The Otherside of the Borderline 1

 

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「――着いたよ、ここだ」 駐車ブレーキをのレバーを引きながら、アルカードがそんな言葉をかけてくる。

 アルカードが車を止めたのは、高架下の道路を右折した先にある、車道沿いの駐車場の前だった。

 駐車場には自動車五台ぶんの白線が引かれているが、間隔がかなり広く一般的な日本車の全長よりもかなり奥行きがある――もともとは駐車場ではなく、住宅用の土地だったのだろうか。

 ドアを開けてみても隣の車との間に十分な空間があり、実際ドアを全開にしても隣に駐車されたスポーツカーに接触しない――トラックでも止めておけそうな幅がある。

 もう少し間隔を詰めれば、六台、否、七台くらいは余裕でいけそうだ――そんなことを考えながら、パオラはジープの後部座席から降りてドアを閉めた。

 駐車されているのは、一番左端にカバーをかけられたオートバイ――アスファルトの上に敷かれた鉄板の上に、直径の大きな筒状のステンレス板の中にコンクリートを充填して先端がリング状になったステンレス製のアンカーを埋めたものが転がされており、二本のチェーンを使ってフレームとホイールに一本ずつ縛着されている。

 それが車体の前後にそれぞれ設置されているのは、完全に動かせなくするためだろう――ホイールから車体をはずして、それだけ持ち出したりといったことを出来なくするためだ。自動二輪に限らず、泥棒というのは目をつけたものを持ち出すのに手間がかかると判断すると、あきらめてほかに行く傾向があるらしい。

 つまり、見た目に厄介そうに見せるだけでも効果があるのだ――無論、物理的に建物の中に隔離してしまうのが最善ではあるが。

 スペースをひとつ空けて、ワインレッドのスポーツカーが止められている。アルカードがジープを止めたのは、このスポーツカーとオートバイの間の空きスペースだった。

 車体中央を貫く黒い二本線のストライプがアメリカ車らしいセンスだが、こちらを向いたフロント側にエンブレムがついていないのでメーカーはわからない。フロントグリルの右端附近に、コブラのエンブレムがついている。

 スポーツカーの隣も空きスペースになっていて、その向こう側にはシャッターつきのバイクガレージがあった――倉庫代わりに使われているのか、オートバイ自体は外に放り出されている様だが。

 ふと気づいて、パオラはスポーツカーのナンバープレートとジープのナンバープレートを見比べた。欧州で一般的なナンバープレートよりも横幅が短く代わりに縦幅が倍くらいある形状のナンバープレートは漢字と平仮名、数字を組み合わせたものだ。どちらも一番大きな四桁の数字が2699になっている――意図的にそろえたのだとしたら、スポーツカーもこの吸血鬼の持ち物なのだろう。

 助手席に座っていたフィオレンティーナがドアを開けると、足元でうずくまっていた三匹の子犬たちが下に降りたがって苛立たしげに鳴き声をあげた――下に降りたいが、車高が高すぎて飛び降りるのが怖いのだろう。

 フィオレンティーナが一匹ずつ首輪に綱をつけてから抱き上げて地面に降ろしてやると、犬たちは駐車場と車道の間の側溝を蓋するグレーチングの上にそろってかがみこんだ――さっきから妙にそわそわしていると思ったら、尿意を堪えていたらしい。

 運転席から降りてきたアルカードがあちゃあと声をあげ、片手で顔を覆って天を仰ぐ――だがとりあえずそちらは気にしないことにしたのか、彼は車体後部に廻り込んでバックドアを開け放った。

「この隣の車も、アルカードのなんですか?」

「そうだよ」 リディアの質問に、ラゲッジスペースに寝かせてあった旅行鞄を引っ張り出しながらアルカードが返事をする。彼は引っ張り出した青い旅行鞄をリディアに渡しながら、

