Vampire and Exorcist 3

 

   *

 

「御搭乗の皆様、当機は間も無くハネダ空港に到着いたします。飛行機の電子機器類に影響を与える可能性がありますので、すべての電子機器類の電源をお切りください……」

 機長のお定まりのアナウンスが、室内スピーカーから流れている――フィオレンティーナはiPodの電源を切ると、ストラップを首からはずした。

 窓の外は憎たらしいくらいの快晴だった――というより雲より高い位置を飛んでいるだけだが。

 イタリアはようやく朝の八時になったばかりの時間帯なので、とにかく眠い。さっきまで眠っていたので少しは時差ぼけが取れているかと思ったら、まったく取れてはいないらしい――あくびを噛み殺しながら、彼女はさほど多く無い荷物をまとめた鞄を前の座席の下から引っ張り出した。

 iPodを鞄の中に押し込んで、もう一度鞄を座席の下に押し込む――こんなことでスチュワーデスに文句を言われたくない。

 そう言っている間に機体が下降し始めて、厭な浮遊感を感じる――この瞬間が一番嫌いだ。内臓のせり上がってくる様なこの感覚には、正直堪らない恐怖を感じる。

 シートの肘掛けを全力で握り締めたとき、隣の席に座っていた年老いた婦人がくすりと笑うのが聞こえた。

「大丈夫よ、お嬢さん――飛行機なんて、そうそう墜ちるもんじゃないから」

 コルシカ訛りのイタリア語で話しかけてきたその老婦人の言葉に微笑みを返そうとしたとき、その向こうに座っていた彼女の夫らしい男性が、

「わしは今までの人生で四回墜落したがのう。懐かしいのう……アドリア海は今思い出しても血が滾るわい」

「おじいさん! 怯えさせてどうするの!」 縮こまるフィオレンティーナの姿を目にして、老婦人が男性を叱りつける。その様子を横目に見ながらようやく多少余裕を取り戻し、、フィオレンティーナはくすりと小さく笑った。

 逆噴射の轟音とともに、機体ががたがたと揺れる――滑走路に着地したのに違い無い。ようやく体から力を抜いて、フィオレンティーナは違和感の残っている耳を元に戻そうと何度か頭を振った――あまり意味は無かったが。

 ベルト着用サインが消えたので、フィオレンティーナはシートベルトをはずして足元の荷物を引き出した。別に焦る必要は無い――我先にと降りる準備をし始めた人々を横目に、飲み物のボトルに口をつける。

 どうせ最終的には全員降りるのだ――荷物の受け渡しでどうせ待たされるのだから、焦る意味など無いと思うのだが。

 老夫婦も似た様な考えらしく、ともに腰を落ち着けて小さな声で話をしている。

 しばらくして飛行機から降りる人々がひと段落してきたところで、老夫婦が席を立った。

「お先にね」 

 老夫人の言葉に、フィオレンティーナはうなずいた。

「ええ、ありがとうございました」 イタリア語でそう言って、フィオレンティーナは老夫婦を見送ってから自分が降りる準備を始めた。

 

   †

 

「そろそろ時間ですね、神父様」 横合いからかけられたその言葉に、柳田神父はそちらに視線を向けた――見遣ると、かたわらを歩く黒髪を背中まで伸ばした清楚な雰囲気の女性の姿が視界に入ってくる。

 黒に近い色合いの修道服を身に纏い、豊かな胸の谷間で銀製の十字架が身体の動きに合わせて揺れている。

「そうだね、シスター舞」 そう答えて、彼は――カトリック系の小さな教会を担当する柳田亮輔神父は、腕時計に視線を落とした。イタリアのフローレンス空港から台北経由で到着するはずの便は、約二十分の遅れが出ているらしい――だがそれを差し引いても、そろそろ到着していてもいい時間帯だ。

