Black and Black 21

 金属で出来ている様な質感なのに、金属の塊の様には到底見えない――まるで前肢の形をした流動する液体で出来ているかの様に、滑らかに動いている。

「これか」 くるんと巻いた尻尾を左右に振りながら、アルカードが座り込んだまま『お手』をする様に左の前肢を掲げた。左の前肢の先半分を構成する銀色の金属――毛並みまでも忠実に再現した、間違い無く一体であるのに滑らかに動く金属塊が、いきなりどろりと溶ける。

 一瞬で形状を崩した前肢は、いったん溶けたあとまるで無数の棘状の突起を備えた様な金属の装甲に覆われた形状に変化した。四本の爪はまるで刃物の様に鋭利な、長さこそないものの引っ掻かれたら確実に怪我をする様な凶悪な形状になっている。

七大罪の装Seven Cardinal Sinsの名前くらいは、聞いたことがあるんじゃないか――これはそのうちのひとつ、憤怒の火星Mars of Wrathだ」

「あ、これがそうなんですか」 パオラがかがみ込んで、アルカードの前肢を掴もうとし――アルカードが素早く前肢を引っ込める。アルカードが前肢でアスファルトを引っ掻くと、がりがりと音を立ててアスファルトに四条の傷跡が刻み込まれた。

「やめとけ、長さは短いが指くらいは簡単に落ちる」 そう言って、アルカードは前肢を元の犬の肢の形状に戻した。

憤怒の火星Mars of Wrathってなに?」 と、リディアがパオラに尋ねている。

七大罪の装Seven Cardinal Sinsとか七曜武器っていう、錬金術で造られた武装の一種。どんな機能を持ってるのかは知らないけど、全部で七種類あるわ――七種類全部、機能が違うらしいけど、誰がどれを持ってるのかは不明」

 とりあえずここにひとつあるわけね、と、パオラがアルカードの前肢を握って左右に振りながら付け加えた。

「そうだな。憤怒の火星Mars of Wrathはまあ簡単に言うと、照射対象の構成物質を素粒子レベルまで分解する波動を照射する『炮台タレット』と、照射体勢に入った使用者を守るための自動防御システムとしての触手から出来てる。本来はこういうふうに体にじかにくっつけるもんじゃないんだが、いろいろあって切断された腕の代わりに移植したんだ」 前肢を毛繕いするみたいに舌で嘗めながら、そんなことを言ってくる――どうして姿が犬になった途端に、行動まで犬っぽくなっているのかは謎だが。

「そのあとしばらくしてから製作者のメンテナンスを受けて、基本プログラムを丸ごと書き換えられたんでな。結構機能が増えた」 そんなことを言ってから、アルカードが狗狼態を解いた――再び魔力の奔流が吹き荒れ、次の瞬間には甲冑を身に纏った金髪の吸血鬼の肉体が再構成されている。

 アルカードはパオラとリディアに少し意地悪い視線を向けると、

「で、どうするんだ? 一緒に寝たいと言うならつきあうが」

「いえ。結構です」 顔を真っ赤にしてかぶりを振るふたりに、アルカードは適当に肩をすくめた。

「そいつは残念だ。で――次に翼手態だが、俺の場合これが一番役に立たないな」

 どうしてですか、と聞くより早く、アルカードが展望台の端のほうに歩いていき、ガードレールを乗り越えて飛び降りる――次の瞬間ばっさばっさという羽音とともに、巨大な蝙蝠が舞い上がってきた。

 体は人間態とほぼ同じサイズで、片側だけが金属質の皮膜状の翼は両翼の幅が十二メートルはある。巨体ゆえに全身の細部がはっきり見て取れ、蝙蝠そのままの顔がかなり怖い。

 表情を引き攣らせている三人の前に、翼手態を解除したアルカードがぼとっと落ちてくる。彼は頭を掻きながら、

「あんな胡散臭い蝙蝠いねえだろ?」

 水飲み鳥みたいにこくりこくりとうなずく三人の少女たちを順繰りに見回して、

「ま、音響反響定位の能力だけは役に立つんだけどな――そのためにいちいち変化するのも面倒臭い。そんなわけで、狗狼態も翼手態もたいして役に立ちゃしない。せめてサイズが逆ならなぁ」 ぼやいてから、アルカードは盛大に溜め息をついた。

