趨勢《すうせい》

 アンシュベルを見送るザフエルの視線には、もうたわむれの片鱗すら残っていない。

「ところで明日の花誕祭はいかがいたしましょう。御不例ということであれば欠席も致し方ないかと」

 研ぎ澄まされた、感情の削げ落ちた声が事務的にたずねる。

「いえ」

 ニコルはうつむいたまま、首を横に振った。

「参座します」

「そのお身体で無理は禁物かと存じますが」

「大丈夫です」

「しかし、たかが《祖霊オダル》を言祝ぐだけのために《封殺ナウシズ》の正嫡たる閣下がご無理をなさる必要は」

 ニコルは、伏せた眼でちらりとザフエルを見やった。

 ザフエルは即座に口をつぐんだ。

「差し出口を申しました」

 ニコルは表情をゆるめた。

「負傷のことでしたら、どうぞおかまいなく。すみっこで目立たないようおとなしくしてますから」

「ではサリスヴァールにその旨を伝え……」

「それはなりません。不用意に洩らさないでください」

 もう一度、決意とともに首を横に振る。

 ザフエルは決然とさえぎった。

「お言葉ですが。サリスヴァールに身辺警護を命じたのは、あくまでも禁闕外きんけつがいでのこと。もし御懸念でしたら、むしろそのとがを受けるべきは城主である私であり、かの者への心配は杞憂と」

 ニコルはザフエルを見上げた。気休めの憫笑を浮かべ、視線をそぞろに彷徨わせる。

「当てずっぽうで、あれこれ推測されても困ります。そんなことより」

 すばやく話をすり替える。

「もしお医者様の許可をいただけるのならば、明日の花誕祭が終わった後、這ってでもノーラスへ帰りたいのですが」

「許可させません」

「ですよね」

 ニコルはくすっと笑った。当然だろう。

「でも、そうなると気掛かりなのは第一師団の趨勢すうせいです。たしか、シャーリア殿下は、毎年冬になると、避寒のためにイル・ハイラームの宮殿へお帰りになるのが通例のはず」

「さよう」

 いかにも唐突な話題転換にも、ザフエルは動じなかった。よどみない返答が戻ってくる。

「ヴァンスリヒト大尉からの報告によれば、今年は特に積雪が深く、兵站も滞り気味であることから、砲車ほうしゃおよび輜重隊しちょうたいのすみやかな移動に支障をきたしております。よって、せめて撤収の準備だけでも早急に着手しておきたいとの意見を何度も殿下に上申したそうなのですが」

「ご裁可は」

「花誕祭が終わるまで待て」

 無表情の内に込められたにべもなさに、ニコルは苦笑した。

「式典が終わってすぐ戦地にとんぼ返りしてくれるような殿下じゃないじゃないですか。で、ザフエルさんのご意見は」

などに、殿下のお手を煩わせる必要はありません。現場に一任するがよろしかろうと」

「快く了承していただけるでしょうか」

「殿下は、北国の冬をことのほか嫌っておいでです」

 ニコルは自分で自分を納得させるために、何度もうなずいた。

「分かりました。では、少し早めの冬休暇を直接取っていただくよう打診しますか。サリスヴァール准将に、イル・ハイラームまでの道中警護にあたらせることにすれば殿下もご安心でしょう。その間に第一師団を撤収させるよう、提案してください。殿下のお手を煩わせることがないよう、つつがなく」

「了解。収容先はどうなさいます」

「候補地をあげてください」

「近いところでアルトゥシー。あるいは、距離はありますがやはりノーラスが無難かと。アルトゥシーでは人員の収容施設や物資調達の面において不安があります。混乱を生じる可能性は否めません」

「では、やはりノーラスに全員を収容しますか。それならば、改めて軍票を発行する必要もありませんし。ノーラス側の受入態勢を十分に整えておけば、真冬が来る前に撤収完了できるでしょう。その後で第一師団、第五師団それぞれの帰郷対象者に対し、休暇時期を案分するのがいいかなと思うのですが」

「寛大なお取りはからいかと存じます。しかし」

「年明け開始予定の予備役即応訓練のことでしたら、多少は遅らせても構わないと思います」

「その件ではありません」

「ええと、じゃあ、分派堡の建設が遅れてることとか」

「いえ」

 ザフエルは厳かに告げた。

「サリスヴァールの件です」

 ニコルは押し黙った。

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