Evil Must Die 29
「そうします。しかし、よりによってあれを盗むとは」
「なにか問題が?」 陽輔が聞いてきたので、アルカードはそちらに視線を向け、
「デッド・ソースって知ってるか?」
「ああ、あのあれだろ、タバスコの何百倍も辛いチリソース?」
「そう、それ。あれを四本と、昨日取ったピザについてたチリソースを混ぜて煮詰めて、一味唐辛子ひと瓶と一緒にタネに練り込んであるんだ」
「……なんでそんなもん作ろうと思ったの?」
「若気の至りだ」 思いきり顔を顰めてそう聞いてくる陽輔に断言してから、アルカードは腕組みした。そこで片桐に視線を向けて、
「おまわりさん――もし自分で食べるつもりで普通に食べたら卒倒しかねないほどの香辛料を放り込んだ食べ物を盗まれて、それを喰った奴が病院送りになったり死んだりしたら、俺の責任になりますか?」
別段泥棒が入院しようが死のうがかまわないし、盗んだものを食べて泥棒の家族が腹を壊そうが旅立とうががそれは泥棒の責任だと思うのだが、世の中にはそう思わない人もいる――ことに、法曹関係者に。
どのみちアルカードを裁判にかけることなど不可能なのだが、それをするには最悪この街からの退去を覚悟しなければならない――退去しても、残った友人や同僚が迷惑を被ることになるだろう。
片桐が腕組みしてしばらく考えてから、
「たぶんならないと思いますが。それでは通報ということでいいですか? あらためて警察に連絡を取る必要がありますが」
無線機を出しながらの片桐の質問に、アルカードはうなずいた。
「お願いします――この硝子、しばらく交換とか掃除しないほうがいいですか?」
「現場検証が終わるまでは、このままにしておいてもらえると助かります――なに、映像が残っていますから、そんなにお手間は取らせないと思いますよ」
電話をしている片桐から離れて、アルカードは陽輔に視線を向けた。
「手間をとらせて悪かったな――今度おごるから勢十郎さんとこに飲みに行こうぜ」
陽輔が小さくうなずいたところで、アルカードはテレビ台の上のビデオカメラのスイッチを切った。
「陽輔君はもともとアレクサンドルの家に来てたんだろう? こっちはまだ立て込みそうだから、あとは自分でやるよ――ああ、靴箱の上に昨日話をしたブレーキパッドがあるから、持って帰ってくれ」
「チャウシェスクさんが夕飯食べに来いって言ってたけど、どうする?」
陽輔の問いに、アルカードは腕時計に視線を落とした――十五時を少し回ったところ。あの家は習慣的に夕食が早いので、現場検証が終わってから硝子屋の手配もするとなると間に合わないだろう。
「行きたいのはやまやまだが、たぶん間に合わないと思う」 そう答えると、陽輔は小さくうなずいた。
「じゃあ一応そう言っとくよ。悪いけど靴借りてもいい?」
「靴箱に入ってるやつを、適当に。濡れた服を持って帰るなら、靴箱の一番上の棚に市の配布するゴミ袋があるから、それを使うといい」
「ありがとう、一枚もらうよ」 適当に手を振って、陽輔がリビングから出ていった。
警察署に連絡を終えた片桐が中村を促してこちらに視線を向け、
「申し訳ありませんが、現場の監視と保全のためにしばらくここにとどまる様に指示を受けました。そこの窓の外と玄関先にそれぞれ一名、立哨することを承諾いただきたいのですが」
「かまいませんけど、玄関先はともかく窓は室内から監視なさっては?」
「申し出はありがたいですが、民間人に対する外聞というものがありますので遠慮します――そこの塀の向こうの駐車場はドラゴスさんのものだと聞きましたが」
「ええ、そうです」 片桐の言葉に、アルカードはうなずいた。