「いいじゃないですか、狗狼態は可愛いから」

「そうです。狗狼態は可愛いから」 満面の笑みを浮かべてそう言ってくるパオラとリディアに、アルカードは半眼を向けた。

「可愛くなくていい」

「えー」

「可愛いほうがいいですよ」 不満げな声をあげるふたりから視線をはずして、アルカードは腕組みした。

「真祖の能力の中で戦闘向けのものと言えば、まあ靄霧態と念力発火能力だろうな――ただ、ほかの真祖の狗狼態や翼手態がどんなものかわからないからなんとも言えないが、俺の場合はそんな感じだ。あと厄介なのと言えば使い魔だろうな」

 言いながら、アルカードが足元に視線を落とす。弱々しい月明かりに照らし出されたその影がマイクロバスほどの大きさの犬の姿に形を変え、続いて影の中から這い出る様にして巨大な犬が顔を出した。

「うちの初代愛犬クールトーと――」 きゃいん、と意外に可愛らしい声で鳴いて、犬の頭が再び影の中に沈み込んでいく。

「身代わりを立てて仕事をさぼりたいときに便利なドッペルゲンガーと――」 足元を見下ろして口にした言葉とともに影そのものが体積を持ったかの様に盛り上がり、アルカードの影から完全に分離する。姿を現したのはアルカードと寸分たがわぬ姿をした金髪の青年だった――否、正確に言うと瞳が菫色で、アルカードと同じ魔人のではない。瞳の色を除けば装備も姿形もアルカードの姿を模倣しているらしいその使い魔は、

「さぼるな」 と、アルカードとまったく同じ声質の声で一言コメントしてから、再び影の中に沈み込んでいった。

「否さぼらんけどな。まったく、反抗的な奴だよ」 とぼやいてから、アルカードは続けた。

「あとはムカデとげじげじが、合計百万ぴk」

「出さないでいいですからね」 先手を取ってそう言ってやると、アルカードはこちらに視線を向けた。

「そうか?」

「ええ。そんなの見たくありません」

「そうか」 なぜか残念そうに、アルカードはそれで話を止めた様だった。

「ま、使い魔はほかの能力と違って、各個体に共通するもんじゃないからな。どんな使い魔を取り込んでるかはわからない――その点に関しては常に警戒しておくべきだろうな。まあ、世の中には五十体以上も鬼神や魔神を取り込んでる奴もいるんだが」

「誰のことですか?」 フィオレンティーナが尋ねると、吸血鬼はこちらに視線を向けた。

「スコットランドの精霊魔術師セイルディア・グリーンウッド。鬼神や魔神をわんさか取り込んで、十世紀以上生きてる妖怪だ」 ぞんざいに説明して、アルカードは三脚にセットしたままになっていたビデオカメラを取りはずした。腕時計を確認すると、すでに日付が変わっている――アルカードが帰る用意を始めたので、フィオレンティーナはクーラーボックスを片づけにかかった。

 

   *

 

 招じ入れられたのは、先ほどの部屋よりもいくらか広い板張りの部屋だった。上等のクロマツの木材で柱や梁を組んだ、小さいながらも見事な造りだ。

 アレクサンドルと名乗った男は、どうやら料理人が職らしい――調理作業でちょっと汚れた調理服を身につけた初老の男は高さの無い和室用のテーブルの周りに座布団をいくつか並べ、そのうちのひとつをアルカードに薦めた。

