Vampire Killers 17
*
アルカードが運転するジープ・ラングラーがライル・エルウッドの入院していた病院に到着したのは、二十分も経過しないうちのことだった――店の前の道路を駐車場から出て右手にずっと進むと高架道路沿いの幹線道路があり、そこを左折してしばらく行くと高架道路からの出口のランプがあり、病院はその先だ。
当然見覚えがある――シスター舞と一緒にエルウッドのお見舞いに来たときはこの道路の対向車線からやってきて、先ほどの交差点でUターンしてこちら側の道路に入って病院に近づいたのだ。ついでに言うと、柳田司祭が羽田空港に迎えに来てくれたときに高速を降りた出口もここだ。
四階建てのかなり大きな総合病院で、外壁のコンクリートも駐車場入り口脇の警備員詰め所も真新しい。
すでに何度と無くエルウッドの見舞いに来ているからなのか、アルカードが常駐警備の警備員と気軽な挨拶を交わしてから――それを目にして、フィオレンティーナはなおのこと頭を抱えたくなった――、警備員の指示に従って最徐行で車を進めていく。
先日シスター・マイと一緒に来たときに使った駐車場とは違う青空駐車場に車を止めたアルカードが、さっさと車を降りてドアを閉め――フィオレンティーナが車から降りるのを確認してロックをかけると、アルカードは足早に病院の建物に向かって歩き出した。
こちらが追ってきているのに気づいているからだろう――アルカードは足を止める様子も見せない。彼はそのまま駐車場を抜け、病院の正面玄関へと入っていった。
キタガワ総合病院――そんな名前らしい。平仮名しか読めないフィオレンティーナには漢字はまったく解読出来ない文字だったが、アルカードによるととにかくそう読むらしい。
アルカードを追って病院内に入ると、休日診療の人たちがまばらに椅子に座っている病院のロビーで長椅子のひとつに腰掛けていた長身の男が、こちらの姿を認めてゆらりと立ち上がるのが見えた。
会計と英語で書かれた看板――その下の日本語は、おそらく同じく会計と書いてあるのだろうが、感じの読めないフィオレンティーナには解読出来なかった――を掲げたカウンターを背に、長さ二・五メートルほどの布の包みを手にしたその男が、軽く片手を挙げてこちらに近づいてくる。強烈な聖性を帯びたその包みを肩に担ぎ、荷物の入った鞄を手にして、聖堂騎士エルウッドはかすかに口元に笑みを浮かべた。
「よう、聖堂騎士フィオレンティーナ」
「聖堂騎士エルウッド――」
その呼びかけに不穏当なものを感じたのか、エルウッドが眉をひそめる。
「どうして、先日の時点でアルカードとの間柄をわたしに説明してくれなかったんですか?」
「退院祝いの言葉も無しか――否、ちゃんと説明はする気だったんだ。もともと俺が引き合わせる予定だったんだよ」 という返答は、エルウッドが彼女にアルカードとの関係を隠匿する気がまったく無いことを示している――否、それも正確ではないか。その言葉通りなら、エルウッドは最初からアルカードをフィオレンティーナに紹介するつもりでいたということになる――だとすると、まだ推測の域は出ないが、アルカードとエルウッド一族の協力関係はかなり親密なものだ。
「まあ、前に見舞いに来てくれたときに説明しそびれたのは認めるがな」 以前見舞いに来たときは、シスター・マイがずっと怒りっぱなしで落ち着いて話をするどころではなかったからだろう、エルウッドはその話題に触れようともしなかった。
エルウッドはアルカードに視線を向け、
「どこまで教えた?」
「俺が赤ん坊のおまえのおしめを換えたことがある様な間柄だってことは、教えたよ――行こうぜ、おまえの車を取りに行かないとな。そろそろ急がないと、アイリスが到着するのに間に合わなくなるかもしれないからな」
