
複雑ながらも少しだけ嬉しいところを垣間見れて、ポルカは思わず笑ってしまった。
「ふふ……。あなたのそう言うところ、お父様に良く似ているわ」
「え? そう言うところって……」
「目の前の事に一直線になってしまう、そう言うところよ」
クスクスと笑いながらそう言うと、リリアナは気恥ずかしそうに顔を赤らめて戸惑いを露にした。
「それで、リリアナ? 何か私に用があってここへ来たのでしょう?」
「あ、そうでした」
ポンと手を打ち、リリアナは改めてポルカに向き直ると躊躇いがちに口を開く。
「えっと……ロゼス王子の、プロポーズの事なんですけど……」
「あら、そう言えば手紙が届いていたのよね。アシュベルト王国はもう大丈夫なのかしら?」
「あ、はい。もう城の修復もほぼ終わって、間も無く喪が明けると書いてました。それで、一ヵ月後に返事を聞きにここに来るって……」
俯きがちになりながらモジモジしているリリアナに、ポルカは目を瞬いた。
心は決まっているのに、どうしてか断る事が怖いような気持ちにもなる。
先ほどと打って変わって黙り込んだリリアナに、ポルカはふっと目を細めて微笑みかけた。
「……あなたはどうしたいのか、もう決まってるのでしょう?」
「……う、うん」
「それなら、悩む必要などないと思いますよ」
さらりとそう言ったポルカに、リリアナは複雑そうに顔を顰めて口を閉ざしてしまう。そんな彼女を見て、ポルカには今の彼女の心境が分からないわけではなかった。
「……そうね。ロゼス王子は真面目で優しくて、実直で誠実。何よりもあなたの事が大好きで、嫌なところなんて一つもないものね」
「……」
リリアナはポルカの言葉にハッとなったように顔を上げ、そしてややあってから頷き返した。
何か一つでも欠ける物があったなら、そこを理由に断る事はできる。しかし、彼には不備だと思えるところなど一つもないのだ。
ただ真っ直ぐに自分の気持ちを伝えてくるところは、レルムとは違い押しが強い印象を持った。しかし、それは別におかしな事でもなく悪い事でもない。ましてや、それが彼の欠点になるなどない。
その押しの強さが嫌だと思うなら、それはリリアナにとって彼の欠点になるのかもしれないが、戸惑いはしても嫌だと思ったことはない。だからこそ複雑で、心は決まっていても断る事に躊躇いを覚える。
「一方的に断ると、彼に悪い気がするんです」
そう呟いた言葉に、ポルカは短く息を吐いて真っ直ぐにリリアナを見つめた。
これは母として、一人の人間として、そして将来の彼女のためにも言わなければ鳴らない言葉だと、真剣な表情で口を開く。
複雑になったリリアナの心境は、全て手に取るように分かる。
自分は一体どうしたいのか。まずはそこをしっかり見極めさせ、答えをハッキリさせなければならない。
「なら、彼のプロポーズを受ける?」
「それは……」
「できないでしょう? あなたには今、レルムと言う想い人がいるのだもの。リリアナ。中途半端な気持ちが誰よりも彼を傷つける事にもなるの。それは、例外なくレルムをも傷つける事になる」
「……っ」
自分の気持ちがハッキリしなければ、2人を傷つける事にもなる。
その言葉に、リリアナはぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「あなたは優しいのよね。自分が断る事でロゼス王子を傷つけるのではないかと思って、怖いのでしょう? でも、その優しさは相手を傷つける武器になる。相手を必要以上に傷つけたくないのなら、断る勇気を持ちなさい」
「お母さん……」
ポルカはふっと表情を緩めると、リリアナの手をそっと取って優しく微笑みかけた。
「いいのよ。断る事は悪い事じゃないわ。それに、これから先まだまだあなたの事を花嫁に欲しいと言ってくる人が現れると思います。その方々一人一人にこんなに悩んでいたら身が持ちませんよ」
断っても良いのだと言ったポルカの言葉に、リリアナは少し心が軽くなったような気持ちになった。
ぎこちなくも頷いたリリアナに、ポルカも頷き返した。
「今回はご縁が無かった。そう言って断ればあちらにも角が立たず、あなたも傷は浅く済むと思いますよ」
「はい……」
リリアナは上目遣いにポルカを見て、はにかむように笑いながらもう一度頷き返した。
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