The Otherside of the Borderline 2
アルカードは再びジープのバックドアを開けて、取り出したリネン類の半分を彼女に渡してきた――日本のベッドはマットレスとは別にフトンという寝具を使うらしく、アルカードが教会からの帰り道、ショッピングセンターに寄って購入を勧めたのだ。
フィオレンティーナいわく、布団無しでベッドを使うと『結構つらい』らしい。
まあ、経験者のすることに学ぶのは正しいことだ。パオラとリディアはアルカードとフィオレンティーナの助言に素直に従って、布団を一式購入してきた――代金はアルカードが出してくれた。
当座の行動資金としてローマで日本円をいくらか用意してきたのだが、アルカードが余裕があるからと全部出してくれたのだ――その現金を取り出したよれよれの茶封筒を見てフィオレンティーナが複雑な顔をしていたのは、なぜだかよくわからなかったが。
布団自体は彼が運ぶつもりらしく、彼女に渡してきたのは上掛け用のタオルケット二枚と枕だった。ジッパーつきの布バッグに収納された布団をラゲッジスペースから引っ張り出して肩に引っ掛け、アルカードがジープのバックドアを閉めて再び施錠する。
「行こうか」
「はい」
荷物をかかえてえっちらおっちらアルカードの部屋に戻ると、ふたりは玄関を入ったところに荷物を置いていったん部屋に上がった。
靴を脱いで廊下に上がったところで、アルカードは上がり框に置いてあったダナーのブーツに履き替えた――どうやら室内でも靴を履く習慣があるらしいが、さりとて土足で上がるのも嫌らしい。おそらく、非常時に即座に行動出来る様にするためだろう――これだけが廊下に置いてあるのも、おそらくはほかの外履きと区別するためだ。
来客用のスリッパは無いらしく、パオラはそのまま廊下に上がり込んだ。
運んできた寝具の入ったでっかい袋を壁際に寄せて置かれたトラベルバッグの横に置き、アルカードがリビングの扉を開けてパオラに道を譲る。
こういうところは、なんというか紳士的な人物であるらしい――アルマや仔犬たちに対する態度を見ている限り、粗野な人物でもない。
リビングに入ると、床の上に座り込んで茶色い仔犬の遊び相手をしているリディアと、黒い仔犬と白い仔犬にじゃれつかれているフィオレンティーナがいた――それまで笑っていたフィオレンティーナが、アルカードの姿を目にして途端に目を三角にする。
それに対して、リディアのほうはある程度心を許した朗らかな笑みを吸血鬼に向けた――妹は日本に到着するまでの間吸血鬼アルカードに対する特使ということでどんな相手かと不安がっていたから、想像と実物の乖離で割とすぐに気を許したらしい。
まあ、それはわたしもそうなんだけどね――
胸中でつぶやいて、パオラは足元に寄ってきた白い仔犬の鼻先に指先を差し出した――ふんふんと匂いを嗅いでいる仔犬に口元を緩め、小さな体を抱き上げる。
アルカードはフィオレンティーナの視線を気に留めた様子も無く、テレビ台の上に置いてあったシャープの液晶テレビの電源スイッチを入れた――フィオレンティーナの腕の中から抜け出して足元に寄ってきた黒い仔犬の体を抱き上げて、首元に頭をこすりつける仔犬の動きにくすぐったそうにしながら背中を撫でている。
正直なところ、ある意味拍子抜けではあった――アルカードとの共闘関係の締結が教皇庁上層部で正式に決定され、その関係を結ぶための使者として日本に渡る様辞令を受けたとき、ふたりは共闘関係を結ぶための手土産としてアルカードへの生贄に差し出されたのかと暗澹たる気分だったのだ。
吸血の経験の無い吸血鬼であるアルカードが相手であれば、血を吸われることは無いかもしれない――けれど聖堂騎士団が把握していないだけで実際には血を吸っているのかもしれないし、あるいはただ単に女として差し出されることになるのかもしれないと、びくびくしていたのである。