そんな返事を返しながら、アルカードが法衣を身につけた男女の会話に不審な視線を投げ始めていた一般患者たちに一瞬視線を向け――それだけで彼らは急に関心を失い、自分たちの会話に戻っていった。それで彼らにそれ以上関心を向けることをやめ、アルカードは病院の玄関を肩越しに親指で指し示した。
「ライル、荷物は俺の車に積んでおけ――俺のアパートまで戻るぞ。そこにおまえのムルティストラーダが止めてあるから、教会まで乗って帰れ」
*
店の窓を雨滴が激しく叩いている――日本に来てはじめての大雨だ。
今日はアルカードは店にいなかった――開店前のミーティングのときにはいたのに、おかしなことだ。
そんなことを考えながら、フィオレンティーナはかなり慣れてきた手つきでレジを打ち、釣銭の無い小銭とお札を受け取って親子連れの客を送り出した。
「お姉ちゃん、ご馳走様!」 ピンク色の雨合羽を着た小さな女の子がそう言って、手を振ってくる。蝙蝠傘を広げた母親に手を引かれながら満面の笑みを浮かべている少女に、フィオレンティーナは微笑みながら手を振り返した。
カランという鐘の音とともに扉が閉まりきると、それまで聞こえていたビニール製の庇を雨滴が叩く騒音が扉に遮られて聞こえなくなる。扉が閉まったのを確認して、フィオレンティーナは店内に視線を戻した。
それでランチタイムの客が全員捌けたので、小さく伸びをする――アンがお疲れ様、と声をかけて肩を叩いてきた。
「お疲れ様です。ところでアルカードはどこに行ったんですか?」
朝から見かけませんけど、というフィオレンティーナの言葉に、アンがくすりと笑う。
「気になる?」
その言葉に、フィオレンティーナは視線をそらした。
「いいえ」
その様子になにを思ったのか、アンがパタパタと手を振ってみせる。
「ごめんごめん、気を悪くしないで。アルカードは今日は近所の幼稚園に行ってるわ」
ヨウチエン? 日本語のその単語が理解出来ずに、フィオレンティーナは首をかしげた。
「んー……イタリアにそういう施設があるのかしら? 四歳から五歳の子供を預かる、プレスクールみたいな感じ?」 該当する単語が思いつかないのか首をひねりながらそう言ってきたアンの言葉に、フィオレンティーナは納得してうなずいてから、その言葉の意味するところに戦慄した。
幼稚園――イタリアにも幼稚園や保育園はあり、かよったこともあるのでフィオレンティーナにもそれがどういったものかの見当はつく。
つまり子供が大勢いる――この街には外国人居留者も多いし再開発も行われている。永住者が多く、当然子供も多い――小学校に吸血鬼をひとりで行かせるなど、羊の農場の中に飢えた狼を放り込む様なものではないか。
いけない――! 唇を噛んで、フィオレンティーナはアンを見遣った。いぶかしげな顔をしているアンに向かって、
「アンさん、そのヨウチエンはどこに――」
「ただいまー」 アンに投げかけた質問が終わるよりも早く、気楽な声とともに厨房に続く通路から当のアルカードが姿を見せた。
「あ、お帰りアルカード。どうだった?」 アンがアルカードに微笑を向けてそう尋ねる。
「なんかずいぶん濡れてるけど、なにかあったの?」
「ああ、ちょっとな――相変わらずあの幼稚園はちびっこどもが元気いいね。厨房の後片づけしてたら、子供らにドッヂボールに引っ張り出されたよ」
微妙に汚れたスラックスを見遣りつつ、アルカードがそう言って苦笑する。
「まあ、時間があったからよかったけど」
置いてけぼりのフィオレンティーナが目を白黒させているのに気づいたのか、アンが説明してくれた。
