次に会うときは、敵
「……できたら、そのまま、動かないでいてくれると有難いんだけど」
唐突に、後ろから。
ゾディアックの言葉が発せられた。
ユーゴが、両手を上げた無防備な姿勢のまま固まる。
アンドレーエは、ふっと息を吐いた。首をねじる。
「振り向いてもいいか」
「別に。好きにしたら」
存外に若い声だ。それにしては、どこか無気力で投げやりな雰囲気を漂わせてもいる。
「あ、一応言っておくけど。こっちには投網機があるから。空気でっぽうみたいに、ポンてやったら投網が飛んでくやつ。でも、カミソリを仕込んであるから、絶対に近づかないようにしてくれるとありがたいかな」
さすがに、ぎょっとした。アンドレーエは、口をへの字に曲げた。
「その武器、人道的に考えてどうよ?」
「こういうの発明しとくとさ、上の連中が予算増額してくれるんだよね」
「なるほどね。さすが。勉強になるわ」
「投降するなら自発的によろしく」
「へいへい、分かったよ。武装解除だ、ユーゴ」
アンドレーエは、ユーゴに目配せを送った。ユーゴはゆっくりと背のうを下ろした。ぬかるみの地面に放り投げる。中から、手榴弾がいくつも転がり出た。
「うわ、物騒な」
「どっちがだよ」
ゾディアック人の言い草に、アンドレーエは思わず笑い出しそうになった。後頭部で手を組み、どかりと地面に座り込む。
《静寂のイーサ》が、ほのかに反応して揺れ動いた。
闇の奥に、作業着らしき分厚い上着を着込んだ青年が立っている。消音の耳あてに、首には白のマフラー。足元には、恐ろしく小さな
一人だった。背後を固める護衛も伏兵もない。
「その手榴弾、見せてもらっていい? へー、ふーん?」
ユーゴの落とした手榴弾を、ためつすがめつ、手の中で転がして調べている。
「意外と普通にちゃんとした構造なんだな。もっと遅れてるのかと思ってた」
アンドレーエはほくそ笑んだ。
「砲科専門の将校どのから、直々のお褒めを戴いたぞ、ユーゴ。恐悦至極だな」
「別に。全然嬉しくなどありません。というか師団長にはガッカリですよ」
何を拗ねているのか。ユーゴは、むすりとそっぽを向く。
軍人は、わずかに表情を変えた。かぶさり気味の前髪の隙間から、暗い目がのぞいた。
「俺のこと知ってる?」
「ターレン・アルトゥーリだろ」
アンドレーエは、気安くうなずく。闇の向こう側にいるゾディアック軍人の表情がこわばった。
「あいつから聞いたの?」
「あいつって誰だよ。俺を誰だと思ってる」
「知らない」
「知らねえのかよ。そっちのほうがガッカリだ。ならば致し方ない、名乗って進ぜよう」
アンドレーエは、にやりと笑った。
「やあやあ我こそはヨハン・ヴァーレン・アンドレーエ。天候を司る《静寂のイーサ》の
「声が大きすぎます!」
あわてて、ユーゴが割って入る。アルトゥーリは、物陰から、一歩前へと進み出た。
「へえ、あんたがあのアンドレーエか。さすがに、ちょっと驚いたかも」
「思ったよりイケメンすぎて?」
「いや、思ってたよりずっと馬鹿で」
暗い眼を、なおいっそう暗い面影に伏せて。
アルトゥーリは、用心深く二の句を継ぐ。
「下らないことを、ぺらぺらと流暢に言えるぐらいの馬鹿さ加減だ。ゾディアックの言葉をどこで覚えた。サリスヴァールか」
「ハー? オーレゾディアーックノコトーバワカラニャーデ」
「嘘つけ」
「嘘こけ!」
アルトゥーリとユーゴが、声を揃えて同時にこき下ろす。
アンドレーエは一瞬、頬をゆるめた。呑気に混ぜっ返す。
「奴がゾディアック語を喋ってるところなんて、一度も聞いたことがないぜ? どこで習ったか知らないが」
「一度も……?」
アルトゥーリは、目を伏せた。考え込む。
「そんなことよりもさ」
アンドレーエは、ぐっと親指を立てた。ターレン型重
「交渉に来たんだけど」
「無駄」
いい意味で頑固。悪い意味で意固地。他人に興味がなく、まともに話を聞く耳を持たない気質のようだ。
「そうかな。お互い、この先、戦場でいつ出くわすか分からねえ身の上だと思うんだがねえ」
いかにも油断ならない笑みを、のっけから堂々とチラつかせてみせながら、アンドレーエは平然と言ってのけた。
アルトゥーリはまったく興味を示さない。
「この間、ためしに連発銃を作ってみたんだよね。自動で百発ぐらい撃ち続けられるやつ。試し撃ちしてみたいんだよね……」
「いやいや、まずはまったりと、和やかにテーブルを囲んで話し合おうじゃないか。友と会ったらまずは酒。敵と会ったらまずは酒!」
「俺、酒呑みは嫌い」
「うっ……ならば、たとえ敵同士でもだ。ほら、膝を割って話せる間柄というのはだね、実に貴重だと思うわけだよ」
「ゴチャゴチャうるさい奴はもっと嫌いだ」
都合の悪い部分はきれいさっぱりと聞き流すに限る。
アンドレーエは、花を手向けられた軍旗に眼をやった。
「ならば、手短に言おう。ヴァンスリヒトの旗を返して貰いたい」
「いくらで?」
相変わらず、アルトゥーリは目を合わさなかった。横を向いたまま、続きを促す。アンドレーエは、鼻をくんとうごめかせた。
