Vampire Killers 2

 

   *

 

「――ッ!」 すさまじい勢いで、跳ね起きる――額に載せられていたものらしい濡れタオルが、ぽとっと音を立てて膝の上に落ちた。

 ひどく熱い息を肺の奥深くから吐き出して、指が白くなるほどの力でシーツの端を握り締める。

 まるで首を絞められているかの様に、妙に息苦しい――呼吸はちゃんと出来ているのに、そう、肺が酸素を取り込めていない様な、そんな感じだ。息が落ち着くまでしばらく深呼吸を繰り返し――それでもやはり息苦しかったが――フィオレンティーナはふと、自分の体がベッドに横たえられていたことに気づいた。

 ここ……どこ?

 胸中でつぶやいて、フィオレンティーナは周囲を見回した――薄暗い部屋の中で最初に視界に入ってきたのは、壁際の角に置かれた大きなロッカーだった。

 観音開きにされた扉から、傷だらけの黒い甲冑の胴当が見える。黒い鉄板で作られた、全身を鎧う重装甲冑だ。最初は黒く塗装されているのかとも思ったが、金属自体が黒いらしい。

 最初は甲冑の印象が強すぎて気づかなかったが、ロッカーの中にはドイツ製のサブマシンガンと大型の自動拳銃二挺が吊られていた――いずれも九ミリ口径なのは、弾薬の共用が利く様にするためだろう。もっとも、どうやってこの規制の厳しい日本に銃火器を持ち込んだのかは謎だったが。

 ロッカーの横には硝子戸つきの本棚が置かれている――背表紙に印刷された対っとるまでは読み取れないが、書籍や雑誌に混じって薄い樹脂製のケースもあった。DVDかなにかかと思ったが、どうやらゲームソフトであるらしい。硝子戸の内側に写真立てがいくつかあったが、酸素不足で視力が落ちているために細部まではわからない。

 部屋の一角には机とサイドボード、机の上にはキーボードにカバーを掛けられた真新しいノートパソコンが置いてある。机の横に放り出された、開封された段ボールには見覚えがあった――東芝の高級ノートパソコンの段ボール箱。

 机の隣のスティールラックには、大型のデスクトップパソコンの筐体が安置されていた。床には欧米の靴文化圏で使う様な、毛足が短く固い絨毯が敷き詰められている。

「……?」 無論のこと、知らない部屋だ――ひどく朦朧とした意識をなんとかクリアにしようとしながら、フィオレンティーナは首筋に手をやって――不意に走り抜けた鋭い痛みに一瞬顔を顰めた。

 指先の感覚はまだ完全に戻りきってはいなかったが、それでもその感触は認識出来た。首筋に小さな孔がふたつ穿たれている。その感触に血の気が引くのが、自分でもはっきりとわかった。

 わたしはカーミラに噛まれてそのまま意識を――

 カーミラ!?

 そうだ、わたしはあのとき騎士カトリオーヌの裏切りによってカーミラに敗れて、血を――

 あらためて――震える手で恐る恐る首筋に触れると、首筋に穿たれたふたつの噛み痕の感触が伝わってきた。

 ――夢ではない。間違い無く自分は、カーミラに敗れて噛まれたのだ。

 絶望的な気分で唇を噛んだとき、フィオレンティーナはふと別の疑問に思い当たった。カーミラに噛まれて血を吸われたのなら、どうして自分はまだ生きているのだ?

