とっくに食われてますぞ

 するどい穂先が宙に舞い、迫る。

 足元に力を入れれば入れるほど、姿勢が制御できない。大きくふらつく。身体がすくんだ。動けない。

 目の前で転倒した神殿騎士もまた、ぶざまに手足をばたつかせ、這いつくばりながらつるつると滑ってゆく。今にも橋から落下しそうだ。

 手も届かない。槍を避けることもできない。間に合わない。


 吹雪舞う闇に、銀の刃だけがきらめいている。何もかもが色と時間を失ったかのようだった。迫る、穂先が、目の前に――


 するどい金属音が響き渡った。


 時間とともに音が戻ってきた。ニコルは唖然と息をついた。耳元に吹き荒れる風の音がはためく。目の前がなぜか白い。

 ついでに、なぜかまだ無事に立っている。


「えっと……?」

 不思議なほど暖かく、心強く、そしてなぜかちょっと息苦しい。

 どこかへ吹っ飛んでいた意識がようやく戻ってくる。

 きつく抱き止められているのが分かって――


 腕がほどかれた。

 だしぬけに視界が戻ってくる。


 黒くなびく髪が視界に入った。眼前から離れてゆく金の参謀飾緒の輝き。ザフエルの背中だ。

 少し離れた前方に、獰猛な獅子を思わせる身のこなしで鉄橋のど真ん中に着地するチェシーの後ろ姿が見えた。


 けたたましい金属音が走った。銀の槍がまっぷたつに叩き折られ、弾き飛ばされて、橋の欄干にぶつかるのが見えた。そのまま谷底へと吸い込まれてゆく。


「ぼうっとしてるんじゃない」

 鞘に入ったままの大剣を氷の張る橋桁に突き下ろした体勢のまま、はだけたコートの裾を激しくはためかせている。星くずを散らしたかのような呪の輝跡が、暗い夜空に尾を引いていた。


「まだ死んでないな?」

 ぶらり、ぶらりと。橋から落ちかけていた神殿騎士の身体は、チェシーの剣鞘にベルトを支えられ、頭から腰まで身体の半分以上が中空にはみ出した状態で揺れていた。蒼白の顔で神殿騎士がうなずく。


「邪魔だ。あっち行ってろ」

 チェシーは無事に吊り上げた神殿騎士をぞんざいに足で蹴り戻した。

 刺々しく吐き捨てる。

「それはいいとして、毎度毎度、肉の楯にならざるを得ないホーラダインの身にもなってやれ、このバカタレ!」

 言いながら肩越しにじろりとニコルを隻眼で睨む。


 ニコルは、素知らぬ顔でぷいと背中を向けているザフエルを振り仰いだ。

「肉の盾って……え、えっと……ザフエルさん……いつの間に?」


 ザフエルは、数秒前までニコルを抱きしめていた腕を後ろに隠し、顔をそむけた。そっけなく言う。

「油断しすぎですな」

「い、今のは足が滑って、やむなくで」

「……私が清貧を遵奉している身でなくばとっくに食われてますぞ」

「はいぃ!?」


「さてと。お祈りの時間はお終いだ」

 チェシーは、ふいと笑みを殺ぎ消した。

 ぎらりと濡れる殺意を眼光に含ませ、神殿騎士の一群を見やる。

「公国軍元帥に楯突いた勇気だけは褒めてやる。だが、見た目で侮るは下策だぞ」

 言葉を気迫に変え、神殿騎士へと突きつける。

「命と名誉、天秤に掛けてもらおうか。死にたい奴から前へ出ろ」

 巨大な魔剣を、片手でやすやすと御しながら鞘を抜き払う。凶暴な切っ先がひらめいた。

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