バレバレなんだよ。ザフエルさんが……優しすぎるってことぐらい!


「どうせそう簡単にはらせてくんないんでしょ? だったら」

 ニコルはあやつり人形を操作するようなしぐさで、鉄薔薇のつるを引き寄せた。ピエロの影絵めいた人形を作り出して、自在にあやつるふりをして見せる。


 主力のチェシーでさえ二連敗したのだ。残る全員がまとめてかかったところでザフエルにかなうはずがない。

「押してダメなら引いてみるし!」


 より合わさった鉄のいばらが、昔話の巨大な豆の木のように高く伸び上がった。そのまま鞭となって水面を叩く。

 真っ二つに割れた波が壁に当たって大きく跳ね返った。双方から揺り戻しが来た。互いにぶつかり合う。三角にとがった大波が盛り上がった。


「ひゃっはあーー! 乗るしかない、この大波に!」


 ニコルは薔薇の葉の形をした足場を板がわりにして、大波に飛び乗った。

 よせてはかえす波が、うず高く盛り上がる。

 波の頂点に達したところで空中へと飛び出した。水しぶきが円弧を描く。

 ぐいと腰をひねった。板の向きを強引に変え、次の横波へと飛び移る。


「はへええええええーーーー!」


 一気に滑り降りる。

 風と波と光と滝の水しぶきが轟音となって耳を打った。白涛が砕けてゆく。

 そのまま水中へと突入。派手な水音が上がった。周囲が半透明の隧道トンネルに変わる。

 光と闇の泡模様が目まぐるしく入れ替わった。


「早い早い早いこわい速度ぱねえっわああヤダヤダ曲がれ曲がれ曲がれなああああひゃひゃーーーー!!!」


 急角度でターン。気泡の流星群を突っ切る。


 と、同時に。

 鉄のピエロが、からくり人形みたいに手足を直角にカタカタ動かしながらザフエルに飛びかかった。

 攻撃と同時に薔薇のつるを振り出す。無数に枝分かれフラクタルした鉄条網がザフエルを取り巻いた。

 鋭い風切りの音を立てて振り下ろされる。

 同時にピエロの投げた捕縛の投網が、ふざけた手のひらの形になって頭上に広がった。


「愚かな。まだ自ら墓穴を掘ったことに気づかぬとは。私を攻撃すれば、狙った瞬間に《破壊ハガラズ》が発動するのを忘れたか!」


 半透明の障壁が、ザフエルを中心とする半球型に空間をくり抜いた。シャボン玉の油膜が黒く反射する。

 障壁に触れた瞬間。投網が黒い電光を放って消滅した。

 鉄のピエロたちもまた、熱したバターのようにどろりと形をなくして流れ落ちる。

「何の手出しもできぬまま、神の光に焼かれて死ぬ気持ちはどうだァァァ嬉しいかフハハハハハハァ!!」

 うわずった哄笑を放つザフエルの背中を。

 華奢な指が、つん、とつついた。


「ァァハハハハ……ぁっ?」


 大きく盛り上がった波間を、人の身長ほどの太さがある半透明の筒ウォータースライダーがうねうねと走っている。

 ザフエルは波に洗われた筒の行先を眼で追った。

 水中に没し、泡の白い航跡波を曳いて足元をくぐり抜け。

 真後ろへと続いている。


 振り返った。

 ニコルがいた。指をつんつんする途中で、ぎくっ、と動きを止める。

「あっ、やば」

 片手を口に当て、見つかっちゃった、という顔をする。


「ふざけるな下郎ッ!」

 ザフエルは異形の杖を振り上げざま、ニコルの顔めがけて振り下ろした。遊輪のけたたましい音が響いた。

 顔面に直撃。殴りつけ、突き刺し、斬りつける。

 巨大な牙めいた突起や角の生えた杖が、何度も何度もニコルの顔を襲った。そのたびに鈍い音と黒い光と水しぶきが激しく飛び散る。ニコルは殴られっぱなしだ。動かない。


「そんな……うそ、やだ、ひどい……!」

 アンシュベルが息をすすり上げた。

「騒ぐな」

 傷ついた片腕を布の切れ端で縛り上げながら、チェシーはあごをしゃくった。

「よく見ろ。あいつの顔」

「えっ……?」

「ニタニタしてやがる」

「ほえ?」


 何十回も殴られ続けていれば、通常なら二目と見られぬ凄惨な顔になっているはずだった。

 だが。


「やだな、もう。自分で自分の言ったことを忘れてる」


 ニコルは唇をへの字に曲げた。髪の毛をそよとも揺らさず、まるでうっとうしいハエでも追いやるかのような、いかにもうんざりした仕草で。

