第57話 手紙
空に夕闇が迫る頃、診療所の入り口に「本日終了」の札を掛けたゲーリは小さなため息を吐いた。
リリアナが村を去ってから暫く経つが、彼の心には今だ彼女を追い詰めてしまった事への後悔と、ペブリムが来なければ今頃は……と言う、もう現実的にあり得ない事に対しての悔しさで胸が埋め尽くされていた。
あの日、マージ兵が村を襲い、何人かの顔見知りが殺されてしまった。以来、村の中は殺伐としたものだったが、最近になって少し落ち着いてきたところだ。
ゲーリは部屋の中に戻り、今朝の残り物のスープとパンで簡単に夕食を済ませるとリリアナの部屋を見つめ、そしてその奥にある調剤室へと足を運ぶ。
毎日繰り返される同じ行動。彼はほぼ、無意識にそれを行っていた。
調剤室へと入ると、不足している薬の調合を始める。
すり鉢に薬草を入れてすり潰している間にも、頭の中の意識は全く別のところにあった。
今、彼女はどうしているのだろうか。慣れない環境に置かれてホームシックになっていたりしないだろうか。城にいる人間達とうまくやっているのだろうか。そして、もう一度だけでも会えないだろうか……。
そんな事ばかりを考えてしまう。
「……」
ゲーリは自然と手が止まり、深いため息を一つ吐く。
自分からペブリムにリリアナを連れて行くよう申し出たと言うのに、この執着。実に浅ましく思えた。
彼女はもう、自分とは生きる時限の違う人間になってしまったのだ。簡単に逢う事など絶対に出来ない。出来たとしても遠くから見つめるのがせいぜいだろう。
すり鉢の中で細かくなった薬草を見つめながら、ゲーリは再びため息を吐く。
「……先生ー?」
ふと、玄関の方から誰かが自分を呼ぶ声が聞こえ、ゲーリは顔を挙げそちらを振り返る。
「先生ー、いらっしゃいますかー?」
ゲーリは薬草をそのままに席を立ち上がると、玄関の方へと歩いていく。するとそこには、村の人間が一人立っておりゲーリの姿を見つけるとにっこりと笑って見せた。
「あぁ、先生。良かった。手紙がいくつかあるので届けに来たんですよ」
「そうですか。ご苦労様です」
そう言いながら力なく微笑み手紙を受け取ったゲーリを見た村人は、心配そうに顔を覗き込んだ。
「先生、最近やつれましたね……」
「そうですか?」
「ちゃんとご飯食べてます?」
「えぇ、まぁ……」
ぎこちなく頷き返すゲーリに、村人はしんみりとしながらポツリと呟く。
「先生にとってリリアナちゃんは、血が繋がらなくても本当の家族でしたからねぇ……。とてもじゃなけど、やりきれないですよね」
「……」
村人の言葉に、ゲーリは力なく視線を手元に下げる。
やりきれないなど、その一言で済まされるようなものじゃないのかもしれない。胸に渦巻くモヤモヤとした感情は、黒いものになっているように思えた。
黙りこんだゲーリに、村人は「それじゃ……」と短く挨拶をしてその場を立ち去っていってしまう。
何だかんだと言いながら、所詮他人事。こちらの事などどうでも良いくせに……。
ゲーリは心の中でそう毒づくと調剤室へ戻る途中、手にしていた数枚の手紙をキッチンのテーブルの上に無造作に投げ置いた。
滑るように広がった手紙を一瞥し、そのまま立ち去ろうとしたゲーリの足がピタリと止まる。そして慌てたようにテーブルへと戻ると、数枚の手紙の内やたらと真っ白い封書を拾い上げた。
宛名には「ルク村 診療所 ゲーリ・ライジス様」と書かれ、裏を見ると見慣れた文字で「リリアナ」とサインが書かれている。
ゲーリはそれがリリアナからの手紙と分かると、ペーパーナイフを探すこともせずその場で急いでビリビリと破いて封を切った。
何枚にも書かれたリリアナの文字。今の状況を事細やかに書いてあり、ゲーリが心配していたような目には全然あっていないという事が分かった。
文章からは、とても充実した毎日を送れている事が分かる。そして彼女が今置かれている現状も……。
「リリアナ……」
ゲーリはその文章を読むに従って、嬉しさと同時にこれまで以上の寂しさと切なさを感じていた。
自分の知っているリリアナのようで、そこに書かれている彼女は本当に他人になってしまったように思えて仕方がない。
そんな感覚を覚えると、続きを読む事に抵抗を覚え始めた。しかし、次の文章に目が留まる。
『あたしのお父さんである王様は、不治の病に侵されているとつい先日知りました。不治の病って言ったら、何のことかゲーリにはもう分かると思います。
王様は今はお城とは別の場所で療養をしていると言う話です。もう6年間もこの病と闘っているみたいです。
村にいたとき、あたしもクロッカ病に関する資料は何度か読んだ事があるけれど、王様ほど重篤な状況に陥っている患者さんは初めて知りました。
正直なところ一年前から意識不明になっていて、そんな状況にありながら今も頑張って生きている事が不思議なくらいだと思う。
それで、思い出したの。ゲーリがクロッカ病に関する研究をしていて、医師会でも何度か発表をしていた事を。
あたし、王様を助けたい。もしも何か有力な手掛かりがあったなら、どんな些細な事でもいいので教えて欲しいと思っています。
こちらの都合のいい話かもしれないけど、今頼れるのはゲーリしか居ない気がして……』
その文章に、ゲーリはクシャリと手紙を握り締める。
クロッカに関する研究をすすめれば、あわよくばリリアナともう一度逢う事が出来るかもしれない。
そんな私利私欲な感情がむくむくと湧き上がり、ゲーリは自分の部屋へと駆け込んだ。
「これに賭けるしかない。もう一度リリアナに逢うには、これに賭けるしか……」
ゲーリは机の上に山積みにされていた資料や写真などを乱雑に手で払い除けながら、あるものを探し始める。
それは数ヶ月前。ルシハルンブルクの医療部からクロッカ病に関する研究支援を申し出てきた手紙だった。
この手紙が来た時、行き詰っていたゲーリは後で返事を出すつもりでそのまま無造作に机に投げ置き、すっかり忘れてしまっていた。
「あった……!」
様々な書類の下敷きになっていたその手紙を拾い上げたゲーリは、急いで紙とペンを用意し返事を書き始める。
今更その申し出を受け入れたいなどと、随分勝手すぎるのではないか。そう思われても仕方がないが、ゲーリはすがるような思いで手紙の返事を書き綴る。
もしもこの返事が受け入れられ、クロッカ病に関する研究支援を受けられたなら、医療の最先端でもあるルシハルンブルクの医療班と共に情報を共有しながら開発研究を進められるに違いない。
ルシハルンブルクの医療班を筆頭に、クロッカ病に関する研究を続ける世界中の医師たちと協力し合えば、何か良い手掛かりが出来るかもしれない。
ゲーリは返事を書き終えるとそれを持って村の郵便屋に駆け込み、その手紙を託した。
リリアナに逢う為にも、自分は今日からまたクロッカ病に関する研究を再開させる。
そう心に決めたゲーリは、診療所へと舞い戻ると生きる希望を見出したように調剤室で薬の調合と研究をし始めたのだった。
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