Black and Black 35

 たぶん年齢は自分よりも上だろう――少なくとも青年のほうは。だが、アルカードとは違う意味で妙に達観、というか世の理不尽に晒され続けて苦労の辛酸を舐め、その結果達観してしまった様に見える。

 少女のほうは逆で、自分よりも六、七歳くらいは下だろう。

 だが、続いた言葉はそんなフィオレンティーナの予想を裏切るものだった。

「追加で注文したから別にいいだろう。まったく、そもそも誰のせいでこんな食べ方をしてると思ってるんだ。だいたい、今年で二十歳になる奴が、食べ物が無くなったくらいで泣きそうな顔するな。情けない」

 二十歳……?

 どう見ても今年の十二月で十八歳になるフィオレンティーナよりも年下だ。というよりも、凛や蘭から数えたほうが早い。

「あのー」 混乱の極みに達したフィオレンティーナは、眼前の黒髪の青年に呼びかけられたことにも気づかなかった。

「もしもし、ウェイトレスさん? もっしもーし?」 という声をまるで窓の外から聞こえてくる喧噪の様に聞き流し――

聖堂騎士パラディンフィオレンティーナ・ピッコロ!」

 騎士団集結時の教練の号令にも似た凛然とした声に、フィオレンティーナはその場で背筋を正し――正したところで状況を飲み込めずに動きを止めた。

 それまで連れの食事を片端から奪い取っていた青年が、こちらに視線を向けている。

 今自分を呼んだのはこの若者か?

「……どうしてわたしのことを知ってるんですか?」

「それより先に、とりあえずオーダーを通してくれないかい? そこで固まられると、相方の腹が満たされないんだが」

 フィオレンティーナは再び、今度は先ほどとは別の混乱に囚われながら、ハンディターミナルを取り出した。自分の素姓をなぜ彼が知っているのかという疑問は残るが、仕事中なのでそちらを優先するわけにもいかない。

 追加注文分が記載された伝票をその場に残して、フィオレンティーナは空いた皿を下げにかかった――それを洗い物担当のエレオノーラのところに運びながら、胸中でだけつぶやいておく。

 でも彼女の空腹が満たされていないのは、貴方が彼女の取り分まで全部食べちゃったからでしょう。

 

   †

 

「――はい、はい。ええ、今回はそれで結構です。でも次からは無い様にお願いしますね。では、よろしくお願いします」

 事務所の電話を置いて、アルカードはFAX用紙を切り取った。

「ねえ、どうかしたの?」 トキトゥラという上に目玉焼きの載ったシチューに似た料理の牛肉をフォークでつつきつつ、アンがそう声をかけてくる。

 アルカードは用紙をクリップボードに留めながら、

「給仕には関係の無いことだから、気にしなくていい」 そう返事をしてからあまりにも不愛想に思えて、アルカードは続けて言い添えた。

「発注した食材の揚げ物用の油の明日入荷ぶんに、出荷ミスがあったそうだ」

 そう答えてから、電話の横のメモ帳を一枚切り取り、そこに手早く明日の連絡事項を書き記す――8/11入荷ぶんのサラダオイル、出荷ミスにより入荷量が半分。8/13に追加入荷予定。

「対応出来るの?」

「別に入荷した油を一度に使うわけじゃないから、それは問題無い」 そう答えてから、アルカードは事務所の扉のほうに歩き出した。

「今忙しい?」

「否、それは大丈夫だ。君を呼び戻さなくちゃいけないほどじゃない」 飯はちゃんと喰ってこい、と適当に手を振って、扉を開けて廊下に出る――アルカードはフロアのほうに取って返し、料理を給仕に引き渡すためのカウンターのところで足を止めた。途中で通りかかった厨房から料理を出すためのカウンターに、いくつか料理の皿が出されて、フィオレンティーナがいくつか取り上げている。アルカードはそのそばで足を止めると、皿に添えられていた出荷伝票を確認した――テーブル番号はすべて五番。どうやらアルカードが電話に出ている間に、ほかの食事客が来たわけではないらしい。

 ……全部あの坊やとお嬢ちゃんのところか?

 アルカードが伝票を確認しているのを見たからだろう、フィオレンティーナは別段なにも言ってこなかった。

 フィオレンティーナのあとについて、彼女が持ち切れなかった料理を運んでいく――なにかまずい会話でもしていたのか、陽響がしまったという顔をした。どういう理由なのかは知らないが。

 皿は八割がたすでに下げられており、残った皿の料理も綺麗に平らげられている。それを目にして、アルカードはわずかに表情を緩めた。

「お待たせしました、ヘルシーブレッドの三種盛りです。……うん。いい食べっぷりだね。ウチの店の料理は気に入ってくたかい?」

「はい、とっても美味しいですよ。ほとんど、横取りされましたけど」 と返事をしつつ、美音が陽響に一瞥を向ける。その視線を追って、アルカードは空社陽響に視線を向けた。

 黒髪の若者は、なぜだか知らないが真っ赤になっていた。

「どうした、少年。顔が赤いぞ、風邪か?」

「俺は風邪なんかひかない。なんでもないから放っておいてくれ」 仏頂面でそう答えてくる陽響に、アルカードは肩をすくめた。

「そうか? ――まあいいけどな」 そう返事をしてから、運んできた料理をテーブルの上に並べ、代わりに残った空きの皿をお盆に移していく。取り皿も新しいのを用意してやったほうがいいだろう。