 吸血鬼として蘇生したのなら、今頃彼女はのんびり寝ていられる様な状態ではないはずだった――飢餓感にも似た渇きにさいなまれて、獲物を探してそこらを徘徊していることだろう。

「――おう、気がついたのか」 突然声がかかって、フィオレンティーナはそちらを振り返った。

 金髪を背中まで伸ばした青年が、いつの間にそこにやってきたのか部屋の入り口のところからこちらを見ている――無論見覚えのある顔だった。

 整ってはいるものの甘さよりも野性味を感じさせる面差しと、獅子の尾を思わせる暗い色合いの金髪――そして血の様に紅い紅い、人間の生来のものでは決してあり得ない魔人の

 『血塗られた十字架ブラッディークロス』の異名を取る同族狩りの噛まれ者ダンパイア、吸血鬼アルカードだ。

「なッ――」 シーツを跳ね除けて立ち上がろうとしたとき、床につけた足から唐突に力が抜けて、フィオレンティーナはそのままベッドから転げ落ちた。それを見て、アルカードが部屋の中に入ってくる。

「無理するな――普通ならそのままあの世逝きになっててもおかしくない様な量の血を吸い出されたんだ。しばらくじっとしてないと、酸欠で死んじまうぜ」

 アルカードは暴れようとしても暴れられないまま荒い息を吐いているフィオレンティーナの体をひょいと抱き上げて、そのままベッドの上に戻した。

 こちらの弱々しい抵抗など気にした様子も無くフィオレンティーナの体をベッドの上に寝かせて、シーツをかけ直す。吸血鬼にベッドまで運ばれるなど屈辱の極みではあったが、なにせ手足がまったく言うことを聞いてくれない。

「貴方がどうして、ここに――ここはどこですか」

 動いた途端に襲いかかってきた強烈な眩暈と息苦しさに荒い息をつきながら発したその質問に、アルカードは適当に肩をすくめた。どういうつもりかは知らないが、害意は感じられない――シーツの上から下腹部を触られるのがわかってうなじの毛が逆立ったが、すぐに先ほど跳ね起きたときに落とした濡れタオルを拾い上げただけだとわかった。彼は一度部屋から出て行って五分ほどで戻ってくると、

「役に立ってるかどうかはわからんが、汗がすごいからな」 そんなことを言いながら、アルカードが冷やして絞り直してきたらしい濡れタオルをフィオレンティーナの額に載せる。

 彼は机に腰掛ける様にしてこちらに向き直ると、

「感謝しろとは言わないが、そんな睨まなくたっていいだろう? これでも一応、君をあの倉庫から連れ出して、手当てもしたっていうのに――まあいいや、質問の答えだが、ここは俺の部屋で、俺がここにいるのはここが俺の部屋だからだ。君と会ったあのショッピングセンターから、二キロか三キロくらいかな?」

「貴方の部屋?」

「そうとも、棺桶の中で寝こけてるとでも思ってたのか?」 肩をすくめて、アルカードはそう答えてきた。体にフィットしたアンダーウェアの上からアンダーアーマーのTシャツを着ている――穿いているジーンズはそれなりに着古しているのか、いい感じに色褪せていた。

 彼は机の下から引っ張り出した椅子に腰を下ろすと、

「聞きたいと思うから言うが、あれから十時間くらい経ってる――さっき日付が変わった。ここに君を連れてきたのに関して、目撃者はいない――警察の人払いがあったからな」

 その言葉に、フィオレンティーナはふと思い出した。立花とカトリオーヌと一緒にあの倉庫に行ったときのパトカーの運転手、彼はどうなったのだ?

「死んだよ」

 その疑問を見透かしたかの様に、アルカードがそう答えてくる。彼は感情の感じられない眼差しをこちらに据えて、

「君たちと一緒に倉庫に行ったパトカーの運転手は殺された――銃で撃たれてたから、たぶんあの警察の女にられたんだろう。残念だが、すでに死んでいたから手の施し様が無かった」

 そんな――目の前が暗くなる様な感覚を覚えて、フィオレンティーナは右腕を両目に押しつけた。

 行きの車中、奥さんと子供の写真を見せてくれて、ふたりめの子供があと一週間で生まれるのだという話をしてくれた若い警察官の笑顔を思い出し、唇を噛む。遺された家族のことを考えると、どうにもやりきれない。

 アルカードは感情の感じられない淡々とした口調で、

「君の首筋に噛み痕が残ってるから想像はつくと思うが、残念ながらカーミラは逃げ出したよ――仕留め損なった。正直今の状態で、あの女に確実に勝てるかどうかは怪しいがね。警察の女ともうひとりの尼僧もだ」

