Black and Black 24

 

   *

 

 訓練場代わりに使っている寂れたスカイラインから出てしばらくすると、アルカードはそれまで走っていた国道と交差する片側二車線の国道に入った。

 国道とは名ばかりの周りになにも無い道路からはずれて幹線道路に入ると、それまでの寂寥が嘘の様に賑やかな風景に変わってきた。周りに遊興施設やコンビニ、ガソリンスタンドといった人里の気配が混じる。

 その中にそこそこ大きな駐車場を備えた店を見つけて、アルカードが駐車場に入るためにスピードを落とした。

「まん……わり……? 木和田……アルカード、あれはなんて書いてあるんですか?」

 看板の字が難しすぎて読めないのだろう、内部に電球を仕込んだ看板を指差してリディアがそう尋ねると、アルカードはそちらをちらりと見遣って、

「鰻割烹」 と短く答えた。

 ジープから降りると、真夏のじっとりした空気が全身を包み込む。運動後なので、汗臭くなければいいのだが――と考えつつ、パオラはエンジンを切って降りてくるアルカードから視線をはずし、周囲に視線を走らせた。日付が変わる様な時間帯でこそないもののすでに夕食時をとうにはずれているので、駐車場に止められている車はさほど多くない。

 ちょうどちょっと遅れて入ってきた日産の乗用車から降りてきた若い男女が前を通りがかったので、パオラは足を止めて道を譲った。

 どこの国の人間かわからないからだろう、サンキューとだけ言ってから、ふたりはカトリックの法衣を纏った少女三人を順に見遣って首をかしげながら歩いていった。

 アルカードは甲冑だけ脱いで片づけているので、普段通りの恰好に戻っている――まさか普段のジーンズにcw-xのスポーツトップとノースリーブのTシャツの重ね着の上から、あの重装甲冑を着ているとは知らなかったが。

 前にあの展望台に行ったときは、アルカードは普通に黒いアンダーウェアを着ていた。パオラの知る限り、中世の騎士の甲冑のアンダーウェアは出血をわかりにくくするために赤く染色されているのだが、彼にはそういったこだわりは無いらしい。おそらく魔術で生成されているか、もしくは最新の技術で作られた機能性の高い被服なのだろうが、今日は着ていない。もしかして、最初からここに寄るつもりで甲冑を脱げば普段着に戻れる様にあえてアンダーウェアは身に着けていなかったのだろうか。

 じっと自分を凝視しているパオラの視線に気づいて、アルカードが足を止めてこちらを振り返った。

「どうした? やっぱりやめとくか?」

「いえ」 かぶりを振って、パオラは歩き出した。

「ただ、その恰好で鎧着てるのにびっくりしただけです」

「ちゃんと専用のアンダーウェアはあるんだがな。でもこの恰好でも着られないことはない」

 アルカードの返答は、その程度のものだった――先ほどの男女に出遅れたからか、ちょっと早足で歩いていく。心配しなくても夕食時ははずれているから、多少遅れても問題は無いと思うのだが。

 駐車場の端のほうには敷地を区切っているのか時代劇に出てくる様な土壁に漆喰を塗られた塀があり、上部は瓦で葺かれている。ちょうどショッピングセンターへ向かう途中、道路右側に延々続く白漆喰の塀と似た様な感じだ。店に駐車場から出入りするための門は、木製の頑丈な扉が開け放されていた。

 門をくぐると、すぐに時代劇に出てくる様なクラシカルな外観の平屋の屋敷が視界に入ってきた――大きな岩とクロマツの木が効果的に配置された庭園で、きっと昼間なら白漆喰に樹木の幹が映えるだろう。

 通路と思しき飛石は右手に向かって続いており、そちらが店の入口らしい。

 飛石を視線で追うと、塀の近くに小さな石で囲まれた池があるのが見えた。池の向こう側にある植え込みの中から伸びた細い竹筒から流れ出してきた水が、池のところに配置された竹のシーソー――アルカードが先日話していたところによれば『添水』という鹿威――に注ぎ込まれている。ちょうど水がいっぱいになったのか竹が反対側に傾いて内部の水を排出し、元の位置に戻った竹が石を叩いてかこーん、と音を立てた。

 反対側に視線を転じると、ちょうど客室らしき部屋の正面に添水のある池よりもかなり大きな池が視界に入ってくる。こちらには鹿威の類は無い様だったが、代わりに瓢箪型の池のくびれのあたりに噴水が設置されており、彼女の身長の倍くらいの高さまで水を噴き上げていた。

「あれ、本物の噴水かしら」 というリディアの口にした疑問は、『日本式の』噴水なのかどうか、ということだろう――日本の噴水で最古のものは兼六園にあるそうだが、水源との高低差を利用して水圧で噴出する仕組みになっており、別段動力を必要としないらしい。

 その疑問の意図を明確に汲み取っていたらしいアルカードが、横から口をはさむ様にして答えてきた。

「否、ポンプだろう。このへんには水圧がかけられるほど高低差のある水源が無いから」

「じゃあ、あの鹿威もポンプですか」 ちょっと残念そうに唇を尖らせるリディアに視線を向けて、アルカードが軽く肩をすくめる。

「たぶんな」

 そう言ってから、アルカードは手を伸ばしてふたりの少女の肩をぽんと叩き、少し離れたところで少し進んだところで足を止めて待っているフィオレンティーナのほうに歩き出した。