 異形の杖を片手でぱすっ、と受け止め。

 そっけなく払いのける。

 ザフエルの手から杖がすっぽ抜けた。勢いあまって振り落としそうになる。


「おっと、見た目がすんごいエグいからもっと重いのかと思った」


 ニコルはあわてて杖を持ち直した。それでも小枝を振るようには行かない。バランスが悪いせいで重みを支えきれず、杖の先端がばしゃりと水に浸かる。


「ザフエルさん自身が、ずいぶん前におっしゃったことですよ。『物理攻撃無効化のカードがあれば、』って。忘れたんですか? いくら殴られたって痛くもかゆくもないってことを。そんなことよりアンドレーエさん、あと何秒あります?」

「五秒」

 アンドレーエは一秒ずつ数えながら握り込んでいたこぶしを胸の前ですり合わせた。切実に神頼みする。

「あーもーだめだ神様仏様聖女様、どうかアンシュだけでも助けてやってくれ。頼む」

 ニコルはくすっと笑った。

「神の代理人に喧嘩を売っといて天佑神助を祈るとは、少々ご都合主義にすぎるんでは」

 無慈悲につけ加える。

「ついでに言っとくとその聖女様っての、僕のことですからね」

 アンドレーエは頭を抱えた。

「なんともはや。こんな末法聖女様に頼らなきゃならねえとは世も末だ。神も仏もねえわ」


「心外ですね」

 ニコルは、自身が手にした杖を、にやりと見下ろす。


「まさか」

 ザフエルの視線がニコルの手元に吸い付いた。濡れた銀髪の下に隠された赤い眼が、ぬらぬらと煮えたぎる。


 この場にいるなかで祝福洗脳が通用するのがザフエルひとりだけな理由。

 本当のなら答えを知っているはずだった。術者自身の意識をして、深層心理へさせる技が、ニコルだけでなくアンドレーエやチェシーにも効かない本当の理由ワケを。


 だから、きっと、たぶんだけど。


 もしかしたら、本当に、ニコルの想像通りなのかもしれない。

 いつか、こんなときが来るかもしれないと見越して。

 最期の瞬間にその真実を気づかせるために。永遠の忠誠を尽くすために。

 わざと。

 その身を。

 獅子身中の虫として、真の敵にくれてやったのだと——


「ザフエルさんて、いつもそうだ。自分のことは横に置いて、わざと変なこと言ってきたりいじわるばっかり仕掛けてきてさ。何とかして僕を油断させまいとしてばっかり。僕があんまりおまぬけで、隙だらけで、ザフエルさんのことを信じすぎるからって。わかってるんだよそんなの。バレバレなんだよ。ザフエルさんが……優しすぎるってことぐらい!」


 ニコルはザフエルめがけて異形の杖を振り上げた。

 やっと、ここまで来た。必死に積み上げてきたいくつもの条件を掻いくぐって——無慈悲にもチェシーの腕を生贄代わりに砕かせてまで手に入れたこの瞬間。

 そこまでやってようやくギリギリの状態にまで追いつめ発動させた《破壊ハガラズ》の効果がまだ場に残っている今。

 この、瞬間を狙って。

 

「だから言ったでしょう。五対一だって! 残る一人は、僕ら四人とザフエルさんとの戦いにまぎれ込んで邪魔した貴方自身だ!」


 ザフエル自身は《天国の門ガルテ・カエリス》を発動中だ。術式が収束し終わるまで、他のカード技を並行して同時に制御することはできない。


「ザフエルさんを苦しめるために発動した《聖属性付加アダ・サンクトゥス》が! 僕らだけじゃなく街の人たちまで犠牲にすることもいとわずに発動させた《天国の門ガルテ・カエリス》が!! 貴方が自分の身を守るためにだけに使った《破壊ハガラズ》が!!! 貴方自身の傲慢が!!!!」


 頭上に掲げた杖が、光を振りまく。


「貴様ァァァーーッッッ!!」

 ザフエルは悪鬼の形相でニコルの手から杖を奪い返そうとする。もちろんこちら側からの攻撃も先ほど殴られたときと同じだ。互いの物理攻撃はすべて無力化される。

 だが。


  ──‡ 叡智あれ、《聖属性付加アダ・サンクトゥス》!! ‡──


 攻撃属性を帯びたカードを装備した状態でザフエル自身が攻撃されれば。

 《破壊ハガラズ》の武器排除効果は即座に、そして


「貴方自身を、《排除》するんだ!!!!」

 全力で振り下ろした。

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