第21話 特別レッスン

「王女様。パーティまで残り三日でございます。今日まで行ってきたレッスンの成果は、まずまずと言ったところでしょう」

「……はぁ」

 まずまず、と言う言葉に生返事を返してしまう。

 モーデルの評価は非常に厳しいものがあるが、実際問題自分はまだその程度にしか動けていないと言う事なのだろう。

 人様の前に出るだけなら、今の状態でもまぁ大丈夫だろう、と言う具合だ。

「各国から観えられる王族の方や貴族の方は、王女様の動きや言動など全てを見に来ますから、緊張されすぎて失敗のないようにお願い致します」

「は、はい……」

「それから、今日は特別レッスンを設けております」

「へ? 特別レッスン?」

 不思議に思い首を傾げると、モーデルはコホンと軽く咳払いをして言葉を続けた。

「はい。本日のみ行う特別レッスンです。パーティ当日には不測の事態が起きる場合もございます。例えば、ダンスに誘われたり……」

「ダ、ダンス?!」

 思いがけないその言葉に、リリアナは思わず声を上げてしまった。

 そんな彼女をチラリとみやりながらモーデルは小さく頷き返す。

「そう言う事もございますよ。ただ、今回はそうならないようにこちらで手を打たせて頂きますけれども、今日はダンスがどう言った物か体験されてみて下さい」

 ダンスなど予想にもしていない。

 村で収穫祭の晩に焚き火の傍で音楽にあわせて一人で踊る簡単なものならやったことがあるが、お城ではそんな物はしないだろう。

 突然そんな事を言われても、何をどうしたら良いのか分かるはずもない。

 戸惑いの色を露にしていると大広間の入り口がゆっくりと開かれ、ゆっくりと靴音を鳴らしながら入ってきたのは軍服を身に纏ったペブリムだった。

「ペ、ペブリムさん?」

「おはようございます、王女」

 にこやかに現れたペブリムに困惑していると、モーデルが口を開いた。

「ペブリム様は主にわが国の総司令官をされているお方ですが、ダンスについてはこの方の右に出るものはございません。本日はお時間があるという事ですので、実際にご覧になって頂き体験として手ほどきをお願い致しました」

「……そ、そうなんですか」

「僭越ながら、私がお相手をさせて頂きます。宜しくお願い致します、王女」

 ニコリと微笑むペブリムに、リリアナはぎこちなく頭を下げる。

 軍を執り仕切る切れ者でありながらダンスも上手いとは、彼女は凄い人なんだと感心したようについ見つめてしまう。

「では、最初に見ていただきましょう。最初のお相手は……。そうね、ドリー。確かあなたもダンスについての知識があったわね? お相手をさせて頂いて」

「はい、かしこまりました」

 モーガンの指示を受け、それまで部屋の隅に立っていたドリーは一歩前に出てスカートを軽く持ち上げて会釈をしてみせた。そして差し伸べられたペブリムの手を取ると、二人は慣れた様子でポーズを取る。

 ドリーの左手はそっとペブリムの手を握り返し、逆に右手はペブリムの二の腕に添えられる。ペブリムの左手はドリーの腰に回され、二人は近すぎるほどの距離で向かい合って立っていた。

