Black and Black 20

「なんなんですか、もう」 アルカードはフィオレンティーナの抗議には返事をせずに、二十メートルほど離れたところ、展望台の公衆トイレの向こう側にある軽自動車くらいの大きさの岩を指差した。

「あの岩のあたりを狙って投げたとき、どの程度の精度で命中させられる?」

「この暗さでってことですか?」

「ああ」

「あの岩の上になにか――たとえばこのペットボトルを置いたとして、右手ならキャップに命中させられると思います」 右手で保持していた飲みかけのペットボトルを翳して、そう言ってくる。

「複数同時に投げるなら、直径三十センチくらいの範囲に集中させられると思います」

「左手は?」

「一本投げたときで、狙点の周囲直径三十センチくらいの範囲でしょうか――あまり得意とは言えません」

 アルカードは岩のそばに歩いていくと、空になった自分のペットボトルのキャップを岩の真ん中あたり、段差になった部分に置いて戻ってきた。

「左手で投げてみろ。たぶん正確に当たると思う」

 胡乱そうな表情で、フィオレンティーナは擲剣聖典を一本構築した。それでも集中はしているのか真剣な表情に戻り、左手で振り翳した投擲用の長剣を投げ放つ。

 擲剣聖典が樹脂製のキャップをまっぷたつに割りながら、巨岩に喰い込んだ――それを見て、フィオレンティーナが目を丸くする。

「次は割れたキャップを狙って投げてみろ」 フィオレンティーナがアルカードの言葉に素直に従って、次々と長剣を投擲する――合計五本の長剣は、過たず細切れにされたキャップに命中し、そのたびに破片を次々と増やした。

「……な、なんですかこれ」 自分の左手を見下ろして、フィオレンティーナがそんな言葉を口にする。アルカードは適当に肩をすくめて、

「骨折の処置が悪かったのかな。関節がちょっとずれてたから矯正した――たぶんだが、上膊まではきちんと狙えてるのに、肘の部分で抜けてるせいで力が正確に伝わってなかったんだろう」

「はぁ……」

「おめでとう、お嬢さん――これでそのうち俺とやりあうときの勝率が、〇・一パーセントくらいは上がるぞ」

「……無いに等しいレベルじゃないですか、それ」 そんな返事をして、フィオレンティーナが擲剣聖典を回収するために岩のほうに歩いていく。それを見送っていると、パオラが口を開いた。

「アルカード」

「ん?」

「直接訓練と関係無いことですけど、質問をしてもいいですか」

「どうぞ」

「狗狼態とか翼手態とかって、どんなのなんですか」

 狗狼態と翼手態は、いずれも真祖が取る形態変化のひとつだ――真祖は霧に姿を変える靄霧態、狼に姿を変える狗狼態、蝙蝠に姿を変える翼手態の三種類の変身を行うことが出来る。

 ただし、それはアルカードの場合だが――他の真祖がどんな形態変化を取るのかを、アルカードは知らない。教会の情報も、主だったものはアルカードから採取された情報だ。アルカードが知らないだけで、もしかしたらなにかほかの形態変化を取る真祖もいるのかもしれない。

 まあ、その程度のことは彼女も知っているだろう――おそらく彼女が希望しているのは、既知の情報の復習ではなく実演なのだ。

「ふむ」 アルカードは小さくうなずいて、

「まあそれらがどんなものかは、知識としては知ってるだろうが――実際のところどうなんだろうな。靄霧態はともかく、ほかのふたつが役に立つとは俺には思えないが」

「どうしてですか?」

「説明が面倒臭い。百聞は一見に如かずというし、実際に見てもらおうか」

 そう言って、アルカードはそれまでもたれかかっていた電球の切れた照明の支柱から体を離した。

 

   †

 

「説明が面倒臭い。百聞は一見に如かずというし、実際に見てもらおうか」

 そう言って、アルカードがそれまでもたれかかっていた照明の支柱から体を離す。水銀燈の電球はとうに切れているのか、あるいは電力供給を止められているのか、照明としての用を為していない――巨岩に突き刺さった擲剣聖典を回収しに行っていて話を聞いていなかったフィオレンティーナは、急に真剣な表情になったアルカードの面差しになにが始まるのかと目をしばたたかせながら、彼から少し離れたところで足を止めた。