「我らが守護、《静寂のイーサ》の名に賭けて。今後一切、あんたの率いる部隊にだけは、奇襲を掛けないと密約しよう」
アルトゥーリは、ゴミを見るような目をした。
「は? 何言ってんの。俺が今、ここで、ちょいと投網機を動かしたら、奇襲どころか普通にあんたら二人とも、こまぎれになるんだけど」
「残念ながら、そいつは不可能だな」
アンドレーエは、人好きのする笑みを作って、にこにこした。
「俺たちがバラバラになることもねえし、あんたが罠を動かすこともない」
「何で」
「気が合うからだ」
自信たっぷりに断言する。アルトゥーリは、おもむろに身をかがめた。投網機のレバーに手を掛ける。
「交渉決裂。話にならない。それじゃ、こまぎれになって、どうぞ。さよなら」
アンドレーエは慌てた。
「あわわわあああ待て待て待て待て! 話せば分かる!」
「オレティセニアノコトバワカラナス」
「ちょちょちょちょっと待って! 頼むから!」
「勝手にすれば」
「ままままま待っ……はい?」
「勝手にしろって言ったんだよ。どうせ、鹵獲したわけでもない、そんな旗なんて、持って帰れないし」
アルトゥーリは、レバーに手を置いたまま、アンドレーエに背中を向けた。顔を背け、鼻をすすりあげる。
「いらないから。さっさと持って帰って。邪魔」
雨が、ひたすらに降りしきる。
アンドレーエは、濡れそぼるアルトゥーリの猫背を、声もなく見つめた。レバーを握る手には、何の力も入っていない。
ただ、うなだれているように見えた。
「あれから……ずっと考えてた。死んでまで護りたいものなんて。何があるって言うんだ。あの参謀、何かの名前を、ずっと呼んでた。国か、神の名前か……分からないけど。でも、そんなもののために、笑って死んだぞ。あいつ! そんなの、誰の得になるんだ……気持ち悪いんだよ」
アルトゥーリは、暗く光る眼差しを、ぬかるみへと突き立てた。無数の雨粒が、虚しく跳ね転がっていた。
「だから、思ったんだ。あんたらみたいなのが、もし、死んだあの参謀のよすがを、この軍旗を取り戻しに来なかったら。しょせん、ティセニア人の正義なんてその程度だと……大法官の言うように、国ごと踏みにじられて当然の、偽善者の、カルト宗教の、くだらねえ、卑怯な、口先だけのまやかしで取りつくろうしか能のねえ奴らだと……思うつもりだった」
「騎士ヴァンスリヒトの栄光を語り継ぐ役を担うは、この旗をおいて他にない。絶対に、連れて帰ってやると約束したんでね」
アンドレーエは、うなずいてユーゴに合図を送った。
ユーゴは、ただちにヴァンスリヒトの軍旗を旗竿から下ろした。泥で汚さないよう、きっちりと巻きつけて紐で結び、
「準備できました」
「……良かったな」
「はい」
「じゃ、行くか」
「はい」
投網機は、結局、発射されなかった。
アンドレーエは、いじけた顔のアルトゥーリに笑みを向けた。
「約束は守る。覚えとけよ」
アルトゥーリは、かすかに笑った。
「雨の日と夜間と雪の日と嵐の日と山岳地帯と森林地帯と池沼地帯での戦闘は遠慮してもらうし。そうすれば、こっちは遠くから大砲撃ち放題だ」
アンドレーエは、皮肉混じりの笑みを浮かべた。《静寂のイーサ》が、ぎらりと光る。
「悪いね。俺は嵐を呼ぶ男なんだよ」
「うわ最悪」
「よし、退却だ」
アンドレーエは、ぱきりと指を鳴らした。《静寂のイーサ》が、揺らめきを増した。アルトゥーリが、ぎょっとした顔を向ける。
「消えた?」
姿が見えなくなったのを、空を飛んで消えたとでも思ったのか。
アンドレーエは、なぜかそのまま立ち去りがたく、声を掛けた。
「騎士アルトゥーリ。貴公の、錆び付いて動かない鉄砲に心より感謝する」
アルトゥーリは、ふいにたじろいだ。両手を伸ばして、何もない空間をごそごそと手探りでさぐる振りをし始める。
「は? まだいんの? 何それ。ちょっと待て。ずるいぞ。卑怯だ。やっぱ旗返すのやめ。その消える技術が欲しい。ってか、あんたがこっちに亡命すればいいし」
「いつか、また、気が向いたらな。じゃあな、アルトゥーリ。貴公と話ができて良かった。今度逢ったときは、酒でもゆっくり呑もうぜ」
アンドレーエは、闇へと後ずさった。
雨音の彼方から、遠く。
くぐもったアルトゥーリの声が、届いた。
「俺、酒呑みは嫌いだし。それに、次に遭うときは、敵だから。忘れんな。いいか、敵だからな!」
涙雨が、次第に遠ざかってゆく。
木々の合間をぬって、敵陣を離脱する。十分に離れたと見て、アンドレーエは、ユーゴの肩を叩いた。
立ち止まる。
ユーゴは、拳で、何度も頰をこすった。無言でうなずく。その背中には、友の軍旗。
焼けこげた銃創。縫い合わせた痕跡。焦げた臭いを押し流すような、重い雨。
精一杯生きた男の証を、青白い雷が、鮮明に照らし出した。
▼
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます