Long Day Long Night 22

「久しぶりだね、カチュア」

「はい」 あどけない笑みを浮かべて、少女がそう返事をする。微笑してうなずき返してから、アルカードは後部座席の手前に座った金髪の男――つまるところ、自分と同じ容姿を持つ男に視線を向けた。

「よう」 にこやかな笑顔を浮かべて、ドッペルゲンガーが適当に片手を挙げる。

「おまえ……否、言うまい。まあいい――例の政治家はきっちり殺ったか」

「感覚を共有してるんだから、おまえもそれは知ってるだろう――俺が奴を殺ったその瞬間、」 ドッペルゲンガーの返答に、アルカードはうなずいた。使い魔であるドッペルゲンガーと主であるアルカードは感覚を共有しており、アルカードが接続している間は使い魔の視覚情報、味覚や嗅覚、指先で触れた物の感触までも共有することが出来る。

 アルカードはドッペルゲンガーが議員を殺害する瞬間に彼と『繋いで』いたので、握り込んだ三爪刀トライエッジの感触、その刃が首を跳ね飛ばす手応えも、自分でそれをしたかの様に鮮明に覚えていた。

「そら」 ドッペルゲンガーが足元に放り出していた三爪刀トライエッジを拾い上げ、ぞんざいな仕草でアルカードに向かって差し出してくる――アルカードは差し出された三爪刀トライエッジを左手で受け取り、そのまま腕の中に沈めてしまいこんだ。

「そんなものを取り込めるのか?」 ドッペルゲンガーの質問に、

「腕の容積より小さければな――この場合、問題は長さだが」 そう答えて、アルカードは腕を下ろした。

「見ての通り腕全体ほどの長さじゃないが、手首から肘までよりは長い――もう一度これを取り出すまでは、もう腕を曲げられん」 アルカードの左腕を構成する憤怒の火星Mars of Wrathは、自在に流動する液体金属の塊だ――表面の質感を人間の皮膚に似せてはいても、内部に筋肉や骨格が存在するわけではない。したがって、内部にナイフや小型の拳銃等を取り込んでおくことも出来る。ただし一応限界はあって、単純に腕のサイズや容積より大きなものは取り込めない。

 つまり、単純に腕の容積に収まらない大きな物体、フルサイズの拳銃などははみ出してしまうので取り込めない――取り込むことそのものは可能だが、左腕の形状が保てなくなるので擬態の意味が無くなる。また、腕の可動域に干渉する、たとえば肘関節の部分をはさんで上膊と下膊にまたがる長い棒の様な物体を取り込んだ場合は、腕を曲げようとすると取り込んだ物体が干渉して肘を曲げられなくなる。

 そう説明してやると、ドッペルゲンガーはうなずいた。

「なるほど」 そう返事をしたところで、ドッペルゲンガーの体がどろりと崩れ落ちた。一瞬どす黒い液状になってしたたり落ちたかと思うとそれも消滅し、そのままアルカードの影に取り込まれて消える。

 アルカードはそれを見届けて、カチュアのほうへと視線を向けた。ドッペルさんが消えちゃった、と残念そうな顔をしている少女の頭を軽く撫でてやり、

「それじゃあな、カチュア――今日は用事があるから、これでお別れだ」 その言葉に寂しそうな表情を浮かべる少女に、アルカードは小さく微笑んだ。

「今度ね――しばらくしたら時間が出来ると思うから、そうしたら一緒にどこかに遊びに行こう」

 それを聞いて、カチュアがパッと顔を輝かせる――アルカードは手を伸ばして、シートの上でお尻をずらす様にして手前の座席に移ってきた幼い少女の小さな体を片手で抱き寄せた。