もっとも、実際に聖堂騎士団長レイル・エルウッドのところに呼び出されてみたらそんな悲愴な感じは微塵も無く、おまけにふたりと一緒に渡日するというアイリスとアルマ、つまりレイル・エルウッドの長子ライル・エルウッドの妻と娘と引き合わされた。
おまけにアイリスとアルマは、まるで親しい友人に会いに行くかの様に和やかだ。状況についていけずにふたりが不安を口にすると、レイル・エルウッドとアイリス、それにその場にいた副団長ブレンダン・バーンズは声をあげて笑ったものだ。
『吸血のための生贄? 慰み者? ないない、ありえない――あの男がそんなものを、要求するとも思えない。仮にこっちがおまえたちふたりを、貢ぎ物として差し出す気だったとしてもな――そんなことを申し出たら、彼は逆に同盟関係の締結をはっきりと拒絶して、我々と敵対するだろう。おまえたちはただ単に、彼の保護下にいるフィオレンティーナと、彼と
そう告げたうえで、レイル・エルウッドはふたりの少女たちに吸血鬼アルカードが教師ヴィルトールと同一人物であり、過去八十年間にわたって秘密裡に聖堂騎士団と共闘関係にある男であることを知らせたのだ――この派遣任務がそれまで非公式であった聖堂騎士団と吸血鬼アルカードの共闘関係を公式の、そして盤石のものとするためのものであると。
でも――
ブレンダン・バーンズが冗談めかして言った言葉を思い出して、パオラはアルカードを横目で見遣った。
「どうした?」 先ほどから自分の一挙手一投足を目で追っているパオラの視線に気づいていたのだろう、アルカードがパオラに視線を向けて首をかしげる。
「いいえ、なんでも」
ふむ? 今後は逆に首をかしげながら、アルカードは降りたがって暴れる黒い仔犬を下ろしてテレビに視線を向けた。
『我々としては別にそれを期待しているわけじゃないし、そういった意味合いは特に無いんだが――おまえたちが彼を気に入ったのなら、それはそれで助かるがな。より強固な共闘関係を維持するために縁故は多いほうがいいし、客観的に見て悪い男じゃない――少なくとも金はある』
映画番組の最中なのか、放送されているのはルパン三世のカリオストロの城だった。
アルカードは再びフィオレンティーナのそばに寄っていった黒い仔犬を見送って適当に肩をすくめ、
「さて、先に渡すものを渡しちまおう――持ってくるから、適当にゆっくりしててくれ」 そう言ってリビングから出て行こうとした吸血鬼の背中に、パオラは声をかけた。
「アルカード」
「ん、なに?」 キッチンの入口の脇にある扉から廊下に出ようと取っ手に手をかけたアルカードが、肩越しにこちらを振り返る。
パオラはキッチンの奥に視線を投げると、
「喉が乾いちゃって――なにか飲み物をいただいてもかまいませんか?」
「ああ、どうぞ。冷蔵庫の中に入ってるから、適当に飲んでくれ――リディアとお嬢さん、君たちもな」 そう言って適当に手を振って、アルカードはリビングから出ていった――ドアの閉まる音を聞きながら、整頓されたキッチンに足を踏み入れる。
キッチンの壁からいくつかの鋳鉄製の鍋が吊り下げられている――ダッチオーヴンとかいったか。
きっとなんでも自分で調理するのだろう。フィオレンティーナの話だと、店の厨房に立ったりもするらしい――つくづく変わった、というか変な吸血鬼だ。
胸中でつぶやいて、パオラは独り身なら三週間は食べていけそうな容量の冷蔵庫の扉を開けた。
ドアポケットには生卵やら調味料やらと一緒に牛乳やらミネラルウォーターやら烏龍茶やら透明な瓶が入っている――パオラは漢字がある程度読めるので、その内容もおおむね理解出来た。
吟醸酒・火入れをしていない生酒の中の本当の生酒――全体の意味はパオらには理解出来なかったが、とりあえず酒瓶だということはわかった。旭川というのは確か北海道の地名だったはずだ――高砂、タカスナ酒造? 読みはわからないが、これがきっとメーカー名なのだろう。
野菜の絵が描かれた紙パックを見つけて、パオラはその紙パックを手に取った。野菜生活と書いてある――意味不明の商品名だが、原材料の欄を見る限り、きっと野菜ジュースなのだろう(もちろんパオラには、それが登録商標であることなど知る由もない)。