「そこの単車もな――というか、この駐車場自体が一応俺のものだ」

「あ、私有地なんですか」

「ああ――本来は住宅用だったんだが、諸事情あって買い手がつかなくてね」 それ以上説明するつもりは無いらしく、赤い旅行鞄を引っ張り出しながらアルカードがそう答える。赤い旅行鞄はパオラ、青い旅行鞄はリディアの持ち物だ。まだ残っている白い旅行鞄は、フィオレンティーナのものだ。その上に積んである寝具類は、ここに戻ってくる前にショッピングセンターに寄って購入したものだ。ベッドだけはあるらしいがそれだけなので、これだけは先に調達したほうがいいとアルカードとフィオレンティーナがそろって意見してきたからだ。

 ありがとうございます、とお礼を言って、パオラは自分の荷物を受け取った――さっきのことをまだ根に持っているのか、フィオレンティーナがムスッとしたふくれっ面のまま自分の旅行鞄を受け取る。

「フィオ、そろそろ機嫌を直したら?」

「ああ、いいんだいいんだ。彼女はこれがデフォルトだから」 適当に手を振りながら、アルカードがそんなことを言ってくる。その言葉にフィオレンティーナのオーラがますます変な形になりつつあったのだが、アルカード本人は気づいた様子も見せずに――否、気づいているのだろうが――いったんバックドアを閉めて施錠した。

 剣山の様にとんがったオーラを放っているフィオレンティーナから三匹の仔犬たちの綱を受け取って、アルカードは駐車場の塀を廻り込んで歩き出した。塀には駐車場の裏側の建物との間の敷地をつなぐ樹脂製の扉が設けられているのだが、それを使うつもりは無いらしい――旅行鞄が大きすぎて、通るのには難儀するだろうが。

 駐車場の裏手の集合住宅がアルカードとフィオレンティーナが現在住んでいるアパートらしく、アルカードが門扉の無い敷地の門を通り抜けて敷地内に足を踏み入れる。

 一番手前の部屋がアルカードの部屋らしく、彼は101と部屋番号の貼りつけられた扉の、二個ある錠前をどこからともなく取り出した鍵で解錠した。ひとつめのシリンダーを解錠したあとそのまま同じ鍵でもうひとつのシリンダーも開錠したところを見ると、単純に防犯性を高めるためにシリンダーをふたつつけてあるらしかった。

 アルカードが一度玄関の扉から上体を室内に入れると、センサーで作動しているのか玄関の照明が自動で点燈した――玄関の扉を開け放って手で押さえ、パオラとリディアに中に入る様に手で促す。フィオレンティーナはすでに自分の部屋があるからだろう、アルカードの部屋の前を通り過ぎて手前からみっつめの扉の前で足を止め、同じ様にふたつついたキーシリンダーを一本の鍵で解錠して、部屋の中へと入っていった。

 ふたりが部屋の中に入ると、アルカードは仔犬たちを部屋の中に入れた――玄関に入ってすぐに扉の無い棚状の靴箱があり、そこに似た様な意匠のブーツが大量に並んでいる。色はすべて黒で統一されており、こちらに踵を向けてそろえてあった――踵にメーカーロゴが入っており、そのためにすべてダナーというメーカーの製品であると知れた。

 とりあえず靴箱があり、玄関の内側の土間と廊下の間に段差があるということは、あの教会の宿舎と同様玄関で靴を脱ぐのだろう――日本ははじめてだが、テレビ番組で見る限り日本の家で靴を脱ぐのは普通らしい。ただ、靴文化圏向けの毛足の短い絨毯を綺麗に敷き詰めた廊下に同じくダナーのブーツが一足だけ置いてあるのは、なぜだかよくわからなかったが。

「お邪魔します」 そう声をかけて、廊下に上がる――管理人部屋だけ構造が違うのか、正面にあるのは二階に通じる階段だった。

 アルカードはふたりが廊下に上がるのを待って土間にかがみこみ、靴箱の上に置いてあったウェットティッシュで仔犬たちの肢の裏を拭いてやっている。

 肢を拭いてもらった黒い仔犬が、爪先に鼻面を近づけて匂いを嗅いでいる――パオラが手を伸ばして黒い仔犬を抱き上げたとき、アルカードが首輪からはずした綱を丸めて靴箱の上に置き、ウェットティッシュを靴箱の脇に置いてあった小さなゴミ箱に投げ込んだ。