「お父さん、仕事は?」 ようやく泣きやんだ赤ん坊を壁際に設置した二段式のベビーベッドに寝かせながら、デルチャと紹介された女性がそう声をかける――ルーマニア語を『母国語』と評していた以上、アレクサンドルもその娘のデルチャやマリツィカもルーマニア人なのだろうが、普通に日本語で話している。あるいはただ単に、デルチャが純粋に日本育ちでルーマニア語はしゃべれないのかもしれない。

「母さんに任せてきた。若いのの様子をちょっと見に来るだけのつもりだったんでな」 アルカードが向かいに腰を下ろすのを見ながら、アレクサンドルはそんなふうに返事をした。

 ふうん、と生返事を返して、デルチャがお茶の用意をしてくると言って出て行った。デルチャと入れ替わりにマリツィカが部屋に入ってくる。

 服装を直すと言っても別段着替えたわけでもないので、目の遣り場に困る恰好なのは相変わらずだ。

 向こうが立っていて、こちらが床に座って見上げている様な状況だと特に――気づかれない状況でなら、眺めはよさそうだが。

 そんなことを考えながら、アルカードはかたわらで立ち止まったマリツィカから視線をはずした。さっきの状況を思い出してかちょっと頬を染めながら、マリツィカがベビーベッドを背にする位置で座布団に腰を下ろす。

「さっきはありがとう」

「ああ」 短く返事をして、

「で、調子はどうだね?」 というアレクサンドルの質問に、アルカードはそちらに視線を戻した。いずれも地元が知れているというのに、ルーマニア語で話す気配は無い――アルカードが先日拘束したときマリツィカは日本語で話していたから、彼女がルーマニア語を理解出来ないのかもしれない。

「よくはないな」 これは本当だったので、正直にそう答えておく――アルカードはそう答えてから、言い忘れていたことを口にした。

「すまん、忘れていた――俺も礼を言わないとな。貴方たちのおかげで助かった――あのまま土蔵の隙間に留まっていれば、おそらくもっと回復は遅かっただろう。それともうひとつ、貴方の所有する敷地内に勝手に入り込んだことについては、申し訳無く思っている」

 アルカードがそう告げると、アレクサンドルは小さくうなずいた。

「ああ――おまえさんがあんなところにいた事情も、あんなものを持ち歩いていた事情も、聞かんほうがいいんだろうな」

 アルカードは小さく息を吐いて、老人の言葉を首肯した。世辞にも義理に対して筋を通した行いとは言えないが、余計な事情を話すよりもかかわらないほうがいいだろう。

「そうしてくれると助かる。これ以上世話になるわけにはいかないから、すぐにでも出ていく――貴方がたがしてくれたことに対する礼は後日させてもらう」

「否、こっちとしてはしばらくとどまってくれるとありがたいんだがな」 アレクサンドルの言葉に、アルカードは眉をひそめた。

「なに?」

「さっきおまえさんが追い払ってくれた、あの無頼な連中――私たちが資金を調達するために融資を受けていた銀行が潰れたときに、そこから債権を買い取ったヤクザなんだが」

「ヤ-ク-ザ? ああ、聞いたことはある。日本のマフィアだな――自分よりも弱い相手を多人数で痛めつけて金品をせびるしか能の無い、救い様の無い無能の集団だと聞いていたが、先の連中を見るとその評判は間違っておらん様だな」

「まあな――その連中が最近になって、私たちの借入金を実際よりも水増しして返済請求する様になってきた。まあ最近は締めつけが厳しいからな。金を取れるところが無くなってきているんだろう」

「どうして、そんな連中とかかわりを?」

 アルカードが尋ねると、アレクサンドルは小さくうなずいた。

「情けない話だが、私たちはもともとは難民でな。ほれ、ルーマニア社会主義共和国のニコラエ・チャウシェスクの独裁。私の親族、というか兄が体制批判活動をしていたために私たち夫婦もセクリタテアに弾圧されて、それから逃れて二十年ほど前に日本に来たんだ」

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