コップを探してあたりを見回すと、食器棚が視界に入ってきた――知り合いを招いて飲み会でもやるのか、ひとり住まいの割には食器が多い。
普通の硝子製の食器のほかにアウトドア用のマグカップやコッフェルが置いてあるのは、持ち主の趣味をよく物語っているといえるだろう――同時に白昼堂々出歩いているあの吸血鬼の破天荒さ加減もだ。
パオラは手を伸ばして、硝子製のコップのひとつを手に取った――綺麗なクリスタルグラスにオレンジ色、というか人参色の液体を注いで口に運ぶ。
若干酸味のある液体を飲み下してから、パオラはリビングを振り返った――リディアはソファーのひとつに遠慮がちに腰かけて、膝の上でひっくり返った茶色の子犬のお腹をさすりながら次元と五右衛門がカップヌードルを食べているシーンを見守っている。フィオレンティーナは、こちらはなにを遠慮するでもなく仔犬たちの相手をしていた――すでに何度か訪れているからだろう、態度に遠慮が無い。良くも悪くも馴染んではいるらしい。
コップをゆすいで水切り籠に置いてから、パオラはキッチンカウンターの向かいにしつらえられたパイン材のテーブルの備えつけの椅子に腰を下ろした。
ちょうど同じタイミングで、アルカードがリビングの扉を開けて姿を見せる――さすがに室内で着たままでいるのは煩わしいのか、レザージャケットは脱いでいた。
UNDER ARMORのTシャツとcw-xのアンダーウェアを重ね着しており、体にフィットしたアンダーウェアを押し上げる筋肉の隆起がはっきりとわかる。髪を束ねる革紐もほどいており、ばらけた髪がまるで獅子の鬣の様だった。
アルカードは自分も喉が渇いたのかキッチンに入っていくと、それまで冷凍庫にでも入っていたのか真っ白に霜が降りたチタン製のタンブラーに野菜ジュースを満載にして戻ってきた。そのままパオラの向かい側に腰を下ろし、キンキンに冷えたタンブラーに口をつける。
ほれ、と気楽な声をかけて、樹脂製のタブがついた鍵を二本ずつ、パオラとリディアに放って寄越す。105と107な、と言われて、パオラは手にした鍵を見下ろした。
パオラの鍵は107と書かれた紙のタグがついている――ということは、リディアのは105なのだろう。
「あの、こっちの鍵は?」
もう一本の鍵を翳して尋ねると、アルカードはこう答えてきた。
「この部屋の合鍵。なにか用があったら自由に入っていい――まあ、もし金が無くなって飢えて死にそうとか、そういうことがあったら食糧は勝手に持っていけばいい」
はぁ……生返事を返して、パオラは鍵を見下ろした。それってひとつ間違えれば、泥棒に自ら鍵を渡してることになるんじゃ……
「盗人になりそうな奴は、そもそもここに入れない――まあ少なくとも、君たちはそうはならないだろ」 まるでこちらの心理を読んだかの様にアルカードはそう答えて、アルカードはタンブラーの中身を一気に飲み干した。
沈黙は気にならないタイプなのか、アルカードが特になにも話さなかったので、パオラはかがみこんで足元に近づいてきた白い仔犬の頭を撫でた。抱き上げてやると、耳元に鼻を近づけてふんふんと匂いを嗅いでくる――くすぐったい感触に目を細めながら、パオラはアルカードに視線を向けた。
「この仔たち、名前はなんていうんですか?」
「君が抱いてるそいつがテンプラ――リディアが遊んでる茶色いのがウドン、お嬢さんのところにいる黒いのがソバ」 テーブル越しにテンプラの鼻先に指を伸ばしながら、アルカードがそう答えてくる。
その答えを聞いて、パオラは仔犬を抱き直してしげしげと観察した――三匹とも月齢は近いのだが、毛色が全員違う。
「……この仔たち、血縁があるんですか?」
「知らない――俺が飼い主から直接もらってきたわけじゃないから。血縁があったとしても、みんな雌だから近親交配とかにはならないだろう」 アルカードはそう答えて、テンプラが差し出した指先に反応を示さないことに苦笑して手を引っ込めた。
