Black and Black 12

 

   *

 

 頭上は分厚い黒雲に覆われ、ヘリポート上は分岐点から吹き上げてきたビルの剥離流と強い横風が合わさって強風が吹き荒れている――全身甲冑の上から羽織った黒いコートの裾は強風に晒されても、仕込まれた分厚いスペクトラ・シールドとチェーンメイルのために小揺るぎもしなかったが。

 少し離れたところを通る首都高速を、無数のヘッドライトの光芒がさながら光の河の様に流れてゆく。深夜なので周囲のビル群のほとんどはすでにその営みを終えており、いくつかのビルの照明が点いている以外は、闇に沈んで夜の帳に同化している。いくつかの窓が中途半端に明るいのは、こんな時間まで残業している者がいるのか、あるいは動哨の警備員が巡回しているのかもしれない。

 周囲のビル群よりも抜きんでて高いこのビルの屋上には、地上の光はほとんど届かない――着陸が無ければこんなところにわざわざ来る者もいないからだろうがいくつか配置されているLED投光器は消燈しており、ヘリポートには常夜燈がいくつか配置されている以外には点燈している照明の類は一切無かった。

 ヘリパッドのへりに立って首都高速を流れるヘッドライトの河を眺めていた銀色の重装甲冑を身に纏った長身の偉丈夫が、肩越しに振り返って笑みを見せた。

「久しぶりだな、ヴィルトール」

「ああ、まったくだ。カルカッタ以来だったっけか? てっきりあのときに死んだもんだと思ってたが――毎度毎度のことだが大概しぶといよな、おまえも」

 そう返事を返して、アルカードは周りを見回した。

「それにしても――もう少しましな場所は無いのか? ハラワタで飾りつけた出来損ないのクリスマスみたいな寺院に、今回はなんだ? 飾り気も無い、明かりも無い、吹きっ晒しの鉄板か。酒もねえ、食い物もねえ、女もいねえ。こんなシケた場所でよくくつろげるもんだ」

「別にくつろいでるわけじゃない」 そう答えて、グリゴラシュはこちらに向き直った。

「ここで待っていれば、おまえが来るだろうと思っただけさ」

「なるほど」 首筋に降ってきた雨滴に顔を顰め、アルカードは鼻を鳴らした。

「で――こんなトーキョーのど真ん中でなにを企んでやがる?」

「人聞きの悪い言い方だ」 グリゴラシュはそう答えて、足元のヘリパッドに脚甲の爪先を軽く打ちつけた。

 ぽつ、ぽつ――少しずつ数を増やしてきた雨滴が、鋼板の表面を塗装する防滑塗料を濡らしてゆく。

「せっかくおまえに会いに来たのにな」

「それは、それは――兄弟の感動の再会でもやりたかったのか?」 アルカードはそう返事を返して、忌々しげに足元に唾を吐き棄てた。頭上から如雨露で撒いているかの様な大量の滴が頭上から降り落ちてきて、ヘリパッドの上に吐き棄てられた唾をあっという間に洗い流してゆく。

「否、父と子の感動の再会だよ」 グリゴラシュのその言葉に、アルカードは表情を消した。

「……あァ?」

「ヴィルトール――あらためて公爵殿下に仕える気は無いか?」 そう告げてから――グリゴラシュは一歩右に動いた。次の瞬間、轟音とともに押し寄せた鋭利な衝撃波がそれまで彼が立っていた空間をまっぷたつに引き裂き、防滑塗料で塗装されたヘリパッドの分厚い鋼板を切り裂いて、その背後にあった非常用のヘリ誘導燈の筺体を斜めに切断する。

 耳障りな音とともに切断された筺体がヘリパッドの鋼板の上に落下し、ヘリパッドに生じた裂け目から転がり落ちていく。それを見遣ってから、グリゴラシュはアルカードに視線を戻した。

 輪郭がやや揺らいで見える、曲刀の柄の硬い感触。鼓膜を震わせる事無く頭の中に直接響く叫び声をあげる塵灰滅の剣Asher Dustの布を巻きつけて固めた様なざらついた質感の柄を握り直して、アルカードは不可視の曲刀の鋒を下ろした。

「胸糞悪い冗談だ、グリゴラシュ――てめえ、面突き合わせてそんな寝言を囀るために、わざわざ俺を誘き出したのか」 それを聞いて、グリゴラシュが適当に肩をすくめる。

「まあ、俺も別に、色よい返事を聞きたかったわけでもない――その返答のほうを聞きたかったしな」 グリゴラシュが腰から吊った長剣の柄に手をかけて、勿体ぶった仕草で鞘を払った――鞘の内張りと刃が擦れ合うかすかな音とともに抜き放たれた無数の曲線を組み合わせた凶悪な形状の長剣の刃が、グリゴラシュが左手に這わせた電撃の閃光を照り返して一瞬ギラリと輝く。

「期待通りの回答でありがたいよ、ヴィルトール――これで遠慮無くおまえを殺せる」

「遠慮なんぞしたことねえだろうが」 吐き棄てる様にそう返事を返してから、アルカードは右手を軽く握り込んだ。

 ――ぎゃぁぁぁぁっ!

 ――ヒィィィィッ!

 ――あぁぁぁぁぁっ!