 吸血鬼の両眼が魔力を高めたとき特有の鮮やかな金色に変わり、同時に強烈な魔力の奔流が周囲の空気を逆巻かせる。

 そのまま、アルカードは頭上を仰いで獣のそれに似た凄まじい咆哮をあげた。

 放出された魔力と精霊が反応して発生した烈風が荒れ狂い、思わず腕で顔をかばって――次の瞬間には、アルカードの姿は消えて失せていた。

「……あれ?」

 周囲を見回す友人ふたり。彼の血を飲まされて魔力の経路パスが形成されているせいなのか、フィオレンティーナはなんとなくわかってしまってふたりの少女たちの足元を見下ろした。

「どこを見てる、ふたりとも」 声帯の構造が変化しているためなのか若干聞き取りづらい、しかし間違い無くあの吸血鬼の声音で、彼はその場に蹲ったままふたりの少女たちに声をかけた。

 声を頼りに彼の姿を見つけて――パオラとリディアがぽかんと口を開ける。それはそうだろう、ふたりの足元にお座りの姿勢で座り込んでいたのは、犬とも狼とも狐ともつかぬ小型の生き物だった。

 体の大きさは、たぶんアルカードが引き取った直後のソバたちよりも小さい――金色の体毛のせいで犬や狼には見えないが、まあ狼なのだろう。たぶん。

 単なる大型の獣のミニチュアではなく、生まれて一、二週間くらいの仔犬に見える。普段の彼からは想像もつかないつぶらな瞳で三人を見上げてから、仔犬は首が疲れたのか視線を下げた。

「あの……アルカードですか?」

「ああ」 声だけは元のまま、仔犬が憂鬱そうな様子で返事をする。

 パオラとリディアが肩を震わせているのに気づいて、仔犬は溜め息に載せる様な口調で口を開いた。

「健康に悪いぞ、笑ったらどうだ」 その言葉を皮切りに――パオラとリディアが明るい笑い声をあげた。パオラがかがみ込んでアルカードを抱き上げ、胸元に抱き寄せながら、

「可愛い~! これがアルカードの狗狼態なんですか?」

「そーだよ。はじめて変身してから四世紀も経つのに、いまだにこのままなんだ」 原因は知らん、と投げ遣りな口調で言いながら、アルカードがパオラの胸元でじたばたと暴れる。

 その反応も面白かったのか、パオラは目元に涙をにじませて笑いながら、暴れるアルカードの体をぎゅっと抱きしめて、

「ねえ、アルカード。今夜そのままわたしと一緒に寝ませんか?」

「あ、わたしも」 と、これは姉の言葉に乗っかったリディアである。

「……パオラ」

「はい?」 名前を呼ばれたパオラが、にこにこ笑いながら返事をする。パオラの豊かな胸の谷間にはさみこまれる様な風情のまま、金色の毛並みの小動物はあからさまに視線の温度を下げて、

「……リディア、君もだ。その科白を人間の姿に戻った俺に対して言えるんなら、なんなりとつきあってやる――寝てる間になにをされても責任は取らんがな」

「なにをってなんですか」

「そりゃあ、君たちが乙女じゃなくなる様なことだ」

 その言葉に、ふたりはしばらくの間頭上を仰いだ――目が覚めたら隣にアルカードが寝ている絵面でも想像したのか、ちょっと顔を赤らめながら、パオラがアルカードを地面に降ろす。

「ごめんなさい。わたしたちが悪かったです」

「おう。わかればよろしい」 再びアスファルトの上にお座りして後肢で首を掻きながら、アルカードはそう返事をした。

「まったく――どこで覚えたんだか知らないがな、そういうジョークは感心出来ないぞ。俺がそれを真に受けて、君らを襲ったらどうするんだよ」 アルカードはそうぼやいてから、

「まあ話を戻すと、正直言って狭いところにもぐりこめるっていう以外には特にメリットは無いな。体が小さいから運動能力も低いし、毛色のせいで隠密行動にも向いてないし」

「目が金色なのは?」 とリディアが質問を口にすると、アルカードはそちらに顔を向けて、金色に光る目を細めた。

「ただ単に魔力を高めたせいだ。ある程度魔力の動揺が落ち着けば赤色に戻るし、光らなくなる」

「ところで」 フィオレンティーナはそこでようやく隙を見つけて、話に口をはさんだ。

「ん?」

「その前肢はなんなんですか?」

 言いながら、アルカードの左の前肢を指で指し示す――仔犬の姿になったアルカードの短い前肢のうち、左肢だけがまるでダイキャストかなにかで出来ている様に銀色なのだ。

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