「さあ、行こう。暑苦しいし、ヤブ蚊に喰われたくもない」

 砂利を敷き詰めた地面に足場として埋め込まれた飛石は、どうも視覚的なメリハリを意図したものか、左右交互に打たれた中に混じって時折二個、三個とまっすぐに並んでいる。

 打たれた飛石に沿う様にして添水のそばを通り、屋敷の外周を直角に廻り込むと、少し進んだところに小さな四阿があった。どうも喫煙所として使われているらしく、硝子戸の向こうの赤い灰皿と消火器が興醒めではある。

 四阿の向こうにはこちらが正門なのだろう、歩道をはさんで車道に面した大きな門があり、車道を挟んだ向こう側の歩道にコンビニが見える。門から屋敷の玄関までは板状の石で舗装され、玄関の引き戸の上には杉と思しき木製の立派な看板が掛けられていた。

 駐車場側の門をくぐったところでしばらくとどまっていたからだろう、先ほどの男女の姿はすでに見当たらない――アルカードが引き戸を開けて店に入るのに続いて店内に足を踏み入れると、適度に効いた空調が穏やかな清涼感で肌に噴出した汗を引かせはじめた。

 こちらの姿に気づいたのか、支払いカウンターのところにいた和服姿の若い女性が近づいてくる。彼女はカトリックの法衣を着た修道女たちを見て首をかしげてから笑顔を取り繕うと、英語で声をかけてきた。

「いらっしゃいませ、三名様ですか?」 と聞いてきたのは、まだフィオレンティーナが店内に入っておらず、視界に入らなかったからだろう。

 アルカードが右手の四指をそろえて伸ばし、日本語で返答する。

「四人です。待つかな?」

「失礼いたしました。待ち時間のほうは大丈夫ですよ――ではご案内いたします。お履物はそちらにお願いいたします」 日本語が通じるのに安心したのか、女性が先ほどよりも柔らかな笑顔を浮かべてそう言ってくる。彼女が手で指し示した先にある靴箱に近づいて、アルカードが靴紐を解きにかかった。

 彼に倣って靴を脱ぎ、そのまま靴箱の前を離れようとすると、アルカードが背後から呼び止めてきた。

「待て待て」

「はい?」 肩越しに振り返ると、アルカードはスロット状の金属部分に刺し込まれた木片を抜き取って、それをパオラに放って寄越した。

 靴箱の扉と同じ番号が書き込まれ、数本のスリットが入っているところをみると、これが鍵の代わりなのだろう。アルカードが続いて自分の靴を入れた靴箱の木片を抜き取るのを見て、自分の履物を靴箱に入れたリディアとフィオレンティーナもそれに倣った。

「それにしても」 いかにも屋敷然とした店内を見回して、フィオレンティーナが口を開く。彼女はちょっと気後れしているのか、しきりに周囲を見回しながら、

「ずいぶん古い造りなんですね」

「大阪から百年くらい前の商売人の屋敷を移築したんだと」 と、アルカードが返事をしている。アルカードの返答に、フィオレンティーナが戸惑いに加えて好奇の混じった表情で周囲を見回し始めた。

 店内のそこかしこに水槽が設置され、その中で生きた鰻が泳ぎ回っている――その様子を物珍しげに見回すフィオレンティーナとリディアを促して、アルカードが女性について歩き出した。

「ひょっとしてと思うんですけど、このお店すごく高いんじゃ……」

 というパオラのつぶやきには肩をすくめるだけで返事をせず、アルカードは案内されるままに部屋のひとつに入った。

 案内されたのは座敷部屋ではなく小ぢんまりとした板間で、食卓の下を掘り下げた造りになっている。食卓の周りに正座や胡坐で座るのではなく、脚を下ろして座れる造りになっているらしい。

 季節の花が活けられた花瓶が置かれたテーブルの中央は四角くくぼんでいて、真ん中に鉄瓶が置かれている。単なるオブジェなのか、実際にそこでお湯を沸かせるのかは知らないが。

 一番奥の席についたアルカードが、三人の少女たちが着席するのを待って御品書を手に取った。

「さて、なににする?」

「よくわからないですから、アルカードが選んでくれませんか」 フィオレンティーナがそう答えると、アルカードは彼女のほうをちらりと見遣ってから、リディアとパオラを順繰りに見遣った。ふたりがうなずくのを確認してから、女性に視線を向けて、

「このままオーダーしても大丈夫ですか?」

「はい、結構ですよ」 という女性の返答に、アルカードは御品書に視線を落してから、

「特重を六つ」

「六つ、ですか?」 聞き間違いだと思ったのか、そう聞き返す女性に、アルカードが平然とうなずく。

「はい――よっつを先に焼いて、残りのふたつはあとからすぐ持ってこられる様にしてください」 つまり、アルカードが最低二膳お代わりするということなのだろうか。

 アルカードはフィオレンティーナに視線を向けて、

「君はどうする?」

「え? じゃあ、わたしもひとつ」 小柄な少女がお代わりすると宣言したのに驚いたのか、女性がぎょっとした表情で彼女を凝視しながらオーダーを取りまとめた。

「ええと、それじゃ特重が七つですね。全部一度に用意して、三膳はすぐにお持ち出来る様にするということでよろしいですか?」

「それでお願いします――あ、ふたつめ以降は重だけで結構です」 アルカードが答えると、女性はうなずいて、

「かしこまりました――ご飯の大盛りが無料になってますが、いかがなさいますか?」

 アルカードは自分とフィオレンティーナを示して、

「俺と彼女のぶんは、そうしてください――君たちはどうする?」 パオラとリディアに視線を向けてきたので、ふたりはかぶりを振った。

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