第29話 新たな悩み

「え……、ど、どう言う事……?」

 愕然としたままどう応えてよいのか分からず、リリアナは戸惑いを露にする。

 振り返る事を許されて振り返ったリリアナの前には、朝日を受けてベッドに座っているペブリムの姿があった。

 先ほどまでそこにいたのはレルムだったはず。しかし今、目の前にいるのは自分も良く知るペブリムだ。

 ペブリムは額から流れる汗をそのままに、痛みに顔を顰めて肩に手を当てながらもこちらを見上げてきた。

「私の体は……昼夜で入れ替わる、特異体質なんです……」

 僅かに息を荒げながら、ペブリムは自分の体についての説明を始めた。

 昼夜で性別が入れ替わる特異体質……? そんなもの、初めて聞いた。

 どう言葉にして良いのか分からず、その場に固まってしまったリリアナを見つめながら、ペブリムは話を続けた。

「……驚かせてしまい、申し訳ございません……」

「……」

「あなたが、もう少し……この城に慣れてから、言うつもりでした」

「……どうして、そんな……」

 やっとの事でそう切り返すと、ペブリムは顔を俯けて深く息を吐き、そうする事で少しでも痛みを逃がそうとしていた。

 リリアナは苦しそうに息を吐くペブリムを前に、呪縛が解けたように彼女の体に手をかける。

「と、とにかく横になって下さい」

 触れた肌は驚くほどに熱い。かなりの高熱が出ている事が分かり、リリアナはそっとペブリムの体をベッドに横たわらせた。そして汲んで来たばかりの冷たい水に布を浸して、そっと滲み出た汗を拭い去る。

 ペブリムは天井を見上げたまま静かに話し出した。

「……私が、こんな体になったのはリズリーによるものです……」

「え……」

 ピタリと汗を拭き取る手が思わず止まった。

「……この事をすぐに言い出せなかったのは、あなたが怖がると思ったからです」

 痛みを堪えながらそう呟くように言った言葉に、リリアナは俄かに眉根を寄せた。

 どんな事実よりも、今は痛みを堪えているペブリムの体の方が心配だ。

「も、もういいですよ。とにかく、今は休んで下さい。無理をしたら治りませんよ!」

 まだ胸の鼓動は早鐘のように脈打ち、完全に自分が取り乱している事が分かる。それでも、わざとそう見せないように取り繕ってみせると、ペブリムはそっと布を握るリリアナの手に触れてきた。

