第24話 侵略の兆し
「マージ兵が大陸北部のミシェリア半島に進出。それまで鉄壁として知られていたブリッジベル要塞は崩落しました」
「視察団の話に寄れば、マージ兵の数はおよそ5万。ミシェリア半島及びその周辺の町村を占拠し、村人たちに新たな砦を築かせているようです」
「ミシェリア半島近隣にマージの要塞が出来たとあっては、こちら側もこれまで以上に不利な状況に追い込まれるかと……」
会議室に集まっているのは、世界各国に送った査察隊の人間達と多くの兵士たちを各部隊に分けてまとめる兵団隊長、及び総司令官であるペブリムと大臣、そして一国の主であるポルカだった。
ピリピリとした空気の中、大きなテーブルの上には地図が広げられ、査察隊の持ち帰った情報を各々が交換し合っている。
「その近隣に常駐していたブレディス王国兵とわが国のバルドー隊、グラヴィス隊はどうしているんだ?」
険しい表情でペブリムが訊ねると、査察隊の一人が口を開いた。
「ブレディス王国兵並びにバルドー、グラヴィス隊は、マージ兵により壊滅されたとの情報があります」
「……」
ペブリムの目元がピクリと動いた。
わが国から送ったその部隊は、ペブリムも納得するほどの精鋭部隊。そう簡単に崩されるはずはなかったが……。
隣に座り話を聞いていたポルカも険しい表情のまま、深いため息を吐く。
「あの子が戻ってきた事を喜ぶ間もさほどない内に、この状況になるだなんて……いよいよ水際まで追い込まれてしまった、と言うことですね」
物憂げに呟くポルカの心中は穏やかではない。
ガーランド国王が病気に倒れ、離宮での療養を余儀なくされている中で沢山の事をこなしているポルカを一番に案じているのは、ペブリムだった。
これ以上、ポルカの負担を増やすわけには行かない。王女が無事に帰還した今、この国の未来の為にも何とかしなければ。
「マージの要塞はどの程度まで仕上がっている?」
「およそ6割は完成しているようです。更に、マージ兵の精鋭部隊が要塞の四方を固めるごとく、あちらこちらに配備されているとのことです」
「6割……」
話を聞いたペブリムは苦い顔を浮かべる。
なぜもっと早い段階でその情報が掴めなかったのか。マージが町村を強奪する以前にもう情報が回ってきていてもおかしくはないと言うのに……。
「その話はなぜこんなにも遅れて入ってきた? もっと早い段階で分かった事だろう」
ペブリムがそう言うと、査察隊の面々は瞬間的に口を閉じた。
突如として水を打ったように静まり返った会議室で、査察隊の一人がおもむろに口を開く。
「我らが査察隊の総幹部殿が……、この数ヶ月の間に出した情報の全てを揉み消していたのです」
「何……?」
「総幹部殿は、あちら側の諜報員だったんです」
「!」
その情報にその場が騒然となった。ペブリムは然り、ポルカと大臣も驚きを隠せないでいる。
信用に足る人間を当てて送ったはずが、その人間がまさかマージの諜報員だったなどと思いもしなかった。
「私達は、何度要請書を提出しても援軍が来ない事を不思議に思っていました。そして一週間ほど前、偶然、幹部殿がマージ兵と接触しているところを目撃したんです」
「我々が出した要請書は、全て燃やされていました」
ペブリムは話を聞き、深いため息を吐いて頭を抱える。
このままでは、マージの勢いを止められそうにもない。どうにかしなければならない事は分かっているが、手立ては何もない。
よもや自国の中に相手側の人間が紛れ込んでいた事事態が信じられなかった。
「それから……」
査察隊の言葉の続きを、ペブリムは睨むように見た。
鋭い彼女の視線に、瞬間的にビクリと体を揺らした査察隊員だったが、手にしていた報告書に視線を落とし口を開く。
「……今回の進出には、リズリー総司令官が携わっていると言う情報があります」
「リズリーが……?」
ペブリムは愕然とした様子で彼を見る。
ミシェリア半島に数ヶ月前に進出して来たマージ。その間にデルフォスを攻めて来た兵士達は皆、確固たる地盤固めをするための目晦ましだった可能性が高い。こちらが戦に気をとられている間にも、ちゃくちゃくと進出を進めていたマージは一枚上手だと言っても過言ではない状況だった。
リズリーと最近出会ったのは、ルク村だ。あの時連れて行った兵士が殺されるよりも以前にこちらの行動が読まれていたとしたら、あの場にリズリーがいてもおかしくはなかった。
「……くそ」
ペブリムは小さく舌打をし、眉根を寄せる。
完全に舐められている……。そう思うと苛立ちが積もった。
「疑いたくはないが、自国の中に他に諜報員がいないかどうか確認を急いでくれ」
これ以上こちら側の情報がどこかから漏れているとなると、打つ手はなくなる。完全に八方塞だ。
自国の中にスパイがいないか確認を取らせると同時に、要塞の完成を阻止せねばならない。
「……覚悟を決めろと、そう言うことか」
ペブリムは一人呟いた。
****
部屋に戻ったリリアナは、着替えを済ませながらドリーに話を聞いていた。
彼女が紡ぐ言葉の大半が理解できない。
「それって、どういう事なの?」
話が良く分からないリリアナは、眉根を寄せながらもう一度確認の為に訊ね返す。
ドリーはリリアナの背後に回り、ウエストのリボンを結びながら口を開いた。
「北のミシェリア半島が完全にマージに制圧されてしまうと、今以上にこの国も危険に晒されてしまうと言う事ですわ」
「……」
今以上に危険に晒される。そう聞いてリリアナは背筋がゾクッとした。
もし、その話が本当だったらここはどうなってしまうのだろう? これまでのように簡単に鎮圧出来なくなると言う事だろうか。
いや、それ以前にもしもそうなったら、ペブリムやレルムはどうなると言うのだろう……?