「近所の小学校とか幼稚園のいくつかでね――給食を出してるところが近隣の外食産業のお店と提携して、月に何度かお楽しみメニューっていってちょっと変わったメニューの食事を出すの。近所のインドカレーのお店とか、うちのお店からも出張に行くのよ。実際に調理するんじゃなくて、給食のスタッフの人たちに指示を出すのが仕事なんだけど――で、それはアルカードの担当」
アルカードは運転免許も調理師免許も持ってるし、力仕事だってこなせるから――そう言ってアンが笑う。
幼稚園というのが何人くらいの児童を預かっているのか知らないが、おそらく少なく見積もっても二、三十人以上はいるだろう。その人数分を施設に設けられた厨房で作るのなら、実際に調理に参加せずに全体に目を配ったりして監督するのもかなりの重労働に思えたが――いやいやそれより問題は、アルカードがその施設で野放しになっていたという事実だ。
「アルカード――わたしが目を離してる間に、子供たちになにか手出しをしたんじゃないでしょうね」
厨房に呼ばれたアンが去っていく、その背中を見送ってから抑えた声音でそう言うと、その言葉にショックを受けたのか、アルカードが大袈裟に顔を顰めた。
「またずいぶんとひどい嫌疑だな。なんだよ、その子供に手出しって――俺が幼稚園で膝くらいの子供たちの血を吸いまくってきたとでも思ってるのか?」
「違うんですか?」 あくまでも疑わしげなフィオレンティーナに、アルカードが珍しく機嫌を悪くした表情で答えてくる。
「当たり前だ。何事も無く、時間を気にしてひーひー言いながら調理の監督してきただけだよ――いつもどおりだ。そうだな、ひとつ変わったことがあるとすれば――あれくらいかな?」
どれですか、と突っ込むより先に、アルカードは踵を返した。
そしてフィオレンティーナがついてくるのを待たずに、事務室に向かってつかつか進んでいく。
「――きゃぁぁぁぁぁっ!」
突然悲鳴じみた声が聞こえて、フィオレンティーナは床を蹴った――なにが起こったのかはわからないが、今のはアンの声だ。アルカードは歩調を変えていない。危機感の感じられない吸血鬼の体を突き飛ばす様にして押しのけ、フィオレンティーナは事務室の扉を開けて室内へと飛び込み――
「可愛い~!」
――仔犬を抱っこして歓声をあげているアンの姿を目にして、そのまま失速してソファーに突っ込んだ。
盛大なリアクションにあきれた表情を見せながら、金髪の吸血鬼が彼女に続いて控え室に入ってくる。彼はフィオレンティーナが突っ込んだままのソファーを直しつつ、
「――ああ、そうだ。さっき言いかけたあれっていうのは、帰り道で車が釘踏んでパンクしたことでな。タイヤ交換に時間を喰ったせいで、こんなに濡れちまったんだが」
ソファーの上でひっくり返っているフィオレンティーナの首根っこを掴んで上体を引き起こしてから、アルカードは仔犬を抱いているアレクサンドル老のかたわらに歩み寄った。
「どうしたんですか、この仔犬は?」
うむ、と老人が足元にいた少女ふたりを視線で示す。
姉妹だろうか、ふたりとも外国人の血が入っているらしく、金色の髪を長く伸ばしている。足元には濡れてボロボロになった、コカコーラの五百ミリペットボトルの段ボールケース。
十歳にいくかいかないかというところか、そんな見当をつける――アルカードが足元にいた少女たちのそばにかがみこんで目線を合わせ、ぐすぐす泣きじゃくっているふたりに話しかけた。
「こんにちは、蘭ちゃん、凛ちゃん――どうしてそんなに泣いてるの?」
「この子は?」 隣にいるアンに小声で尋ねると、
「蘭ちゃんと凛ちゃん。おじいさんのお孫さんよ――娘さん夫婦が近くに住んでて、時々遊びに来るの」
という紹介に、フィオレンティーナは女の子たちを子細に観察した。ルーマニア人はラテン系だから、髪の色は黒かそれに近いことが多い――ふたりの金髪は混血の結果だろう。