 とりあえず電光掲示板を探して、彼は周囲を見回した――到着する人々を待つ者たちでごった返す、羽田第二空港国際線の到着ロビー。

 電光掲示板はすぐに見つかり――柳田は事前にローマの総本山から知らされていた便名を探した。

 到着済みの表示が出ている便の中に探していた便名を見つけ――笑みを浮かべる。既に五分前に到着しているから、あと十五分もかからずに出てくるに違い無い。

「あ」 声をあげたのは、シスター――高木舞だった。彼女は手荷物受取所の自動ドアを指差して、

「神父様、あの方が――」

「ああ」 既に同じ人影を認めていたので、小さくうなずく。

「その様だね」

 自動ドアから姿を見せたのは、濃紺に近い色合い法衣を身に纏った小柄な女性だった。いかに聖職者とはいえ、法衣を纏ったままで飛行機に乗る関係者はそれほど多くはないため、すぐにわかる。

片手に小さなトラベルバッグ、もう一方の手には分厚い聖書を持っている。彼女はしばらくの間きょろきょろと周りを見回していたが、やがてこちらに気づいた様だった。

 からからという音とともにトラベルバッグを引いて、こちらに近づいてくる。

 柳田と舞の前に立つと、彼女は法衣のフードをはずして、まっすぐな眼差しで柳田の視線を捉えた。

 黒髪をショートカットにした、まだろくに年端の行かない少女だと知れた。女性の年齢を読み取るのは苦手だが――初対面のときに二十代半ばだと思った舞は、実は十六歳だった――、十代なのは間違い無い。

 落ち着いた色合いの黒髪に、凛とした雰囲気を漂わせる整った顔立ち。透ける様な白い肌、深海の青を連想させる瞳は優しげながらも苛烈なまでの意志の強さも読み取らせた。身に着けた法衣の左の襟元には、折れた鳥の翼に荊が絡みついた様な意匠の徽章をつけている。聖堂騎士団における出身教室を示すもので、自分の教室を持ってはいないので右襟にはなにもつけていない。

 柳田の視線を捉えたまま、その少女が口を開く。

はじめましてPiacere。騎士フィオレンティーナ・ピッコロです。教皇庁の聖堂騎士団より派遣されてまいりました。貴方がヤナギダ司祭で間違いありませんか?」

 日本語はあまり得意ではないのか流れる様なネイティブのイタリア語で、少女はそう名乗った――自分からまったく視線を逸らさない少女の眼差しに圧倒されていた柳田は、我に返るとあわててうなずいてみせた。

「そのとおりです、聖堂騎士フィオレンティーナ。私がヤナギダ、日本における聖堂騎士団のサポート役を務めさせていただいております。こちらはシスター・マイ・タカギです」

「はじめまして」

 かたわらの舞が、礼儀正しく深々と頭を下げてみせる――それを見て、フィオレンティーナは同じ様にお辞儀をした。

「よろしくお願いします。日本国内での行動に関しては、ヤナギダ司祭にお世話になる様にと言いつかっています」

 その言葉に、柳田は表情には出さずに胸中でだけ軽く眉をひそめた――人目を引かずにはおかない様な美しい少女ではあるものの、その言葉にはひどく張り詰めた棘の様なものがある。

「承知しました。では教会に向かう道すがら、ご説明いたしましょう」

 そう返事をすると、フィオレンティーナはうなずいて歩き出した。

「お願いします」

 

   †

 

「まずはこれをご覧ください」 かたわらを歩きながらヤナギダ司祭が差し出したのは、一枚の新聞の切抜きだった。

 ひどく粗い白黒の写真と、その説明であろうキャプション――どこかの街角だろうか。日本語はあまりにも難解すぎてまったく読み取れないので――平仮名だけならまだしも、漢字が混じるとまったくわからない――、フィオレンティーナは視線でヤナギダ司祭に説明を求めた。