彼は気を取り直そうとするかの様にひと息ついて、
「とりあえず明日、水道とガスが通る様に手配する。まあ、寒さで苦労することは無いだろう――ただ電気しか来てないから、風呂もトイレも使えん。なんだったら、この部屋の二階に空き部屋があるから、今夜だけそこで寝てもいい――お嬢さんのところに泊まるんでもいいし、まあそのへんの判断は任せる」
アルカードはそう言ってから、ジュースをもう一杯注ぐつもりなのか席を立った。キッチンに足を踏み入れながら、
「ライフラインが開通するまで、食事はここで用意しよう――たぶん明日の朝だけになると思うが。フィオレンティーナお嬢さんには期待しないほうがいい――まあ、彼女と一緒に連日トーストとバターだけの食生活をご希望なら止めもしないが」
その言葉に、パオラはフィオレンティーナに視線を投げた。
「フィオ……貴女、そんな不健康な生活してるの?」
「美容にもよくないからやめといたらどうだって、何度か言ってるんだがな――聞いてくれないのさ」 いかにも嘆かわしいと言いたげに――わざとらしく――言ってくるアルカードを、フィオレンティーナがキッと睨みつける。
「馬鹿にしないでください、どうしてわたしが貴方なんかの世話にならないといけないんですか」
「栄養失調で倒れるよりかはましだと思うんだがなぁ」 足元に寄ってきたウドンの体を抱き上げて、アルカードがそう返事をする。
「大体何度も言ってる通り、俺は君の敵じゃないんだぜ? 別に仲良くしてくれとは言わないが、もう少し友好的な態度を取れないもんなのかね?」 いかにも私悲しんでますと言わんばかりの口調に、フィオレンティーナがきりきりと眉を吊り上げる。
「あのですねぇ、友好的って言いますけど、貴方なんにも大事なことを説明してないじゃないですか」
「そりゃもちろん、誰にだって秘密のひとつくらいあるさ――君だって俺にスリーサイズを聞かれたら怒るだけで、教えてくれたりしないだろ?」
「そ、それは教えないし怒りますけど」 あっさりと混ぜっ返されて、フィオレンティーナが後ずさる。
「だろ? 俺にだって、人に易々と教えたくない秘密はあるさ」
「ていうか、だからそうやってすぐごまかすのを――」 あとセクハラもやめなさい、と続けるフィオレンティーナに、アルカードは適当に肩をすくめて、
「まあいいけど――スリーサイズは知らないけど、服のサイズは知ってるしな。まあそれはともかく、とりあえず刃物抜くのやめようぜ」
ふしゅー。ヘアピンを変化させた撃剣聖典を手に変な音を立てて息を吐き出すフィオレンティーナに肩をすくめ、アルカードはダイニングチェアに腰を下ろした。
「で、なにを説明してほしいんだ――あ、初恋の話とかは勘弁してくれよ? 恥ずかしいからな」
「……もういいです」 それで毒気を抜かれたらしく、フィオレンティーナが肺の奥から溜め息をつく。彼女は撃剣聖典をヘアピンに戻しながら、
「別に貴方の初恋になんか興味ありませんし」
「否、ライルの初恋だぞ?」
「そうやって本人の与り知らないところで、そういうこと広めようとするのやめましょうよ。わたしも剣を抜くの、やめますから」
「うむ。まあいきなり刃傷沙汰とかにならないんならまあいいか」 アルカードは気の抜けたフィオレンティーナの返事に腕組みし、
「で、どんなことを聞きたいってんだ――あ、俺のスリーサイズは教えてやらないぞ? なんの需要も無いだろうし」
「いりませんよ、そんなの」 フィオレンティーナは深々と嘆息して、
「わたしが知りたいのは、貴方に――」 そう続けようとしたフィオレンティーナの言葉が、唐突に止まった。
「おい」 正面にいたアルカードが真っ先に気づいたのか、立ち上がってフィオレンティーナに手を伸ばす。
だがそれよりも早くフィオレンティーナの体から糸の切れた人形の様に力が抜け、床の上に崩れ落ちた。
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