第17話 鳴り止まない鼓動

 食事を終えたリリアナは、自室に戻ることなくその足でドリーと共に城内散策に出かけた。

 場内は思ったよりも広く、一つ一つの部屋がとんでもなく広いことに、リリアナはただ感激するばかりだ。

 多くの学士たちが利用する書庫やダンスホール、見張り塔から兵士たちが暮らす塔。そして何より驚いたのは、城の中には大なり小なり中庭を設けている事だった。その中でも一番規模の大きい一階の中庭では、兵士塔が近いのもあってか沢山の兵士達が汗を飛び散らせ、両手に握り締めた剣を振るい上げて剣術を磨いている。

 その傍らで兵士たちの動きに目を光らせているのはペブリムだった。 


「脇を締めろ。剣の柄は強く握りすぎるな。剣はこちらの力で押すのではなく、相手の力を利用して押す」


 この日は軍服を脱いでラフな格好をしているペブリムは、腰に剣を携えている。

 誰一人無駄なく、そして欠けることなく向上できるよう常に目を光らせていた。

 大勢の兵士達が一同に声をあげながら、ペブリムの良く通る張りのある声の指示の元懸命に鍛錬に励んでいた。

 そんな中、ペブリムの視線の先にやたらと力の入っている兵士の姿が目に止まった。


「クルー、体に力が入りすぎている。どうした? いつものお前らしくないな」


 そっと腕に手を置き、傍らに立ったペブリムを、クルーと呼ばれた兵士は滝のような汗を流したまま振り返る。


「すみません。王女様がお戻りになられたと聞き、つい力が入ってしまいました」


 肩で荒い息を吐きながら、自分に正直にそう答えたクルーにペブリムはふっと目を細めて微笑んだ。


「そうか。意気込むのは結構だが、肩の力を抜け。今のままではこれまで出せていた力も出せないぞ」

「はい!」


 ポンポンと肩を軽く叩き、ペブリムは他の兵士達の様子を見にその場を離れる。


「ヴァンディ、お前は柄を深く握りすぎている。もう少し軽く……そうだ。力まずそのままで振るってみろ」

「はい!」


 ペブリムは整列したままの兵士達の間を縫うように歩きながら、気になる兵士一人一人の名を呼びかけ指導をする。


 彼女は、ここにいる兵士達の名前と顔、性格や特徴をよく熟知していた。一人一人の特性を活かせるよう的確な指導をすることで、それぞれの力を上手に伸ばしていく。

 時に厳しく、時に優しく、飴と鞭を上手に使い分けながら指導をするペブリムの信頼は非常に厚い。


「もう一度! 1、2、1、2!」


 中庭とは言え、外気に触れるところだと言うのに何とも言えない息苦しささえ感じさせるこの空間で、兵士達は限界まで腕を振り続ける。

 皆苦痛に耐えるかのような表情で、汗を拭う余裕もなく「1、2」とペブリムの発する掛け声にあわせて声を上げ、必死だった。全員の息が揃い、一糸乱れぬ動きを見せ始める。


「そこまで! しばし休憩にする」


 全員の様子を見渡してようやく休憩の合図を送った。すると彼らはようやく与えられた休息にドッとため息にも似た息を吐き、剣を収めてぞろぞろと中庭の隅に腰を下ろしながら給水をし始めた。

 ペブリムもまたそんな彼らを見つめ、一度肩で大きく息を吐く。

 丁度そこへ城内散策へと出かけていたリリアナが通りかかり、リリアナの隣に立っていたドリーが声をかけた。


「あ、リリアナ様。ペブリム様がいらっしゃいましたわ」

「え?」


 ドリーに声を掛けられ足を止めたリリアナがそちらを振り返ると、丁度引き上げてこようとするペブリムと目が合った。

 その瞬間、コトリと胸の奥で小さな音が鳴る。そして無意識にも体が緊張し始めた。


 なぜ急にこんなに緊張してしまうのだろう? ペブリムとは緊張せずとも会話ぐらいできるほどになっていたと言うのに……。


「王女?」


 ペブリムは驚いたように目を見開き、こちらを見つめ返してくる。


「どうなさったんですか? こんな場所にいらっしゃるとは……」


 歩み寄ってくるペブリムに、リリアナは緊張から無意識に胸元をぎゅっと握り締めながら口を開いた。


「い、今、ドリーと城内の散策をしてるんです。まだここの事、良く知らないので……」

「そうでしたか。確かに城の事を知って頂くのは良い事だと思います」


 微笑みながら目の前に立ったペブリムを見上げ、リリアナは緊張の色を濃くする。

 なぜ、こんなにも緊張しているのか自分でも良く分からない。こうして見上げてみると、ペブリムは女性のわりに長身で非常に男性的だ。総司令官と言う軍隊を束ねる地位の人間なのだから、それぐらいの凛々しさはあってもおかしくはないのだが……。