「なに、すぐだよ」 首に腕を回して抱きついてくるカチュアの背中をさすってやりながら耳元でそう囁いて、アルカードはカチュアの体を離した。

「すまんな、忠泰――俺はこれで戻る。朝から働いてもらって悪かったな」

「いえ、瑣事ですので」 シート越しに運転席に座った神田にかけたねぎらいの言葉に、神田が肩越しにそう返事を返してくる。

 アルカードは無言のまま小さくうなずいて、後部座席のドアを閉めた。助手席のドアの鉄板を軽く拳で小突き、踵を返して歩き出す。神田がクラウンの発進準備に入ったのだろう、背後でエンジンの回転が上がり始めるのが聞こえてきた。

 

   *

 

「――さぁ、こっちだ」 十郎がそう言って、先に部屋の中へと足を踏み入れる。

「どうぞ、楽にして」

 どうも、店舗になっているのは家の裏側らしい――ちょうど入って店側とは反対側の縁側に出ると、先程の子供たちが凛と蘭と一緒に、庭に放された犬たちと戯れているところだった。

 部屋はかなり大きめの畳が十二枚、長方形の和室で、部屋の真ん中には大きな開口部のある壁があって、本来は長方形の部屋として使うものではないらしい。開口部の敷居の部分には襖を嵌め込むための木製のレールがあり、本来は六畳の和室として使うもので、必要に応じて襖を取り払える様になっているのだろう。

 開け放された障子の向こうに開けた庭は岩で囲まれた池もある小さいながらも趣のある和風庭園で、犬たちははじめて見る場所でテンションが上がっているのかしきりに尻尾を振りながら子供たちの足元をじたばた走り回り、捕まえようとする四人の子供たちの手から逃げ回っている。そして子供たちの手から逃げる犬たちに周囲をぐるぐる回られて、セントバーナードサンベルナールが戸惑った様子で周りを見回していた。

 アルカードは黒髪の女性と並んで縁側に腰を下ろし、こちらに背を向けてその様子を眺めている。隣の女性の後姿には見覚えがある――秋篠香澄。陽輔の恋人だ。

 リディアが横から覗き込むと、金髪の吸血鬼はそれはもう緩んだ表情で子供たちと犬の戯れを眺めていた。

 ツネはというと香澄をはさんでアルカードの反対側で縁側に腰を下ろし、こちらも緩んだ表情で孫娘たちの様子を眺めている――否、十郎や忠信の母親であるならば曾孫か。

 脇の障子に立てかけてあるのは、アルカードがここまで持ってきたお土産物の袋だ――本来は家の主である十郎に渡すべきなのだろうが、彼がこの家について最初に会った誰か、十郎の孫娘ふたりのどちらかか冬夜の細君に渡したのだろう。あるいはまだ姿を見ていないマリツィカの夫かもしれない。

 長年の間にすっかり飴色になった縁側に座りこみ、ぼへーとした平和極まりない表情でくつろいでいた吸血鬼は、リディアが隣に腰を下ろしたところでようやっとこちらに気づいたらしい――否、もちろんもっと前から気づいてはいたのだろうが。

 こちらに気づいていることを示すためだろうか、吸血鬼がこちらにちらりと視線を向ける。

「――あら、お義父さん。その子たちもお客さんですか?」 微笑を返したところで横手から声がかかって、リディアはそちらに視線を向けた。

 お茶の入った硝子製のボトルと霜の降りたコップがいくつか載ったお盆を手にして、涼しげなワンピース姿の若い女性が部屋の入口のところに立っている。まだ若い――二十代半ばくらいか。

「ああ、すまない雛子さん、増えた」 最初に部屋に入った十郎が、長卓に着きながらそう返事をして適当に片手を挙げる。

「この子たちも、ドラゴスさんのお連れさんですか?」

 という女性の質問に、アルカードが片足を縁側に引き上げる様な仕草をしながら、

「さっき凛ちゃんたちが言ってた、店の従業員だよ」

「ああ、そうなんですか」 はじめまして、と挨拶するフィオレンティーナに、ヒナコと呼ばれた女性が手にしたお盆を卓上に置いてから丁寧に一礼する――先程彼女はそこにいる子供たち、小夜と小都と一緒に名前が出ていた。おっとりした雰囲気のその女性は三人を順繰りに見回して、