 こちらの意図を視線で汲み取ったのか、ヤナギダ司祭が説明を始める。

「これは東京秋葉原で起きた殺人事件の現場です。カラー写真をご用意したかったのですが、手に入りませんでした。わかりにくいですが、大量の血痕が周囲に飛散しています。第一発見者は巡回中の警察官で、現場で十六人の男女の遺体が発見されました」

 その言葉に、フィオレンティーナは眉をひそめた。視線で続きを促すと、ヤナギダ司祭がうなずいて続けてくる。

「遺体の身元に共通点はありません。一歳の子供を連れた妊婦に現場近くの商店の主人、コンピュータ・マニアの大学生――いずれの遺体も抵抗の形跡は無く、首には吸血痕が認められました」

 そう言ってから、彼は先にエスカレーターに入った。そして続けてくる。

「現場で発見された遺体は十六ですが、血痕のDNA鑑定結果によると、現場で殺害されたのは十七名とのことです――発見された亡骸は、すべて体内の血液の九割がたが吸い出されていることもわかりました。直接の死因はこれによる失血死です」

 その言葉に、彼の後ろに続いてエスカレーターに乗りながらフィオレンティーナは唇を噛んだ。抵抗の形跡は無かったとヤナギダ神父は言った――つまり彼らは抵抗する間も無く、あるいは力で抑え込まれてあらがうこともままならぬまま、血を吸われるに任せていたのだ。まるで――そう、屠殺される家畜の様に。

 だがそれよりも、気にしなければならないことがある――十七人の犠牲者のうちのひとりが足りない。それを口にすると、ヤナギダ司祭は小さくうなずいた。

「それで見つからなかった十七人目の犠牲者ですが――我々は噛まれ者ダンパイア、もしくは喰屍鬼グールになったものと判断しています。この時期と前後して、秋葉原に出没して恐喝を行っていたグループが姿を見せなくなっています――また、事件から数日後に秋葉原の一角で複数の遺体と、その倍近い人数ぶんの血痕が発見されています。亡骸はばらばらに引き裂かれていましたが、首にはやはり吸血痕が認められました」

 その言葉に、フィオレンティーナはうなずいた――なるほど、それでは日本のカトリック教会が総本山に泣きつくのも無理は無い。日本国内に存在するカトリック教会には武装聖職者エクソシストを擁する教会がひとつしか無く、武装聖職者エクソシストもひとりしかいない――そのただひとりがここにいるヤナギダ司祭の教会にいるもうひとりの聖職者、ライル・エルウッド司祭――を偽装の身分にしている聖堂騎士ライル・エルウッドだ。

 その聖堂騎士エルウッドは、一週間ほど前に交通事故で負傷して長期入院中だという――よりにもよって吸血鬼による襲撃事件が頻発している状況で唯一の聖堂騎士が脚を折って全治三週間の診断で入院したなど、とても笑えた事態ではない。

 エルウッド直筆の手紙を思い出して、フィオレンティーナは溜め息をついた――本来ならば彼と連携して対吸血鬼ヴァンパイアの任務に当たるはずだったのに、これで別の聖堂騎士をローマの総本山から呼び寄せる必要が出てきた。

「聖堂騎士フィオレンティーナ――やはり、今回のこの事件は吸血鬼ヴァンパイアの仕業でしょうか」

 シスター・マイの言葉に、フィオレンティーナは小さく首肯した。

「間違いありません。先程の十六人の亡骸は、おそらく噛まれ者ダンパイアにも喰屍鬼グールにもならなかった方の亡骸だと思います」

 吸血鬼、キョンシー、ゾンビ……噛まれたり触れられることによって感染する不死者アンデッドたちの伝説は後を絶たないが、そのいずれの例でも勘違いされているのが、噛まれたり触られたりした者が必ずしも不死者アンデッドとなるわけではないということだ――吸血鬼ヴァンパイアが被害者を噛んだ場合、その被害者がすべて吸血鬼ヴァンパイアとなるわけではない。

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