 何より、見れば見るほど昨日会ったレルムに瓜二つだ。性別が違わなければ絶対に分からないほど、二人は良く似ている。

 リリアナは心が動揺している事に思わず視界をさ迷わせて、自分がここへ来た目的を口にする。


「あー……えーっと、ですね。その、お礼を言いたくて……」

「礼、ですか?」

「はい。あの……村にいた時から凄く気にかけてもらったのにあたし、ちゃんとお礼を言えてなかったから……」


 何となく目を見て話しづらくなりながらもチラリと上目遣いにペブリムを見ると、彼女はニッコリと笑みを浮かべていた。


「その事でしたらお気になさらないで下さい。あなたは私がお仕えするべきお方。そのあなたの心を支えるのも我々従者がすべき当然の事です」

「い、いえ。でも、ちゃんと言うべき事は言わないとダメだと思うので……。ありがとうございました」


 ペコリと頭を下げて礼を言うと、ペブリムは困ったように微笑みかけてくる。


「王女、私どものような従者に頭を下げる必要は……」

「そ、そうですよね。ドリーにも同じ事言われました。でも、あたしは小さい時からこうするように躾けられて来ましたし、そうしたいんです。そうしないと落ち着かなくて」


 下げていた頭を上げてキッパリと言い切ると、ドリーもペブリムも瞬間的に言葉に詰まった。互いに顔を見合わせながらも、困惑したように微笑む。

 これまで生きてきた環境がこことは違いすぎるのだから、リリアナがとっている行動は当然と言えば当然。完全に否定など出来るはずもない。

 どう声をかけるべきか考えていると、リリアナは自分の手元に視線を落としモジモジし始めた。


「……あと、レルムさんにも一言お礼を言いたいんです」


 ボソッと呟くように言ったその言葉に、ペブリムが驚いたように目を見開いた。


「レルムに、ですか?」


 そう訊ね返すと、リリアナは様子を窺うような視線を向けてきた。


「はい。実は昨日の夜、部屋のバルコニーから励ましてもらって……。お礼を言えていなかったから」


 すると、ペブリムは瞬間的に小難しい表情を浮かべた。そして考え込むように一度視線を下げると、すぐにリリアナを見つめ返す。


「……礼でしたら、私から彼に伝えておきましょう」

「でも、直接会ってお礼したいんです」

「しかし、彼は……」


 なぜか渋るペブリムに、リリアナはムッと眉根を寄せた。


「レルムさんが夜にしか会えないのは知ってます。でもお礼はきちんとしたいんです」


 真っ直ぐなリリアナの言葉にペブリムは僅かに口を閉ざし、やがて静かに頷いた。


「分かりました。では今晩、レルムにはあなたの部屋に窺うよう伝えておきます」

「え!?」


 自分から礼が言いたい。そう言っておきながら、夜部屋を訪ねるよう伝えておくと言われた瞬間動揺したような表情を浮かべた。

 思いがけないと言わんばかりに出た言葉に、ペブリムは不思議そうに首を傾げる。


「どうなさいました? 今晩は都合が宜しくないでしょうか?」

「い、い、いえ。そんなことは……。分かりました。じゃあ、お願いします!」

「あ、リリアナ様、お待ち下さい!」


 リリアナはペコリと頭を下げると、パタパタとその場を駆けて行ってしまう。ドリーもまたペブリムに頭を下げ、急ぎリリアナの後を追いかけた。

 そんな二人の後姿を呆然としたように見送りながら、ペブリムは思わずクスリと笑ってしまった。


「私が思う以上に、活発な王女様でいらっしゃるかもしれないな」







 ペブリムの前から駆け出して、曲がり角を曲がったところで立ち止まったリリアナは乱れた呼吸を整えた。

 ドキドキと胸が鳴るのは急に走ったせい。だが、この胸の鼓動が落ち着かないのは走るよりも前からだ。なぜこんなに落ち着かないのだろう? ペブリムに会う前まで何事もなかったのは確かだ。だが、ペブリムにあった瞬間から何かがおかしい。


「……あたし、何か変かも」

「リリアナ様!」


 リリアナの後を追いかけてきたドリーが、息を乱しながら駆け寄ってくる。そのドリーを見つめ、リリアナは困ったような顔を浮かべた。


「あたし、変かも……」

「え?」

「うん、何か、良く分からないけど、変だ」

「……?」


 自分に言い聞かせるようにそう呟きながら、ドリーと同様にリリアナも首を傾げた。

 本当だったら、もう少しレルムの事を聞こうと思っていたはずなのに上手く言葉が出てこなかった。モヤモヤとしたような、くすぐったいような妙な気持ちを胸に感じながらリリアナは深いため息を一つ吐く。


「どうなさったんです? 変って……?」

「……わかんない」


 この気持ちを何と表していいのか分からず、リリアナは首を横に振った。


 今晩レルムが部屋を訪ねてくる。

 それがどうしようもなく動揺を呼び、落ち着きがなくなってしまう。

 来たらお礼を言うだけだ。他に何を話す訳でもなんでもない。ただそれだけだ。

 リリアナはそう自分に言い聞かせていた。

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