「パトカーを止める場所が必要なら、どうぞ使ってください」
「助かります」 片桐が中村に向かってうなずきかけると、彼は小さくうなずいて部屋から出ていった。
「では、私も外におりますので。なにか用事があったら声をかけてください」 最後にそう言い残し、片桐は一礼してリビングから出ていった――玄関に出て見送ってから、再度リビングに取って返す。
「せっかく休日が一日増えたのに、なんか最後の最後で面倒かかえ込む羽目になったな」 ぼやきながら溜め息をついて、ソファに腰を降ろしてそのままべったりと背中をそらす――そうのんびりしているわけにもいかないので、アルカードは立ち上がってテーブルの上に置きっぱなしにしていたデジタルビデオカメラを手に取った。映像データは一応コピーを取っておくことにしよう。
盛大に溜め息をついて、アルカードは寝室のほうに足を向けた。犬たちもそろそろ自然が呼ぶ頃合いだろうし、いつまでも寝室に入れておくわけにもいかない。
アルカードは寝室の扉を開けると、一番近くにいたテンプラが耳を動かしてこちらを振り返った。床の上でじゃれあっていた犬たちが、一斉にこちらの足元に寄ってくる――簡素なOAデスクの上にビデオカメラを置いてパソコンの電源ボタンを押してから、アルカードは床にかがみこんで犬たちをまとめて抱き上げた。
リビングに連れて行って、犬小屋のそばに降ろしてやる――勝手にリビングをうろうろされて痕跡を消されても困るので、アルカードはそのままケージで犬小屋の周りを囲い込んだ。
寝室に戻るとパソコンがパスワード入力画面になっていたので、アルカードは椅子を引いてデスクの前に腰を落ち着けて起動準備に取り掛かった。
*
視界の端に入ってくる銀色に輝く装甲に鎧われた右腕が、陽炎の様に歪んで見える――固めた拳が触手の先端と衝突した瞬間、アルカードに正面から肉薄した触手が粉々に砕け散った。
まっすぐに伸びた触手がそのままぐずぐずに擂り潰され、その破壊が瞬時に蜘蛛の本体まで及び、頭部の一部を吹き飛ばす。
「くっくっく……やっぱりなあ」
「ぐぉぉぉっ……!」
蜘蛛の苦鳴が頭の中に響く――悶絶しているのかいまだに蜘蛛っぽい原形をとどめた足をじたばたさせる蜘蛛に向かって、アルカードは笑いながら嘲弄の言葉を投げた。
「どんなに強い
金銀にきらめく粒子が再び蜘蛛の破損部分に集まって、破壊された肉体を再構成していく。
それまで身を守るのに使っていた
だが、当然欠点もあった――
結果として、アルカードがいくつか立てた予想のうちのひとつを正確になぞる様にして、蜘蛛は触手をまっすぐに突き込んできた――内側に向かってまっすぐに穴が通っているなら、その軌道に沿ってまっすぐに攻撃を撃ち返せば内部に届く。
「なんだよ――たいしたことねえなぁ、てめえは!」 イタリア語で嘲笑をあげ、アルカードは左手を軽く水平に振り抜いた。
「どうした、カミサマ――それで終わりか!」
「オォォォォッ!」 蜘蛛が憎しみもあらわに咆哮をあげ――同時に、蜘蛛の周囲の空間にバチバチと音を立てて蒼白い電光が走る。次の瞬間青白い激光を放つ球体が十数個、蜘蛛の周囲に形成され、それが猛烈な勢いでアルカードに向かって殺到してきた。
「は――少しは芸が多彩になってきたじゃねえか」
疑似球電か――胸中でだけつぶやいて、アルカードは肩越しにデルチャたちのほうを振り返った。少々近すぎる。
彼女たちとの距離をとる様に移動して、アルカードは再び蜘蛛に視線を戻した。それを追う様にして曲線を描いて軌道を変え、光の球がアルカードに肉薄する。
――ぎゃぁぁぁぁっ!