よく見ると、少女たちの金髪は雨に濡れて色が変わっている――赤くて可愛い雨合羽はずぶ濡れで、段ボール箱も濡れてぐしゃぐしゃになっていた。仔犬たちを拭いてやるのに使ったのだろう、濡れたタオルが何枚もテーブルの上に置いてある。
女の子たちはひっくひっくとしゃくりあげていたが、ややって年上らしい女の子が、
「お母さんがね、わんちゃん飼えないから、棄ててきなさいって。こんなに雨が降ってて、びしょびしょになって鳴いてたのに」
ああ、とアルカードが納得の声をあげて、窓の外を見遣った。
察するに、この少女たちが最中に段ボール箱に入れられて棄てられていた仔犬たちを見つけたのだろう。箱ごと家まで連れて帰ったのはいいが、母親の反対に遭って祖父を頼ってきたというわけだ。
雨の勢いはどんどん強くなってきている――たしかにこんな大雨の中に放り出したら最後、飢えと低体温症で仔犬たちは今度こそ死んでしまうだろう。
「お店で飼えないんですか?」
フィオレンティーナの言葉に、アルカードは首を振った。
「さすがに飲食店でペットはな――この家は店と直接繋がってるから、アレクサンドルの家で飼うのも微妙なところだ」
その言葉に、フィオレンティーナは眉をひそめた――自分には今のところ、動物を飼える様な余力は無い。そもそも自分の食事だって満足に食べられずに、ほとんどまかないの世話になっている状態なのだ。
アンのほうに視線を投げても、店子の立場を考慮してか、彼女は首を振るだけだった。
ふたりの表情が、さらにくしゃくしゃになる――なんとかしてあげたいが、自分には為す術が無い。
「そうか。ま、引き取り手がいないんなら仕様が無いな」 凛の頭を軽く撫でてやってから、アルカードが足元にじゃれついてきていた黒い体毛の仔犬を抱き上げた。
老人の抱いた白い毛の仔犬とアンの抱いた茶色い体毛の仔犬を受け取って、かすかに笑う。
「仕方無いから、俺がもらおう――いいですよね、アレクサンドル?」
「ああ、おまえさんが引き取ってくれるんなら願ってもない」
「いいんですか?」
フィオレンティーナの問いかけに、見るからに安堵した様子で老人がうなずく。
「ああ――管理人部屋までペット禁止にした覚えは無いからな。ペット禁止なのは、入居する留学生にはそんな余裕なんか無いだろうと思ったからだ。アルカードは地盤がしっかりしているからな、私が言うことはなにも無いよ」
「決まりですね」 アルカードがそう言って小さく笑う。
「アルカード、おまえさんはもうあがっていいぞ――その犬たちの面倒を見てやれ、ついでに孫たちも頼んでいいか。デルチャに迎えに来る様に連絡しておくから」 老人の指示に、アルカードがうなずいた。デルチャというのは、ルーマニアの女性名だ――子供たちの母親だろうか。
「タイムカードは捺さずに帰ってくれ、私がやっとくから」
「わかりました――蘭ちゃん、凛ちゃんも、三匹いっぺんに抱っこは結構大変だから、一匹ずつ抱っこしてやってくれる?」
ぱぁ、と目に見えて明るい顔になった少女を促して、アルカードはチャウシェスク家の裏口に向かって歩き出した――雨が降っていたので持ってきた大きな傘を裏口に入ってすぐの傘立てから抜き取り、子供たちに続いて裏口から出ていく。
店の裏口から外に出ると、境界線に設けられたコンクリートブロックの塀に扉が設けられていて、そこからアパートの敷地に出入り出来る――徒歩一分の道のりが、このショートカットで十秒足らずに変わる。
本当に不思議な吸血鬼だ――フィオレンティーナはそんなことを考えながら、後ろ手に扉を閉めるアルカードの背中を見送った。
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