Black and Black 11

 

   *

 

「で――」 硝子テーブルの上にグラスを並べつつ、アルカードはぼやいた。

「結局いつも通りのこの面子か」

「不服ですか?」 と、これはパオラである。彼女はコンビニで買ってきたスナック菓子を皿の上に出しながら、

「だいたいこの状況に不平を述べるとか贅沢です」

「なにが」 そう返事をすると、パオラは立ち上がって母親みたいなポーズで腰に手を当て、

「だって、アルカード以外は全員女の子じゃないですか」

「子じゃないのがひとりいるがな」 デルチャのほうに視線を向けつつそう揚げ足を取ってから、

「男女比が開きすぎて、自分の部屋なのにいづらいんだが。恭輔君と忠信さん、早く帰ってこねえかな」 溜め息をついて、アルカードは部屋の中を見回した。いつもの三人に凛と蘭とデルチャ。飲み会の海上になることも多いので大勢人がいるのは珍しくもないのだが、こうも女性ばかりだと家主のはずなのに肩身が狭い。

「恭輔と義父さんはたぶんこっちに帰ってこないわよ」

「そうか」 メランコリーな気分がさらに深く澱むのを感じながら、アルカードは嘆息した。

「なんですか、そんなにわたしたちと一緒にビデオ見るのが嫌なんですか?」 不満げなリディアに、アルカードは深々と嘆息して、

「別に。そういうわけじゃないんだけどな」

「じゃあ、なんですか」

「落ち着かない」 首をかしげるリディアに溜め息に載せる様にしてそう答えてから、アルカードは凛が手にしたレンタルビデオ店のケースに入ったブルーレイ・ディスクを受け取った。

「ああ、そうだ。なあ、デルチャ――凛ちゃんたちが使ってたチャイルドシートなんだが、もう棄ててもいいか?」

「え? ああ、あのシートね。うん、大丈夫だと思うわよ。古いしね」

「じゃあ今度粗大ゴミに出しておく――凛ちゃん、相変わらずこういうの好きだね」 袋から引っ張り出した三枚の半透明のケースのレーベルを確認して、アルカードはそのうちの一枚を電源を入れたハードディスク・レコーダーにセットした。

 ぎらぎらした画面を背景に『東宝』のロゴが表示されたあと、五線譜に音符がみっつ並んだACE PICTURESのロゴが表示され、そのあとにさらにオメガ・プロジェクトのロゴ、おどろおどろしい楽曲とともに監督やらプロデューサーやらの名前が表示されていく。

 続いて、夜の海面の様な波立つ水面を背景に『リング』のタイトルが表示された。

 どういう映画かわからないからだろう、フィオレンティーナたちはじっと画面を注視している。

 画面の中で女の子ふたりが部屋でなにやら怪談に興じているのを横目に、アルカードはキッチンに取って返した。野菜ジュースやスポーツドリンク、ウーロン茶のペットボトルを用意してから、カウンター越しに声をかける。

「デルチャ、君はどうする? 酒にするか?」

「んー、いい。運転しないといけないしね」 デルチャがそう答えたので、アルカードは清酒の酒瓶を冷蔵庫から取り出した――酒の肴はチーズ鱈にするか。せっかく持ってきてくれた忠信のベーコンは、後日夏の季節限定酒が手元に届いたときのために取っておこう。

 彼は取り出した酒瓶の中の透明な液体をあらかじめ冷蔵庫で冷やしておいた竹を象った銀製の徳利に移し、それを氷をたっぷり入れたワインクーラー代わりのアイスペールの中に突っ込んだ――氷の代わりに雪でやるとなかなか風流なのだが、生憎ここには雪は無い。かき氷でもいいかもしれないが、それではすぐに溶けてしまうだろう。

 荷物の量が増えているのに気づいたリディアがキッチンに来たので、彼女に清涼飲料をいくらか渡す。

「綺麗ですね」 と言ったのは、どうやらワインクーラーに入れた竹形の徳利のことらしい。

 竹槍の様に竹を斜めに切断した形状を丁寧に模した銀器は、日本に来て日の浅い彼女には物珍しく映るのだろう。

「ああ」 うなずくと、リディアは別段その場で立ち話をする気も無かったのか、くすりと小さく笑ってから足元に纏わりつく犬たちのせいで歩きにくそうにしながらテーブルのほうに戻っていった――それを見送って、チーズ鱈のパッケージと残りのペットボトルと一緒にかかえてリビングに戻る。

 硝子テーブルの上に酒器とペットボトルを置いて、アルカードはほかに空きの席が無かったのでテレビの左側のソファに座ったフィオレンティーナの隣に腰を下ろした。

 こちらも竹を斜めに切断した形状の――上から逆さにしてかぶせると、徳利とぴったり合う様に細工が施されているのだ――、酒杯に酒を注ぐ。

 冷凍庫で十分冷やしておいたためにひんやりとした徳利をアイスペールに戻し、アルカードは竹を象った銀無垢の酒杯を手に取った。アイスペールの中に氷ではなく雪を詰めておくと見た目が最高なのだが、もちろん真夏では望むべくもない――十分に冷えた酒器に口をつけて酒杯を傾けると、アルカードはフルーティーな香りの強い大吟醸酒を口に含んだ。

 しばらく味わってから嚥下して、チーズ鱈のパッケージに手を伸ばす。テレビ画面に視線を向けると、ちょうど映像の中で勝手にテレビの電源が入り、野球中継が流れ出したところだった。