絶叫とともに虚空から溶け出す様にして再び姿を見せた漆黒の曲刀を、振り翳す――同時にその刀身に蒼白い電光が纏わりついた。
電光で黒い刀身を蒼白く染めた曲刀で、光の球を迎え撃つ――野球のノックの様に打ち返された光球が別な光球に激突し、まるでビリヤードの様に互いにぶつかり合いながらあさっての方向にすっ飛んでいき、うちのいくつかは弾き返されるまま互いに跳ね返って、遮るものの無くなった蜘蛛の巨体に激突した。
蜘蛛が撃ち込んできたのは、おそらく力場の内部にプラズマを封入したものだ――精霊魔術
おそらくは『
瞬時に沸点に達した地面が昇華し、爆発が起こる――周囲に遮蔽物が無い状況である場合、鉱物の蒸気爆発は普通の爆発とは比べ物にならないくらい危険だ。
もうもうと立ち込める鉱物の蒸気を吸い込んでしまうことのほかに、沸点に達せずに液状化した土砂の熔岩が飛び散ってくるからだ。
一般的な土壌の融点は、含まれるケイ素の量によって変動するが、高くても摂氏千二百度ほどだ――つまりあの液状化した土は、最高で千二百度前後の高温の液体だということだ。
もちろんそれより低い可能性もあるが、体についたら致命的な結果を招くという意味ではさして変わりない。アルカードの様に防御手段があるのならまだしも、この山から飛び散って人里に降り注げば大惨事になる。
パン、と両掌を打ち合わせて、アルカードは呪文を紡ぎ出した。
「
儀典魔術の短節詠唱とともに発動した広域の防御結界が、周囲を包み込む――アルカードの身を守るための呪文ではなく、周囲を囲って液状化した土壌や鉱物の蒸気、衝撃波や轟音が外に漏れない様にするための結界だ。
そのため、アルカード自身の防御は行わない――爆風に乗って飛んでくる熔岩の様に液状化した土を『楯』で防ぎ、衝撃波を引き裂きながら、アルカードは舌打ちした。出来ればもっと別な術式も組み込みたかったが、この短い時間ではそこまでの猶予は無い。
『楯』の表面にこびりついた土が、まるで雨の日の高速道路でウインドシールドに附着し、そのまま走行風で吹き散らされる雨粒の様に衝撃波に吹き散らされてゆく。
衝撃波はすぐに収まり、同時に上空に吹き上げられた大量の融けた土砂がそのまま降り注いできた――ちょうど水の中に垂らした
蜘蛛の体を包んでいた劫火が、突如として消失する――再び金銀の粒子を纏わりつかせて傷口を再構築していく蜘蛛を見遣って、アルカードはうんざりと嘆息した。
とはいえ、蜘蛛も相当消耗している様子ではあった――再構築のペースが、最初に比べるとかなり遅くなっている。このままさらに削り続ければ、蜘蛛はいずれ力尽きるだろう。
蜘蛛の巨体が弱々しい光に包まれ、徐々に最初に見た程度の大きさまで縮まっていく――どうやらアウゴエイデスをこちら側に維持するのに、最低限必要な余力も無くなったらしい。
完全に破壊する前にアウゴエイデスを引っ込められたことに、アルカードは小さく舌打ちした。アウゴエイデスは、文字通りあれの本体だ――アウゴエイデスを顕現している場合、端末の構成情報はアウゴエイデスの内部に取り込まれている。つまり、あれを破壊してしまえば蜘蛛そのものの存在を完全に消滅せしめることが出来たのだが――
まあいいだろう――あれだけのダメージを受ければ、再構築もままなるまい。
蜘蛛の意識はアウゴエイデスではなく、今目の前にいる端末のほうにある。あれを破壊してしまえばアウゴエイデスはいずれ構成情報がほつれて消滅し、霊体を構成する魔力も無属性の魔力に還るだろう。
が――
視界の端でなにかが動く。
視線を向けると、参道を駆け上がってきたらしい人影が見えた。
ひとりはノーネクタイにカッターとスラックスの、若い男――もうひとりは十歳になったばかりの幼い少年だ。
あれは――
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