 美音がいくつか皿を重ねて、こちらに差し出してくる。礼を言って受け取ったとき、女子大生グループのほうから声がかかって、フィオレンティーナがそちらに歩いていった。

「ご注文は以上でおそろいでしょうか?」 声をかけると、美音は並んだ料理をひとつひとつ指差し確認してからうなずいた。

「えーと、はい」

「ありがとうございます。では、ごゆっくりどうぞ」 伝票をクリップボードに残して、再び引き下がる――アルカードが電話応対している間に社会人ふたりはいなくなっており、今女子大生グループがいなくなってしまったので、食事客はあの男女だけになった。

 皿洗い担当のエレオノーラの様子を窺うと、彼女は鼻歌など唄いつつ丁寧に食器を洗っていた。

「ねえ、アルカード。いったいいきなり何人お客さん来たの?」 こちらに気づいたエレオノーラの言葉に、

「ふたりだけ」 と答えてから、『ウソ』というエレオノーラの声を黙殺して再びフロアに戻る。いったん店内を俯瞰したところで、アルカードは陽響がなにやらもの問いたげにこちらを凝視しているのに気がついた。

 さて、先日のことについてなにか聞きたいことでもあるのかね?

 口元をゆがめて、アルカードはふたりのテーブルのほうに歩いていった。今度は話を聞かれて困る相手もいない。

「どうしたんですか?」 食べる手を止めて声をかけてくる美音に曖昧に笑ってから、アルカードは陽響に視線を向けた。

「なに、そっちの彼がなにか言いたそうだったんでね」

「ふぁあ、ふぉうふぁふぁ。ふほひひひはいほほははふ」 視線を向けられた陽響が口をもぐもぐさせながらうなずく。口にした返答は、食べ物を口に入れたままのせいでまったく聞き取れなかったが。

「飲み込んでからしゃべってくれ。なに言ってるかわからないから」

「ああ、そうだな。ひとつ聞きたいことがある」 それを聞いて、アルカードはわずかに目を細めた。聞きたいのは俺の正体か、それともお嬢さんの身の上か?

 まあなんでもいいが――フィオレンティーナの身上はともかく、アルカードの正体については今さら隠すほどでもない。

 というより、それなりの知識を持って彼を吸血鬼だと看破出来る魔殺しであれば、昼間に日の光が入る場所で平然と動き回っていることに対してもそれなりに疑問をいだき、考えて結論を出すだろう――アルカードに対して虚偽情報前提の予備知識を与えられ、それを頭から信じ込んでいたフィオレンティーナとは違う。

「ふーん。じゃあ、窺おうか」

「聞きたいことというのは……この料理だ」 真面目ぶった口調で投げかけられた、ただし予想とは全然違う質問に、アルカードは眉間に皺を寄せた。

「……なんだって?」

「取りあえず確認する。このパスタに使われた粉は敷島製粉所の『白臼粉』と、平山『漣』。こっちのオリーブオイルはイタリアのファッセル社の『ペルレ』。このトマトは上越農場の無農薬栽培トマト。この山菜は筑波山が産地。このチーズはイタリアかと思わせて、アルプスの中腹で作られているタイプだ。僅かにする木箱の臭いと舌触りに特徴があるから多分『パットン』だと思う。塩は岩塩を砕いたもの……。値段はリーズナブルだけど、全体的に味つけよりも食材の持ち味を活かす調理法を多用しているみたいだけど。……訂正はある?」

「あー……」

 アルカードはがりがりと頭を掻いた。食材になにを使うかを決めるのは老夫婦だが、実際に消費量に合わせてそれを注文するのはアルカードだ。なにを使っているかはすべて把握している。

「……なんというか、凄いな。全部正解だ」 

「それで聞きたいのは、この豚のグラタールに使ったソースなんだが、これは自家製なのか?それとも市販品か。もし市販品なら発売元の電話番号を教えてくれないか?」

 最後に残ったグラタール――追加メニューには無いから、最初に美音のほうに取り分けて渡したものを再度奪還したらしい――の最後の一切れを口に入れ、涙目で睨みつけている美音の視線を黙殺して、そんな質問を投げてくる。

「あー……自家製だけどさ。ちょっと待っててくれ、レシピ表があったはずだから」 と答えて、アルカードは店の奥のほうに足を向けた。

「そんなの渡していいんですか?」 厨房の入口のところで待機していたフィオレンティーナが、会話の内容を聞いていたのかそう尋ねてくる。

 要求されたら渡してもいいレシピ表――老夫婦が書き溜めたものを日本語訳してワープロで清書したものだ――は確かにあるのだが、それをそのまま使えば同じものが出来るというわけでもない。家畜の個体差によって肉質も違うし、ソースだって原料の産地が変われば味も変わってくる。そもそも材料にする野菜のたぐいだって、株が違うだけで味も変わるものだ。

 入荷した食材の質によって少しずつ分量を変えているので、別にこれで作ればレストランの味、というものは無いのだ。もちろんレシピをきっちり守って作ったら、それはそれで十分食べられるだろうが。

 ということを全部説明するのも面倒だったので、アルカードは適当に手を振った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る