 まだ話についていけていないのか、フィオレンティーナが首をかしげている――どのみち読めないので、彼女の場合は字幕をオンにしてやっても意味が無い。イタリア語の字幕が無いかどうか確認するためにレコーダーのリモコンを操作したが、残念ながら日本語の字幕だけの様だった。

 そもそも日本の映画で、日本語の字幕って意味があるのだろうか――『不愉快なきしみ音』という字幕が入っているから、聴力に問題がある人向けなのかもしれない。

 そういえば、アメリカの映画のブルーレイなんかでも、ものによっては効果音に合わせて字幕が入っていたりするな――そんなことを考えながら、アルカードはリモコンを操作して字幕を消した(※)。

 あらためてチーズ鱈のパッケージの封を切ると、アルカードはプラスティックのトレーを引っ張り出して中身に手をつけた。

 蘭が抱っこしたソバがそれをほしがって鳴くので、アルカードは一緒に持ってきていた犬用のビーフジャーキーを一本、三等分に折り曲げて放り投げてやった――体の小さな、しかもまだ仔犬から脱していない幼い犬に与えるには人間用の食べ物は味が濃すぎる。

 テレビ画面に視線を戻して、それから隣に座っているフィオレンティーナの様子を窺う――彼女は主人公の女性とその部下が、車中で変死した男女の死亡現場の現場検証を行っている記録映像を見ている様子を凝視していた。

「アルカード。ノロイってなんですか」 と、こちらに視線を向けずに聞いてくる。

 パオラとリディアはもともとエルウッドの助手として東洋に派遣される予定だったので日本語にも明るいのだが、フィオレンティーナはユーラシア中心に派遣される予定だったらしく、派遣前に詰め込まれた日本語はお世辞にも上手とは言い難い――出会って数ヶ月、だいぶ日本語は上達したし語彙も増えてきたが、それでもまだ理解出来ない語彙は多い。

呪いmaledizioneのことだ」 説明してやると、フィオレンティーナは小さくうなずいた――いつの間にか膝の上で両手がグーになっているし、妙に全身に力が入っている様に見えるのは気のせいだろうか。

 画面いっぱいに大映しになった黒目に『貞』という文字が映り込んだ片目を目にして、フィオレンティーナが全身を緊張させる――あれ?

 首をかしげながら、アルカードは横目に窺っていた少女の整った横顔から徳利に視線を戻した。もともとホラー映画が大好きな凛と蘭は、何度も見ているこの映画をブルーレイの高精細で見るのが初めてだからだろう、あからさまにわくわくした様子で画面を凝視している――それを横目に見ながら、アルカードはアイスペールの氷でひんやりと冷えた徳利を手に取った。

 二杯目を酒杯に注ぎながら、主人公の女性が元夫だという男性にポラロイドカメラを渡して自分を撮らせる場面に視線を戻す――男性が女性に手渡したポラロイド写真に写った女性の顔が、まるでコラージュした様にゆがんでいる様子が画面に大映しになり、それと同時にいきなり流れたドッギャーンという感じの音楽に驚いたのかフィオレンティーナがひぅ、と短い声を漏らした。

 ……あれ?

 リディアとパオラは積極的に襲ってくるタイプの洋画のホラーとは全然違う、静かに外堀を埋めてくるタイプの和製ホラーがはじめてなのかちょっと顔を顰めてはいるものの、それだけだ――隣にいる少女だけが、妙に緊張している。

「……なぁ、お嬢さん? ひょっとして君、こういうホラー映画とか苦t――」

「そそそそそんなわけないでしょうっ!」 横から声をかけると、フィオレンティーナはあからさまに狼狽した様子でそう返事をしてきた。

「……そうか? その割には随分と緊張しt」

「してませんよっ!」

「……そうか」

 まあ本人がそう主張するなら別段虚勢を糺す理由も無いのでそこで話を打ち切り、アルカードは酒杯に口をつけた――『リング』が平気だというなら、今度は知人が座ったまま気絶したという伝説を持つ『呪怨』を、2も併せて見せてやろう。

 大声にびっくりしたのか緊張しているソバの頭を軽く撫でてやったとき、テンプラを抱っこしていた凛が口を開いた。

「ね? 面白いでしょ?」 にこにこしながら――フィオレンティーナが同意することを疑っていない表情で――そう同意を求める。そそそそうですねえ、とあからさまに引き攣った顔で返事をするフィオレンティーナの微笑が微妙に引き攣っているのを目敏く見咎めながら、アルカードは我関せずという風情でチーズ鱈を一本口に入れた。

 この調子だと最後まで観せたらどうなるのかが楽しみだ。フィオレンティーナを観察しているほうが面白いかもしれない。

 そう胸中でつぶやいて、アルカードは酒杯の中身を一気に空けた。


※……

 ブルーレイ版『Predetor』の英語字幕では、プレデターがマスクのこめかみ部分に接続されたホースを引き抜くときに日本語で『シュー』という効果音に相当する『hissing』という字幕が入っています。

 また北米版『AVP REQIEM』の英語版字幕には『Predator growls(プレデターの唸り声)』や『thudding(ドスンという効果音)』といった擬音字幕が入っています。いずれも作中当該時期には販売もしくは公開されていないため、作中において直接は言及されませんが、フランス語字幕等には入っていなかったため、『リング』の『不愉快なきしみ音』同様聴覚障害者向けのものかもしれません。

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