 彼は仔犬たちがふたりの足元でじゃれ合っているのを確認してから自分も靴を脱いで廊下に上がり、

「どうぞ」 そう言いながら、アルカードはふたりを先導して入って右側にある扉を開けた。

 扉の脇にあったスイッチを操作して照明を点燈させ、アルカードが廊下に旅行鞄を置いたふたりの少女を部屋の中へと招じ入れる。

 入った部屋はどうやらリビングらしく、テレビやソファーが置かれていた。

「ちょっと用意をするから、適当にくつろいでてくれ」 アルカードがそう言って、仔犬たちを扉にはさみ込む危険が無いことだけ確認して扉を閉めた。

 アルカードの気配が遠ざかり、ややあって玄関の扉が開閉する音が聞こえてくる。アルカードの提案で帰り際に購入してきた寝具がまだ車内に残っているので、それを取りに行くのだろう――ひとりだと手が足りないだろうし、そもそも自分たちが使うものなので、パオラはリディアに一声かけてからリビングから出て彼の後を追った。

 パオラが塀を廻り込んで再び駐車場の前に出ると、ちょうどアルカードは駐車場の片隅にある水道から水を取ったホースリールで側溝に水を撒いているところだった。先ほどはオートバイの陰になっていて気づかなかったが、左端の塀のきわのところに地面に埋め込んだ水道の蛇口があり、そこから伸びたホースがホースリールにつながっているらしい。

「どうした?」

「いえ、寝具とかがまだ残ってるから取りに来たんです」 というパオラの返答に、アルカードはうなずいた。

「そうか」 返事をしつつ、アルカードはシャワーヘッドを軽く振って側溝の内壁に水をかけた――出来るだけ薄めてしまわないと臭いの元だから、仔犬たちのおしっこを多少なりとも洗い流そうとしているのだろう。

 ややあって気がすんだのか、アルカードがホースを手に駐車場の隅のほうに戻っていく。彼は地中に埋め込まれた水道の蛇口を閉めてから蓋を閉め、南京錠で施錠してから、ホースを巻き取り始めた。

 その様子を横目に、パオラは駐車されたオートバイに掛けられたボディカバーをそっとめくり上げた――全体の半分しかカバーしていない特徴的なカーボンファイバー樹脂のクラッチカバーの下から、乾式クラッチが剥き出しになっている。

 カバーはホイールに通したチェーンによって剥ぎ取れない様になっていて、中央に近い部分をめくりあげる程度しか出来ない。そのチェーンはコンクリート塊に接続されているので、車体を動かすのはもちろん持ち上げて運び去るのも難しいだろう。要するに防犯用の埋め込み式アンカーの代用なのだろうが――

自動二輪そういうのに興味があるのか」 ホースリールを巻き終わったアルカードが、ホースの中に残った水圧の残った水で手についた砂や小石を洗い流しながらそう尋ねてくる。

「いえ、ただ――これドゥカティですよね? わたしの叔父が、イタリアで開発に携わってるんです」 それを聞いたアルカードが――ぴたっと動きを止める。彼は手に残った水滴を手首を振って振り払い、ついでジーンズを掌でポンポンと叩いて水気を取った――手を伸ばしてパオラの手を握り、そのままぶんぶん振り回しながらも至極真面目な口調で、

「今度ヴァチカンに行ったときに紹介してくれ。お近づきになりたい」

 はぁ……生返事を返してから、パオラはぽかんとしてなにやら上機嫌な様子のアルカードの背中を見送った――そういえば異性に普通に手を握られたりするのってはじめてだなと思いつつ、パオラは彼のあとに続いた。

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