「貴様の負けだ、サリスヴァール」

 撃鉄を起こす音が同時に響く。引き金に指がかかる。殺意の銃口が鈍い光を放った。


 直線的な影の落ちる暗がりから半分だけ、豪奢な緑色のマントが垣間見えた。

「やはり貴様か、イェレミアス。こそこそと後ろに隠れていないで前に出ろ」

 チェシーは暗闇に向かって舌打ちする。

 真紅の宝石と金箔でけばけばしく装飾された元帥杖が、嘲笑の音を立てて床を突いた。


「その手には乗るものか。残念だったな。今回ばかりは言い逃れはできんぞ、この蠱業まじわざ使いが」

 銃士隊の背後から、辛辣な憎しみの声が投げかけられる。


「ティセニアの魔女アーテュラス。逆賊サリスヴァール。貴様らを殺人、自殺を扇動教唆した罪、および、外患に通謀、幇助した疑いで告発する。おおかた、逃亡叛逆のくわだてを盗み聞かれでもして、口封じに医者や女官を殺したのであろう」


 イェレミアスはひたすらに勝ち誇っていた。昂然と罪名を並べ立て、勝利に酔いしれている。

「貴様の負けだ、サリスヴァール」


 チェシーは挑発に答えず、無言でニコルを背後へと追いやった。

 何かをまさぐる手つきが背中へと回され、そのまま、唐突に止まる。


 ニコルはふらつく身体を壁で支えた。立っているだけで息が切れる。

「チェシーさん……」

 言いかけて、はっと気づいた。


 いつ、いかなるときもその身に帯びていたはずの強大な太刀。

 《天空》、《栄光》の異名をもって並び称される双子のルーン、《勝利ティワズ》を装着した太刀がない。おそらくは医者を呼ぶ際に動転でもして、そのままどこかへ置き忘れてきたに相違なかった。


 有無を言わさぬ強引な口ぶりにひそむ、緊迫の息づかい。

 チェシーは不敵に笑う。

「この程度のことで、私を罠にかけたつもりか」


「抵抗しても無駄だ。少しでも反抗すれば、貴様もろとも女をこの場で射殺する」

 イェレミアスは居丈高に肩をそびやかせた。醜悪な笑みに頬が紅潮する。


 踏み込んできたのは一般兵だ。牢獄の周辺に別の部隊が配置されている様子もない。《カード》使いもいない。ならば、たとえ百人いようともおそるるにたらぬ。

 《虚無ウィルド》に侵襲され、虚脱状態にあるニコルをかばってさえいなければ、だ。


 チェシーは傲然と身構えた。

 大太刀を──《ルーン》も《カード》も持たずにいることを、決して見透かされてはならない。

 突きつけられたいくつもの銃口を、あえてひややかに見渡す。


「随分と短兵急だな。説明してもらおう。証拠もなしに逆賊呼ばわりとは、いかなる了見だ」

「外に転がっている死体を数えてみるがいい。おとなしく魔女を引き渡せ。さもなくば、撃つ」


 顔を極限にまでこわばらせた衛兵が、チェシーの顔とイェレミアスの顔とを何度も見比べた。

 喉をごくりと鳴らす。

 チェシーは口元に薄い笑みを浮かべた。

「独断専行は身を滅ぼすぞ、イェレミアス」


「構わぬ、捕らえよ!」

 イェレミアスが元帥杖を振り回した。

 四方から金属を織り込んだ投網が投げかけられた。

 チェシーは異形の爪を閃かせた。網を真っ二つに引き裂く。


「持ってこい!」

(了解っ)


 ぬいぐるみの悪魔は、けたたましいわめき声を上げて網をすり抜けた。青黒い急旋回の光跡を引いて反転する。

「あくまでも抵抗するというのだな」

 イェレミアスは姑息にも衛兵の後ろに隠れながらわめいた。

「軍法に従わぬのであれば、帝国への叛逆罪を問われても致し方あるまい!」

 笑みが無様な喜悦に吊り上がってゆく。

「叛逆の罪は即刻死刑だ。よし、殺せ!」


 杖が振り下ろされた。

 銃口が続けざまの火を噴く。

 チェシーはニコルを抱え、横っ飛びに木製のベッドの後ろへと転がり込んだ。

 轟音が牢獄の窓ガラスを吹き飛ばす。鏡が割れた。花瓶が割れた。水しぶきが床に黒く散る。硝煙が漂う。影が躍り狂う。

 銃撃の音が止んだ一瞬を狙って、チェシーは遮蔽物がわりのテーブルを投げつけた。兵士がなぎ倒される。

「ひるむな! 撃て! 撃ち殺せ!」

 部屋全体の壁が火事のように赤く染まった。

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