「あの、さ。ちょっと聞きたいんだけど……。もし、そうなったらどうなるの?」
「この国を崩落させるわけには参りませんから、おそらくそうなる前にこちら側も行動を起こす事になると思いますわ」
「行動って言うと……」
「おそらくミシェリア半島に向けて、この城に残る隊と遠征に向かう隊に分かれて行くと思います」
その言葉に、リリアナは城に残る方に二人がいてくれることを無意識に望んでいた。だが、よく考えれば彼らは全軍を執り仕切る総司令官だ。二人同時に残る事は考え難かった。
「ペブリムさんかレルムさんか、どちらかはここに残るんでしょ?」
ドリーが知るはずもないのにそう聞き返していた。すると案の定、ドリーは困ったような表情を見せる。
「それは……申し訳ございません。私には分かり兼ねますわ」
「……」
リリアナは先ほどまでの気持ちとは裏腹に、何とも言えない不安に包まれた。
これからどうなるのか、そしてどうするのかを知りたくて、ペブリムでもレルムでもどちらでも構わないから今すぐ会って聞きたい衝動に駆られた。
ガタンと椅子から立ち上がったリリアナは、何も言わずにそのまま部屋を駆け出す。
「リ、リリアナ様!」
ドリーが止めるのも聞かず、靴音を響かせながら長い廊下を駆けて行く先は、以前ペブリムが兵士達を鍛えていた中庭だった。
今ならそこに行けばどちらかに会えるような気がしたのだ。
長い階段を降り、通路を駆けて息を切らしながら中庭に辿り着く。
いつの間にやら陽は傾き、空は濃紺に包まれていた。遠くにはまだ何も知らずにパーティを楽しんでいる人々の談笑する声と、穏やかな音楽が流れている。
リリアナは中庭に降りて辺りを見回すと、中庭の隅に人影を見つける。近づいてみるとそこには剣を鞘から抜き放ち、月明かりを反射させている刃を睨むように見つめるレルムの姿があった。
何か思いつめたように自分の剣を見つめていたレルム。その姿に、リリアナは一瞬声をかけることを躊躇った。
「……レルムさん」
「……!」
リリアナが声をかけるとレルムは驚いたようにこちらを振り返り、剣を鞘に戻した。
サクサクと草を踏みしめて彼の前まで歩いてきたリリアナは、彼を好きだと自覚した自分の存在に緊張しながら、顔を伏せたままで口を開く。
「あの……マージの事、さっき聞きました」
「そうですか……。しかし、何の心配もいりません。私どもが必ず食い止めます」
「いや、あの……そうじゃなくて……」
顔を上げられない。顔を見るのが恥ずかしいと言うのもあるが、不安が大きすぎて顔を上げると感情が露骨に出そうで上げられなかった。
「え、遠征……とか、行っちゃうんですか?」
俯いたまま気になったことを訊ねる。すると、レルムは少しの間沈黙を守りそして静かに口を開く。
「はい」
「……っ」
「情報が遅れて入ってきた以上、このまま野放しにしておくわけには参りませんから」
静かに語るレルムの声には緊張や不安よりも、使命感に溢れた感情が込められていた。
リリアナは、好きだと初めて自覚できた相手が戦地に赴くのだと分かると、堪らなく胸が苦しくなってしまう。
遠征に出れば命の危険はついて周るもの。もし何かあったらと思うと怖くて仕方がない。
「ペ、ペブリム、さんは残りますよね?」
思いがけず声が震えている事に気付きながらそう訊ねると、レルムはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。ペブリムも行きます」
「え……それじゃ……」
ドクリ、と更なる不安の波が襲う。
リリアナは思わず顔を上げてレルムを見ると、彼は真剣な眼差しでこちらを見つめていた。
「彼女と共に、片付けてこなければならないことがありますから」
「……」
「何の心配も要りません。そんな事よりも今は、あなたにはやらなければならない事が……」
「そんな事って何ですか」
リリアナはつい、口調荒くそう訊き返した。
「人が死ぬかもしれないって思った時に、冷静でなんかいられません。それが、大切な人だったら尚更です!」
若干睨むように見つめながら、暴走し出しそうな感情を必死に押し殺そうとした。
村で起きたあの事件の事も、再び脳裏を掠め通る。そしてあの時感じた恐怖と不安がリリアナを支配していた。
レルムは驚いたようにリリアナを見つめ、そしてやんわりと微笑を浮かべる。
「ありがとうございます。そのように思っていただけて光栄です」
「そうじゃなくて……」
「ですが、あなたにとって大切になるであろう人を悲しませないよう、私達は動かなければなりません」
「!」
彼が何を言わんとしているのか察すると、リリアナは意図せずにカーッと顔が熱くなる。
そんなリリアナの姿を見たレルムは、よく見せてくれる優しげな笑みを浮かべた。
「大丈夫です。デルフォスの神に誓って、必ず帰ってきます」
「……」
レルムの強い意志を前に、リリアナはそれ以上何も言えなくなった。
本当は、ロゼスじゃなくてあなたが好きなんだと言いたい衝動に駆られたが、怖くて言い出せない。
遠征に行く事に揺ぎ無い決断を持っているレルムを前に、行かないでとも言えず……。
リリアナは再び顔を俯けると、震える声で呟いた。
「……それなら、絶対に無理はしないで絶対に帰ってきて下さい」
「はい、必ず」
誰もいない中庭で交わされた約束は、静かに二人の間で結ばれた。
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