「……」

 リリアナは呆然とそんな二人を見詰める。

 身長のあるペブリムは、ドリーと組んでも全然引けを取らない。互いに互いの顔を見つめあいながら、軽やかに足を踏み出していく。

 くるくると足並みの揃ったステップを踏んで踊る二人の様子を見て、見惚れない方がおかしい。

「ペブリム様はリードがとてもお上手ですが、他の方が皆そうとは限りません。基本中の基本であるステップのみを今回体験して頂きます」

「……あ、あたしに出来るんでしょうか」

「今は難しいでしょうが、いずれはこれもマスターして頂きますよ」

「……」

 有無も言わせぬモーガンの一言に、リリアナは二の句を告げる余裕はなかった。

 優雅な身のこなしで踊る二人は、当然ながら最後まで失敗する事も無く踊り終えると、組んでいた腕を解く。

 ドリーは軽く会釈をするとすぐに部屋の隅に戻り何事もなかったかのように澄ました顔で立っていた。

「では王女様。どうぞ」

「あ、は、はい……」

 嫌とは言えない雰囲気に背中を押され、ペブリムの前にそろそろと歩み出るとそっと手を差し伸べられた。

 白手袋がはめられたその手を見つめ、確かに線の細さのある女性らしいものであるのに、レルムのそれと重なって見えてしまう。

 そのせいか、手を取る事に躊躇いが生じてしまった。

「お手をどうぞ」

 ペブリムに再度促され、リリアナはおずおずとその手に自分の手を重ねてみた。すると柔らかく握り返され、するりと腰に手が回ってくる。

 その瞬間に体に緊張感が走り力が入ってしまう。

「……っ」

「王女。右腕を私の腕に乗せてください」

「……は、はい!」

 ペブリムに指示されるまま、右手を彼女の二の腕に乗せるとより距離感が近づいた事に鼓動が跳ねる。

 あぁ、どうしよう。相手がペブリムだと分かっているのに、変に意識をしてしまっている自分が恥ずかしくて仕方がない……。

 緊張から体が強張り、恥ずかしさに顔を上げられずにいると、ペブリムが声をかけてきた。

「王女。顔を上げて下さい」

「う……は、い」

 そう指示されて、落ち着き無く視界をさ迷わせながら何とかペブリムを見上げると、彼女はクスリと笑った。

「そんなに緊張されなくても大丈夫ですよ?」

「は、はい。で、で、でも……っ」

 カーッと顔が自然と赤らんでしまうのは、彼女がレルムに似すぎているせいだ。

 しかもこんな至近距離で真っ当に顔など見れるはずがない。

「大丈夫です。落ち着いて、私に任せてください」

「……」

 リリアナはぐっと口をつぐみ、上げていた視線をまた思わず下げてしまう。

「王女、目線を上げてください」

「……はいぃ」

 ぎこちなくもう一度視線を上げると、バチリと視線がかち合う。

 もう心臓は音を立てて壊れてしまうのではないかと思うほどにバクバクと脈打っていた。

「これが基本姿勢です。簡単でしょう?」

 自分とは違い、落ち着き払っているペブリムはにこやかに説明をし始める。しかしリリアナにはただ頷き返す事しかできない。

「それでは少しだけステップを踏んでみましょうか。王女は歩くのと同じように足を踏み出して頂ければ大丈夫です。まずは左足を横へ……」

 ペブリムの指示に習い、リリアナは言われるままに左足を横へ踏み出すと自然とペブリムが体がそちらへ動くよう上手くリードしていく。

 軽く踏み出せた一歩目に続いて、落ち着いた声音でペブリムが次の一歩をそっとリリアナに囁く。

 耳元で指示を出すペブリムの声を頼りに足を踏み出していくと、すんなりと動ける。それは全て、彼女が導いてくれているからだった。

 ステップを踏みながらチラリと視線を上げると、ペブリムは指示をやめることなく柔らかく微笑み返してくる。

 数日前に兵士達に指示を出している時の厳しさのある表情とは違い、とても優しげなペブリムにリリアナはまたも恥ずかしくなった。

 相手は女性なのに、こんなに意識してしまう自分がおかしくなってしまったのではないかだろうか。

 そんな事を思っている間に、いつの間にやら終わったのか動きがピタリと止まり、そっと腕が離れていく。

「お疲れ様でした。王女」

 ニッコリと微笑むペブリムの言葉に、呆然と目を瞬いた。

「あ、あれ? もう終わっちゃいました?」

「王女様、見事なダンスでした。初めてとは思えません」

 モーデルが驚いたように拍手をする姿を見て、リリアナはペブリムを見上げると彼女は変わらない笑みを浮かべていた。

「初めてと仰っていたようですが、とてもお上手でした」

「ええっと、それは、ペブリムさんのリードが上手だったからで……」

「いいえ。初めてでここまで出来る方はいらっしゃいません」

「……あ、ありがとう、ございます」

 こんなに褒められた事は子供の時以外ない。嘘でもそう言って貰える事が、何となく嬉しかった。

 モーデルは感心したように軽く微笑んでいる。

「体験とはいえ本当に素晴らしいダンスでした。これなら何があっても問題はございませんね」

「そ、それは買いかぶりすぎかと……」

「今後のレッスン、期待していますよ。王女様」

「……」

 珍しくニッコリと微笑むモーデルに、背筋に冷たい汗が流れたのは言うまでもなかった。

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