 隠匿を解いて魔力密度を高め、肉眼に直接捉えられる様になった塵灰滅の剣Asher Dustが脳裏に直接響く絶叫をあげる――あっという間に雨滴に濡れて鋒から水をしたたらせ始めた長剣を軽く振って、アルカードは間合いを詰めて歩を進めた。

 同時にグリゴラシュが、左手を振り翳す――その指先からほとばしった電光が蛇の様にのたくりながら、とっさに回避したアルカードの脇を通り過ぎて背後の照明装置を直撃し、電気抵抗によるジュール熱で瞬時に蒸発した照明装置の筺体が背後で爆発を起こして、背後から爆風が押し寄せてきた。

 その爆風に背中を押される様にして、床を蹴る――同時にグリゴラシュが床を蹴った。

 があん、という轟音とともに両者の手にした武装の物撃ちが衝突し、グリゴラシュの長剣に施された魔力強化エンチャントが入力された衝撃を光に変換して激光と轟音を撒き散らす。ガリガリと音を立てて火花を散らす長剣を互いに引き戻し、両者は即座に次撃を継いだ。

 ふっ――短く息を吐き出しながら一歩踏み込んで、手にした長剣をやや角度のついた真直に叩きつける。それを躱したグリゴラシュが、踏み込みで体勢の低くなったこちらの首を刈る軌道で長剣を振るった。

 それを躱して、横跳びに跳躍する――片手をヘリパッドに突いて側転する様にしてその攻撃を躱し、アルカードは続く一動作で体勢を立て直した。

 グリゴラシュが踏み込みながら繰り出してきた細かい斬撃を立て続けに受け捌き、いびつな形状の刀身を払いのけて塵灰滅の剣Asher Dustの鋒を突き込む――グリゴラシュはその払い突きをサイドステップして躱したあと、続く薙ぎ払いの一撃を避けるためにそのまま後退して間合いを離した。

 グリゴラシュの回避を追って、首を刈る軌道で剣を振るう――刀身に斬り払われた雨滴が、細かくちぎれながら幻想的に宙を舞った。その斬撃をさらに後方に逃れて躱し、グリゴラシュが踏み込んでくる――胴を狙った連続刺突を、アルカードは後退して躱した。

 その手数は三、四、五――七撃まで継がせるつもりは無い。六撃目の刺突を躱しながら、アルカードはグリゴラシュの側方に向かって踏み出した――突き込まれてきた片刃の長剣の峰をめがけて、半ばから叩き斬る軌道で塵灰滅の剣Asher Dustを振り下ろす。

 繰り出しかけてきていた六撃目の刺突を、剣が切断されるよりも早くグリゴラシュが引き戻す。

 だがそれでいい――長剣を刺突の加速を殺して引き戻したために、グリゴラシュの次撃に対する対応はどうあっても遅くなる。グリゴラシュが刺突を引き戻す動作に合わせて右手首を返し、アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustを逆袈裟の軌道で振るった。

 グリゴラシュが横跳びに跳躍して間合いを離し、頭蓋を半ばから削り取る軌道の一撃を躱す――続いてグリゴラシュが体勢を立て直し、刺突から引き戻した長剣を振るった。

 塵灰滅の剣Asher Dustを振るって伸びきった右腕を半ばから切断する軌道で繰り出された一撃を、アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustの柄を放して躱した――いったん消して再構築したのでは時間がかかる。アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustを手放して右手を引っ込め、グリゴラシュの繰り出した長剣の一撃を遣り過ごした。

 続いて落下するよりも早く塵灰滅の剣Asher Dustを掴み止め、踏み込みながら胴を薙ぐ。

 その一撃を後方に飛び退って躱しながら、グリゴラシュが手にした長剣を左肩に巻き込んで次の攻撃の予備動作に入った――塵灰滅の剣Asher Dustの鋒を遣り過ごして再び踏み込みながら袈裟掛けに繰り出された一撃を、後方に跳躍して躱す。再び踏み込んで間合いを作り直しながらの一撃を、グリゴラシュが斬撃動作を止めずにその勢いのまま繰り出してきた次撃で受け止めた。

 薔薇をあしらった意匠の装飾が施されたグリゴラシュの長剣に這わされた魔力強化エンチャントがその衝撃を光と音に変換し、強烈な激光が視界を塗り潰して轟音が鼓膜を聾する。一気に押し込みにかかったアルカードの前進に合わせて、グリゴラシュが剣の噛み合いをはずしながら後方に跳躍して間合いを取り直した。

 無理に追撃せずに、その足元を薙ぐ軌道で左手を振るう――瞬時に形骸を構築したびっしりと赤い文字が染め抜かれた黒い布を巻きつけた異様な拵えの大身鎗の穂先が、金属が無理矢理引き裂かれるきしむ様な轟音とともに緩やかな弧を描いてヘリポートの鋼板を紙の様に引き裂いた。

 その正体を見定めることを拒絶するかの様に黒い霞とも靄ともつかぬものに包まれ、陽炎の様にゆらゆらとその姿を揺らす大身鎗を左手に携えて、体勢を立て直す――少し間合いを離して、グリゴラシュが手にした長剣をくるりと旋廻させた。

「……」

 無言のまま左手の鎗を足元に放り棄てると、鎗はヘリパッドに落下するよりも早く形骸をほつれさせて消滅した。

 雨はいよいよ本降りになりつつある――空を覆う分厚い黒雲から迸った雷撃が絶縁破壊の閃光とともにのたうちながら宙を引き裂き、続いて耳を弄する雷鳴が鼓膜を震わせた。

 少し間合いが離れすぎたからだろう、グリゴラシュがじりじりと間合いを詰めてくる。

 しぃぃ、と歯の間から息を吐き出して、アルカードは塗装されたヘリパッドを蹴った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る