 思わずドキリと跳ねる鼓動に、動揺の色が隠しきれない。そんなリリアナに、ペブリムは顔を傾けて彼女を見た。

「私は、そんなあなたを見るのが……怖かったのかも、しれません」

 リリアナはぎゅっと布をきつく握り締めると、首をゆるゆると横に振った。

「あたし、そんな事で怖がったりなんてしません。……確かに、驚きましたけど……」

 そう言って小さく笑って見せると、ペブリムもまた弱弱しい笑みを口元に浮かべた。

「……あなたは、笑顔が一番、似合っていますね」

「!」

 そう言われて、リリアナは瞬間的に顔が赤くなる。顔だけではなく、体全体から火が出そうなほど熱くなった。

「……私の知るあなたは、いつも困っていたり、泣いていたり……」

「そ、そんな事、ないと思いますけど……」

 ペブリムはふっと笑いながら、上を向いて目を閉じる。

「……今、あなたの笑顔をようやく見れて、少し安心、しました……」

 そう言うなり、ペブリムはまた眠りに落ちた。

 触れられていた手がするりと落ちて、リリアナの手に自由が戻る。

 リリアナは布を握り締めたまま触れられた手を胸元に引き寄せると、眩暈を感じるほどに脈打つ鼓動に体が小刻みに震えた。

 耳まで真っ赤に染め上がったリリアナは一人、取り乱したままだ。

 レルムとリズリーの関係に不安を抱き、今リリアナが抱える想いを諦めなければいけないのかどうか、分からない。

 そんなグラグラと揺れ動く心に追い討ちをかけるようなペブリムの言葉に、リリアナはどうしていいのかいよいよ分からなくなる。

 当人にそのつもりなどないのは分かっているが、そんな事を言われては勘違いしても仕方がないじゃないかと、内心呟いた。

 いや、それ以前に、彼の体質も気になる。

 一気に悩みが増え、頭の中が飽和状態になったリリアナは布をサイドテーブルに置き、そのまま部屋を後にした。

 とても一人では解決などできそうにもない。

 そう思うと、リリアナの足は自然とポルカの部屋へ向かっていた。



「あら? どうしたの?」

 丁度着替えを済ませ、公務に執りかかろうと思っていた矢先のリリアナの訪問にポルカは驚いていた。

 仄かに赤らんだまま難しい顔をしているリリアナを見て、ポルカは召使達を一度外へ出るよう促すと、前の時のようにソファに座らせた。

「……」

 リリアナは黙り込んだままソファに腰を下ろしながら、どこから話をすればいいのか迷っていた。

 そんな彼女の様子を見たポルカは、口元に笑みを浮かべる。

「……もしかして、レルムの事、かしら?」

「え?」

 レルムの名前に、弾かれるように顔を上げたリリアナを見て、ポルカはくすくすと笑う。

「あの子の抱えているもの、教えてもらったのね?」

「あ……はい。まさか、二人が同一人物だったなんて思いもしませんでした」

 素直に頷くと、ポルカも笑顔で頷き返した。

「上手に使い分けていたものね。それで……あなたはそれを知ってどう思った?」

「どうって……」

 思わず言い淀むと、ポルカは静かにリリアナの次の言葉を待った。

 悩むだろうかと思っていたが、リリアナはすぐに言葉を続ける。

「あたしは、別にそれが原因でレルムさんを嫌悪したりすることはないです」

 きっぱりと言い切ったその言葉に、ポルカは少しだけ安堵のため息を吐いた。

「そう。良かった。レルムはあの体質の為に、これまでしなくてもいい苦労を沢山して来ました。だから、あなたの気持ちが揺るがないでいてくれる事、嬉しく思います」

 安心したようにニッコリと笑うポルカに、リリアナは躊躇いながらも気になっていた事を話し出した。

 聞いていい物なのかどうか分からない。どこまで踏み込んでいいのかも……。

 しかしやはり気になって仕方がなかった。

「……あの体質は、リズリーによるものだと言っていました。その……リズリーって人は、レルムさんとどんな関係が?」

 その質問に、ポルカは気まずそうに僅かに視線をそらした。

 ポルカの表情を見ている限り、やはり聞いてはいけないことだったのかと思ってしまう。

「あ、あの、聞いちゃいけない事だったんなら構わないんです」

 慌ててそういい繕うと、ポルカは困ったように微笑みながら見つめ返してきた。

「話しても構わないけれど……、これを聞いたら、私はあなたが心配になるわ」

「……え?」

 どう言う事か意味がわからず怪訝そうな顔を浮かべてポルカを見た。

 僅かな時間、話すかどうか悩んでいたポルカだったが、意を決したようにリリアナを見つめ返す。

「リズリーはね……レルムの婚約者よ」

「!」

 その言葉にリリアナは思わず動きが止まってしまう。

 心臓が止まりそうなほど驚いて、一瞬で頭が真っ白になってしまった。

 婚約者……?

 やはり、二人は結婚の約束をするほど深い関係だったのだ。

 そう思うと胸がズキンと痛んだ。

「……で、でも、その、リズリーさんは今敵対しているんじゃ……」

「えぇ……そうね。彼女が何を思って敵地にいるのか、それは当人にしか分からない事。彼女の想いも彼女にしか分からないわね。レルムは彼女の事はもう何とも思っていないと言っていたけれど、それでもやはり、過去に一緒に過ごしてきた時間がある分、今もあの子を苦しめているみたい」

 僅かに物憂げな表情を浮かべるポルカを見て、リリアナもまた口を閉ざし、手元に視線を落とす。

 婚約までしていて、なぜ離れ離れになる必要があったのだろう。レルムをあんな体に変えてしまうほど、リズリーは彼のことを憎んでいたのだろうか? もしそうだとしたら、なぜ?

 色々と考えてしまうが、リリアナの心はズキズキと痛み苦しくなっていく。

 思わずぎゅっと胸元に手を当てて握り締める。

 そんなリリアナを見つめ、ポルカは真剣な表情で口を開いた。

「……リリアナ。これは私からのお願いです。レルムは今とても不安定な状況にあると思うの。だから、あなたが彼を支えてあげてはくれませんか?」

「……あたしが?」

 ポルカは神妙な顔つきで頷く。

「リズリーと別れて以来、あの子は私とあなたのお父様以外誰にも心を許さなくなってしまった。彼は元々騎士の名家に産まれた事もあって、職務にも主従関係にもとても忠実で頑なです。それは悪い事ではないけれど、そればかりに囚われて自分を犠牲にする彼を支えてあげる人がいないと言う事が、私はとても気がかりなんです」

「……」

 支えになる。

 言う事は簡単だが、実際にそれを行動に移すのはかなり難しいものがあった。

 レルムはリズリーの事をなんとも思っていないと言っても、やはりまだ心迷うところがある。だからこそあんな深手を負ってしまうような事になった。それでも彼は誰も頼ろうとせず、一人で背負い込もうとしている。いつか心折れるような事があった時、誰も支えられる人がいないと言うのは辛いものだ。だが、自分がその立場に立ってもいいのだろうか? リズリーの代わりに、レルムの隣で支えてあげられる立場になれるのだろうか?

 そこまで考えて、リリアナは今一度自分の心に問いただしてみる。

 これだけの話を聞いてもまだ自分は彼の事を好きか、それとも、愛想を尽かしたか……。

 そっと目を閉じて考えたリリアナは、自分の中に答えを見出し瞳を開いてポルカを見た。

「あたしがリズリーさんの代わりになれるかどうかなんて、正直分かりません……。でも、やれるだけの事はやってみます」

 不安がないわけじゃない。だが少しでも気が休まるならとそう答えると、ポルカは嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう。私達の為に忠義を尽くしてくれるあの子も我が子同然と思って接してきましたから、あなたがそう言ってくれて嬉しいわ」

 リリアナはまだ痛む胸を押さえ、複雑に絡み合う心境に再び瞳を閉じた。

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