 その言葉に、フィオレンティーナは腕を下ろしてアルカードに視線を向けた。

「カーミラ――あの女は、間違い無くカーミラなんですか? 貴方がノートルダム大聖堂で戦った?」

 真祖の吸血鬼ノスフェラトゥカーミラ。

 吸血鬼アルカードが、十六世紀に殺したはずの吸血鬼だ。

「間違い無い――あれは一五一一年の十二月二十四日、シテ島のノートルダム大聖堂で首を刎ねて殺したはずの吸血鬼だ。あの女も俺のことを覚えていたよ――どうやって生き延びたのかはわからないけどな」

 そう言ってから、アルカードは右手の中を見下ろした。

 その手の中に強烈な堕性が集中し、指の隙間から赤黒い血があふれ出す。あふれ出した血はまるで目に見えない容器の中に流れ込むかの様にして曲刀の形状を形作ると、次の瞬間漆黒の曲刀へと変化した。

 おそらくこれがアルカードの持つ霊体武装、塵灰滅の剣Asher Dustだ。あのショッピングセンターで撃剣聖典を斬り折られたときは、見えなかったが――

 放射される強烈な堕性を帯びた魔力に、フィオレンティーナは顔を顰めた。あの魔剣が放つ魔力は、疲弊した今の状態では堪える。構築された霊体武装を手にアルカードが顔を上げ、

「あの女はなにか話さなかったか」

 その質問に、フィオレンティーナは天井を見上げて考え込んだ。あの女の話していたことの中で、彼の質問の答えになりそうなことは――

「そう、ドラキュラに血を吸われたって言ってました」

「ドラキュラに?」 その返事に、アルカードがちょっと眉根を寄せる。

「ほかには?」

「あまり、たいしたことは――でも、それで死の淵から救われたって言ってました。たぶん、今はドラキュラの配下にいるんじゃないかと思いますけど、自信はありません」

「ふむ――真祖が真祖に血を吸われるか。今までに前例が無いから、正直詳しいことはわからんな」 アルカードはそう言ってから、

「次はる――そう言いたいところだが、今のあの女に拮抗出来るかどうかは怪しいな。カルカッタ以来、俺の力はかなり弱まっているからな」

 アルカードはそう言ってから、フィオレンティーナが顔を顰めているのに気づいて武装を消した。今の弱体化したフィオレンティーナでは、アルカードの武装の魔力の余波だけでもダメージになる。

「まあ、今はゆっくり休め――この部屋で寝てていい。俺は向こうの部屋にいるから、なにかあったら呼んでくれ」

 それで話を切り上げて、アルカードは立ち上がった。

「待ってください」

 その言葉に、アルカードが踵を返しかけて足を止める。

「どうしてわたしを助けたんですか? 吸血鬼の貴方にしてみれば、わたしは敵でしょう」

「俺は別に教会君らを敵だと思ったことは無いが。敵でもないのに、助けられる相手を助けるのにいちいち理由が要るのか?」

 そう言ってから、アルカードが肩越しに振り返る。

「君が助かったのは――まあ偶然の結果ってやつだ。俺があそこに行ったとき、まだ君が生きていた。それだけだよ」

「……質問を変えます。貴方は、どうしてあそこに来たんですか? 偶然にしてはタイミングが良すぎます」

「頼まれたから――だな。詳しく知りたいんなら、また今度にしよう」

 そう言ってから、アルカードは出て行った。

 ばたんという音とともにドアが閉じ、アルカードの姿が見えなくなる。

 頼まれた――その言葉に、一番気になる疑問を解決し忘れたことに気づいて、フィオレンティーナは小さくうめいた。

 カーミラが口にしたあの言葉。

 エルウッドをアルカードが守っている。一度自分を殺した男の家系と馴れ合っている――

 あれはどういう意味なのだ?

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