「神城雛子です。よろしくね」

「冬夜君の奥さんだ――そこの小夜ちゃんと小都ちゃんの母さんだな」 アルカードがそう説明する。彼は卓に着いたフィオレンティーナを視線で示し、

「フィオレンティーナ・ピッコロだ――そっちの子がパオラ・ベレッタ。で、こっちの彼女が妹のリディアだ」 名前を呼ばれた順に会釈をすると、雛子は周りを見回して、

「アンちゃんたちは?」 そんな疑問を口にする。アンをはじめとする古株従業員四人は、先に北側の集落に住むという知人に挨拶すると言って途中で車を降りていた――アルカードがそれを説明すると、雛子は納得した様にうなずいて、

「そうですか」

「ああ――まあ、もうじきぐるりん号でここに来るんじゃないかな」 アルカードがそう答えて、ようやっと自分の周りでじゃれまわる小さな犬たちの包囲から逃れることに成功したらしいサンベルナールに手を伸ばす。横から差し出したリディアの指先に鼻先を近づけて匂いを嗅いでいるサンベルナールに目を細め、毛足の長い毛布の様なふかふかの毛並みを撫でているアルカードに、

「この仔の名前は?」

「ジョーダン」 差し出されたでっかい前肢を軽く掴んで振ってやりながら、彼はそう返事をしてきた。

 飼い主が自分たち以外の同種をかまっているのに気づいたのか、ソバとテンプラがこちらに寄ってくる――ウドンは蘭に捕まっていて身動きとれない様だったが。

「こいつらはなんていう名前なんだね」 十郎の質問に、アルカードがそちらに視線を向ける。

「この黒いのがソバ――こっちの白いのがテンプラで、蘭ちゃんが抱っこしてる茶色いのがウドンです」 名前を呼ばれたテンプラが、アルカードのほうを見上げて尻尾を振る――アルカードはかかえ込んでいた脚を下ろすと、そのまま腰をかがめてテンプラの体を抱き上げた。

「そうか。……兄さんがつけたろ?」

「そうですけど、なんでにやけてるんですか」

「否、兄さんらしいセンスだと思ってな」 適当に肩をすくめながら口にした十郎の返答に、アルカードはこちらも適当に肩をすくめた。

「まあ、センスのいい名前じゃないことは自覚してますよ」

「いやいやいや、名付け親の性格が一発でわかる、いいネーミングだというだけだよ」

「……ま、そういうことにしときます」

「わたしはいい名前だと思いますけどね」 と横から口を出しておく――なぜか半眼でこちらを振り返る吸血鬼に、リディアはにこにこ笑いながら続けた。

「わたしは貴方の名付けのセンスは好きですよ――なんというか、素朴で」

「……一応褒め言葉だと受け取っておく」

 なぜか喜んではもらえなかったらしい――ジト目を崩さないままのその返事に眉根を寄せると、リディアは足元でスニーカーの甲に前肢をかけているソバを抱き上げた。

 アルカードが近づいてきた黄色い服の女の子――あとで聞いたところによると、こちらが小都らしい――に、抱き上げたテンプラを渡す。小都の腕の中でじたばた暴れるテンプラの頭を軽く撫でてやると、彼は一度退室して更に多くのコップを持って戻ってきた雛子に視線を向けた。

「ところで春樹君はどうしたんだ」 また知らない名前が出てくる。

「ハルさん? さっき収穫した西瓜を取りに行ってますよ」

「畑に行ったのかい?」

「いえ、冷やしてあるんです」 はじめて生った西瓜を、皆さんに振る舞うんですって――くすくす笑う雛子に、アルカードはうなずいた。

「あの畑、地元を離れる前はずいぶんと入れ込んでたもんな」

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