生と死のはざまの扉
白い法衣。漆黒になびくストール。薔薇十字を刻んだ銀の杖。口元は高い襟に隠され、見えない。
吐く息が白く、つめたく流れている。
ツアゼルホーヘン大聖堂、地下。
ザフエル・グラーフ・フォン・ホーラダインは、奈落への階段を下った。
いくつもの隠し扉をくぐり、迷宮のごとき通路、罪と罰の名を冠した贖罪の階層を下り、聖堂地下に秘め隠された禁断の地へと降り立つ。
「すべての戦いを終わらせることさえできる力。神の恵み。恩寵。破壊、狂気、称賛、歓喜、希望——阿諛、欲望」
足下を旋風の小蛇が這う。
巨大な白と黒の墓碑が行く手をさえぎる。
幾重にも鎖で縛られ、汚され、逆さに吊られた薔薇十字の護符が、赤錆びた光を放つ。
磨き上げられた黒曜石の壁が、断片化した姿を映し出す。一瞬の雷鳴。壁が透き通る。地獄が浮かび上がる。
闇を畏れるがゆえに、さらに濃い闇と同化する。
ザフエルは軽侮のまなざしを己が手へと落とした。奪った罪の重さを計るかのように掌を幾度も返す。
扉に手を掛ける。押し開ける。ちょうつがいが軋んだ。暗黒の冷気がこぼれ出す。床が霜で白く覆われる。
微細な共鳴がルーンから伝わった。虚無がすすり泣いているのか。それとも。
生と死のはざまの扉を前にして、ザフエルは立ち止まる。
「あるいは永遠の悪夢、絶望のゆりかご」
風洞の奏でる荘厳な風の音が、心狂わせる不協和音となって響き渡った。深淵の宿す隠微な光が遙か彼方に光る。
華燭が燃えている。立ちこめる没薬と死の香り。
青く揺らめく水晶の床は、ローゼンクロイツの紋章である薔薇の連環と十字を組み合わせた絢爛たる呪紋のモザイクで一面埋め尽くされていた。
中心に叡智の眼を頂く天球図を描いた円蓋の大天井には、無数にきらめく蓄光石の星が星図そのままに散りばめられている。精緻に配された星座の上を、青白く火を吐く彗星が通り抜け、からくりの惑星が実際とほぼ変わらぬ周期の楕円軌道を描いて時を刻む。
聖域の円周は官能的にそそり立つ巨大な列柱に取り巻かれていた。聖女の柱は二十四に分かたれ、それぞれが正確な方位を示している。
黄金の子山羊と戯れる像、赤子を抱く像、ルーンを模した宝珠の聖杯を掲げた像、あるいは騎士に抱かれ、肉感的な肢体もあらわに法悦の表情を浮かべる像。
聖女像が見つめる視線の先に、婚姻の祭壇があった。
永遠に咲き乱れる水晶の薔薇に囲まれ、無数の灯火と氷のきらめきに包まれた、その中央。
黄金と、銀と、鉄で作られた巨大な斜め十字が、天井に達するほどの高さで突き立っていた。残酷なまでに美しく、怜悧な装飾を施された剣の形の十字に、朽ちたくろがねの薔薇が絡みつく。
こぼれる水琴の音。
愛おしい闇の半身に気づいた虚無の棘蔓が、ずるり、ずるり、と。
どこからともなく這い出してくる。
鉄鎖の軋み。
「閣下」
墓標たる薔薇十字のたもとに。
触れただけで消えてしまいそうな、淡い影。
薔薇の柄をあしらった純白の引き裾が長く、なよやかに広がっている。
幾重にも重ねられてなお透き通るヴェール。
無惨に散ったブーケの花。
泡のように流れる白いドレス。
消えゆく肌を隠す白絹の手袋。
ゆったりと結ばれたサッシュ。
さざ波のように風にそよぎ、炎に揺れて。
透き通るルーンを模した薔薇のティアラがきらめく。
藍色の髪が、はらりと肩から落ちた。
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